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『劉輝様、妾はこれで失礼致します』


最低限ではあるが、政務をさせる事に成功した婉蓉は劉輝の室から退出した。


「婉蓉様」


声の方を振り返ってみれば、回廊で待ち伏せていた珠翠が佇んでいた。

数日のうちにも入内することになっている“紅貴妃”付き女官を決める為、また“紅貴妃”の事情を説明する為に#婉蓉#を訪れたのであろう。

しかしながら、前もって霄大師から“事情”を耳にしていた為、表情を歪め苦言を洩らす。


『紅貴妃の事ですね
報酬に釣られて“後宮”に来ようとは、何と浅はかな…』


ハアと吐いた息が妙に苦々しかった。
邵可の娘だと聞いていたが、予想外に危機管理能力の低い娘が来るのだと知り、先が思いやられる。

紅貴妃の入内理由については他言無用。
珠翠は詳しい事を決めたいと告げると早々に婉蓉の室へと向かった。









自室に戻った婉蓉は珠翠に席を座らせ、コポコポと茶を注ぐ。
コトリと優雅に茶器を差し出すと、自身も腰掛けきっぱりと告げた。


『貴妃付きの女官はどうなさるのです?』


妾はこの件には関わりません、と表情が告げている事に気付きながらも、珠翠は目の前の美貌の女官と向かい合う。


「紅貴妃様は御歳十六になられますので、歳の近い、出来れば年下の女官がいれば気を張る必要もないかと…」

『あなたが御決めになったのであれば、妾はかまいませんよ』


さも興味なさそうに告げる。
だが直ぐに、ハタと何かを思い出したかの様に茶を飲む優雅な仕草を止め、珠翠を見やる。
凛とした鋭い眼差しを向けられ、珠翠は不意に背筋を伸ばした。

自身よりも幾許か歳若ではあるが、家格も経験も上であり、尚且つ先王に認められ藤紫の衣を纏う事を許されたほどの佳人。

劉輝が即位したことで年嵩の女官が次々に引退していき、新しく筆頭女官(典侍)に立てられた珠翠ではあるが、本心では目の前にいる美貌の女官こそ相応しいと思えて為らない。

もしくは長年空位となっている女官長(尚侍)か――。


『分っているとは思いますが、妾はこの件に関しては一切手出しを致しません
“紅貴妃”に何を言われようとも会うつもりは更々ございません
よろしいですわね?』


何が何でも、そう言われてしまった珠翠は仕方なく納得した。

先王にすら認められた婉蓉であれば訪れる紅貴妃の力に為ってくれると思っていたが、やはり彼女はそれ程優しくはない。


「婉蓉様の紅藍嫌いは相変わらずですね…」


婉蓉の室を退出した珠翠はポツリと呟いた。
その呟きが誰もいない後宮の回廊にいやに響いた。









『紅貴妃が入内された様ですよ』


数日が過ぎ、霄大師が直々に要請した貴妃が入内した。
後宮内は国主・紫劉輝の即位以来の騒がしさを迎えていた。

長く不在だった後宮の“主人”が誕生したことも大きな要因であろう。
期間限定ではあるが…。


「会う気はない…」


劉輝の揺るぎのない言葉に、婉蓉は小さく笑った。
いつもこうなのである。

毎回の如く嫌だ嫌だと言い続けるものの、結局最後には邵可や婉蓉の願いを聞いてしまうのである。


今回も初めこそ拒否してるが、またいつもの様に―。
婉蓉にはそう思えてならなかった。


(紅貴妃がどれ程頑張ってくれるか、御手並み拝見ですわね…)


入内するのが邵可の娘でなければ、こんな風に期待はしなかっただろう。
紅藍両家は嫌いでだが、邵可は別。
そう婉蓉に思わせた邵可の娘に、期待してしまうのは彼の人徳であろう。


(まだまだ若い癖に、まるで仙人の様に達観して隠居生活を送っているのに不思議な人)


十数年もの昔、出会ったばかりの頃の邵可を脳裏に浮かべた。
鋭い、抜き身の刃の様な眼差しを浮かべていた誰よりも強く、誰よりも残酷で、誰よりも優しい青年。


邵可の娘はどんな瞳をしているのか。


会う気はない紅貴妃に、そんな期待を込めながら目の前に座る主人との小さな茶会を楽しんだ。






 

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