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室内に入れば、誰もいないガランとしたものだった。
奥にある寝台にポツリと唯一人、香鈴が虚ろな表情で伏せっていた。

ゆっくりと楸瑛の腕から降りて寝台に近づけば、香鈴は身を起こそうとするがそれを制す。


『身体の方は、大丈夫ですか?』

「…婉蓉様」


婉蓉の穏やかな声色に、香鈴は一瞬目を見開いた。
てっきり、こっ酷く叱られるのだと思っていた。

彼女は女官としての矜持を誰よりも持ち、誇りを持っていたから―。


『亡くなられました―けれど、そのお顔はとても穏やかなものだったと…』


室に訪れる最中、楸瑛の口から紡がれた事実に婉蓉はやはり、と思った。
それを目の前の少女に告げるかどうか迷ったけれど、彼女には知る権利があると思った。




誰のことを言っているのか、香鈴はすぐにわかった。
目が覚めてから、ずっと気がかりだった。

彼の死を、香鈴は目覚めたときから薄々感づいていた。


けれど、はっきりと口にされると、本当なのだという事実を突きつけられ、余計に悲しくなった。

不意に、香鈴の瞳から涙が零れ落ちた。
その流れる涙を婉蓉はそっと指で払う。


「…お返しを、したかったんです」


ポツリと香鈴が口を開いた。
婉蓉はついと視線を向けると、彼女はまたポツリと囁く様に語り始めた。

まるで、胸に溜め込んでいた宝物を開け放つ様に穏やかな表情で―。


「優しい、優しい方でした…後宮にあがった私をいつも心配してくださり頻繁に文を送ってくださり
いつも気遣いを配っていただいて、数ならぬこの身には、余りある幸せを下さいました」

『お慕い、していたのですね』

「…はい」


いつものような可憐な微笑ではなく、どこか艶めいた表情で香鈴は呟いた。

ハッと婉蓉は目を見開いた。
その表情に覚えがあったから。


そう、それは十三年前の自分だった。


「つらかったでしょうに…」


想っても実ることのない、片思い。

自分も何年もそれを続けていた。
余りに辛くて、何度も忘れようと想った。

文すら寄越してくれない彼の人に、心の中で何度も恨み言を呟いた。


けれど、嫌いになど、忘れることなど、できなかった。
どうして出来ようか…。


今でも胸が張り裂けんばかりに、愛して止まない人―。


目を閉じれば、今でも瞳の奥に焼きついているあの優しい微笑。
そっと瞳を閉じて、婉蓉は小さく息を吐いた。


「つらくはない、と言えば嘘になります

けれど、それ以上に幸せでした
なぜなら…あの方に出会い、この想いを抱くことが出来たのですから」


ニッコリと花が綻んぶような笑みを浮かべた。
婉蓉の胸に、香鈴の言葉が痛いほどに鋭く突き刺さる。

それは後ろで静かに聴いていた楸瑛も同じだった。
そんな二人の心など露知らず、彼女は猶も続けて口を開いた。


「―想いを返されるから、人を好きになるわけではないでしょう?
あの方に御逢いできて、わずかながらも共に時を過ごせました

本当に、大切にしていただきました
これ以上を望むことなど、どうしてできましょうか…」


そっと瞳を伏せてしばし口を噤んだんだ後、閉じていた瞳を開いて婉蓉へと視線を送り、ただ―と呟いた。
憂いに満ちた表情、彼女が言いたいことは婉蓉にも理解できた。


「いただいたたくさんの幸せのお返しもできずに、後宮にきてしまいました
それだけが、心残りです

私も何かしてさしあげたかった…本当にお優しい方で、私が何かして欲しいことはありますか、と尋ねてもあの方は何も仰っては下さらなくて

それでも、あの方のために何かしたかった、あの方のために――生きたかった…」


つ、と涙が彼女の頬を伝った。
何も望みなどなかった彼女の、たった一つの願いごと。

それすら叶わず、あろうことか自分があの方の足を引っ張ってしまった。
それが辛くて、苦しくて、悔しくて、涙が零れてしまう。






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