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深夜、婉蓉の室にはある男の姿があった。
冷たい容貌と射るような強い眼差しから氷の長官と称される男、御史大夫・葵皇毅である。


「珍しいな、お前から呼び出すとは…」


いつもは彼から告げられる逢瀬の約束だが、今回は彼女からの呼び出しであるようだ。
ゆっくりとした所作で注がれる茶の香りが、初夏の風に乗って彼に届き、鼻孔をくすぐる。


『あなた様に対して回りくどい言葉など無用ですね
この関係を終わりにしたく思いまして、今日は御呼び致しました』


小さくコトリと音を鳴らして、彼の前に茶器が差し出された。

その瞬間、彼の上でが強く彼女の腕を握り締める。
月明かりに照らされた白魚の如く透き通る細腕を強く引き寄せ、彼女を膝の上に座らせる。


「どうつもりだ?」


納得がいかない、そんな思いが言葉の裏に伴って彼女の耳に強く突き刺さる。
別に惚れたはれたでこの関係が始まった訳ではないが、それでも彼は納得できなかった。


『どうもこうも、この不毛な関係をいつまでもズルズルと続けるわけにはまいりません、と申し上げたのです

劉輝様が主上としての自覚をお持ちになられた上、今の妾には女官長の地位がございます
その女官長が規定を守らず官吏と通ずるなどあってはならぬこと』

「俺のものにはならない、ということか?」


いつになく硬質な声色で紡がれた言葉に、婉蓉は驚いた様にはっと目を見開いた。
執着心も結婚願望もないはずの彼から紡がれるとは思ってもみなかった言葉。


『何を可笑しなことを仰られるのです
…あなたはお子を持たれる気はない、と仰ったではありませんか』


 ―葵家は俺で最後だ―


かつての言葉を思い出すように伏せ目がちにそう呟いた。
それきり、彼は何も言わなくなった。

先王に家を廃されたときから決めていたことだった。
それを今更彼女に言われようと何も困ることはない。

わかっているはずではあるが、皇毅はどこか余所余所しいとばかりに大きく息を吐いて視線を外した。


『早いものですね…』


沈黙を保っていた婉蓉はポツリと呟いた。

何が早いとは皇毅も聞かなかった。
恐らくこの関係が始まってからのことだろうと、彼にはわかっていた。


――十年。
彼女とこうして逢瀬を交わすようになって10年の月日が流れた。
まだあどけなさを残していた少女だった婉蓉は、妙齢の美しい女人へと成長した。

その間に第六公子の寵愛を受け、懐妊し、その子を水に流すこととなった。
その悲しみと苦しみから救ってくれたのも、目の前にいる彼だと婉蓉自身も理解している。

だからこそ、この関係を終わらせなければと思い立った。



そもそもの始まりは、互いの傷を舐めあうということからだった。
婉蓉は花王を、皇毅は飛燕姫を失い、共に悲しみに暮れていた。

互いに愛する人とは結ばれることなどないと、始めからわかっていた。
事実、彼は飛燕姫を選ぶのとは別の道を歩んでいたし、婉蓉もまた花王とはいずれ別れのときが来ることは知っていた。


けれど―。

愛する人との永遠の別れとなると別である。
悲しくて、切なくて、それでも彼の人が恋しくてたまらなかった…。


恋がこんなに苦しいなんて思わなかった。

分かっていても、愛する人との別れは本当に辛かった。
食指も伸びないほどの苦しみだった。

共に悲しみ、時には共に泣き、時には互いを慰めあった。
だからこそ二人の関係はここまで長く続いたのである。


互いに依存しあいながら、この十年を歩んできた。

大丈夫、皇毅が、婉蓉がいる。
そう自分に言い聞かせて生きてきた。
これからもそうして生きていくのだと、漠然とだが思っていた。

婉蓉も皇毅も、互いの思い人を忘れることなど出来ないと分かっていた。
だから一生結婚せずにこういう関係が続くのだと…。


だが、婉蓉は香鈴の言葉で自分の心の中の驕りを自覚した。
想いを返されるから相手を愛するわけではない。

そう言われて初めて、自分が想いを返されるから想っていたことを自覚した。
こんな自分では一生けじめをつけることなど出来ない、そう自覚したから皇毅との別れを決意したのだ。


誰かに頼ってばかりでは、自分の気持ちに整理をつけることなど出来ない。

誰かに依存してばかりでは、自分の足で立つことなど出来ない。

誰かに甘えてばかりでは、自分は強くなることなど出来ない。


今まで散々、彼に頼りきっていたのに今更だと思われるかもしれない。
それでも皇毅との関係を清算しなければ、と思いたったのは一重に彼への感謝の気持ちだった。


彼は十年前には既に大人だった。

この不毛な関係を初めて数年で、彼はその悲しみを自分の力で振り切り、飛燕姫とのことも思い出にした。

それでも自分の傍で我が儘に付き合ってくれたのは、彼女がけじめを付けられなかったからである。
縛り付けていたのは、自分の方だったのだ。


だからこそ、自分自身の力で強くなるために、皇毅を解放するために、婉蓉は一人で立ち向かうと心に決めた。






 

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