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余は見てしまったのだ。

婉蓉が逢瀬を交わしていた瞬間を。
その男に縋り付きながら、後宮にはいられないと泣いていた。

その時、余は自覚した。
余のこの想いは、彼女を苦しめるだけだと。

事実、婉蓉は泣いていたのだ。
余の行為は、婉蓉を我が物にと乱暴を働き続けてきた兄公子たちと何ら変わらないと―。

いや、公子という立場を利用して褥に侍り抱き続けてきた分、もっと酷いものだと…。
そう自覚したら、自分が情けなくて仕方がなかった。


「だから#namei#殿を遠ざけ、男色を…」

「いや、その後は別の女官を抱いていた
だが、兄達が次々と廃されてゆき、余だけが残った時からだ」


どこか自身ありげに告げた言葉に楸瑛は呆れた。
先程までの悲哀な雰囲気は一気に吹っ飛んだ。

劉輝としては、楸瑛の言葉が的外れだったことに喜んでいるのだが、対して変わりがないことに本人は気付いていない。
彼の愛すべき天然という性なのだろう。


「……婉蓉の事はもういい、余もそれなりにけじめはつけられた
今余が大切に思うのは、秀麗だ―」


力強い眼差しを向けられた楸瑛は思わず頷いた。
けじめをつけた、という言葉が胸に突き刺さった。

それがどれ程大変なものなのか、彼は痛いほど知っているからだ―。


(これは…思った以上に―)

「毒の経路は?」


未だに自分の心を捉えて放さない初恋の人を思い浮かべていた楸瑛はハッと我に返り、出所は一緒です、と端的に答えた。

文書での証拠もあります、と続ければ劉輝のニヤと口角を上げた。
その表情が“彼の人”と酷似している、と楸瑛は心揺さぶられた。


「直ぐに出所がわれたのと、途中で追跡不可能となったもの、少し気になるな
特定はせずに他の者の絞込みも続けてくれ
それと、割り出した者の詳しい経歴を後でまわせ」


しっかりとした楸瑛の頷きに、劉輝は頼もしいなとばかりに微笑んだ。
そして、また一段と目を細めて、今日の動きはと問えば、対策済みですと返ってきた。


「しっかりと働いてもらうぞ」


その言葉に、紫の花菖蒲を受け取ってしまいましたしね―と楸瑛は笑ってその場を後にした。










普段、誰よりも優雅な所作で回廊を進む人物とはまるで別人だった。
女官はいつもとは全く異なる様子の彼女を、心配そうな視線を送っていた。

だが、本人は全く気付いていない。
それほどまでに、今の彼女には余裕がなかった。


『はぁッ…はぁッ…はぁッ…』


後宮の回廊を突き進んだ奥にある籐香宮。
婉蓉はバタンと大きな音を立てて扉を後ろ手で閉め、そのままズルズルと座り込んだ。

今も呼吸が荒く乱れ、心の臓がバクバクと音を立てている。
掌で口を塞ぐものの、すぐにその掌が震えていることに気付き、愕然とした。


“私の見立てでは、婉蓉殿では?”

“余はそんなにも分りやすいのか?”


“余は自分の想いを自覚した
姉だと慕っていたこの感情が特別なものなど―”



(そんな…劉輝様がッ)


仕えていた主が自分に対して特別な感情を抱いていたなんて、婉蓉は初めて知った事実に驚きを隠せないでいる。

劉輝の褥に侍っていたのも、寂しさを拭うためのもの、性に目覚めた劉輝の好奇心によるものと思っていた。
それが―。


(なんてことなの…)


“婉蓉のことはもういい、余もそれなりにけじめはつけられた”


劉輝の言葉が胸を衝く。
自分は未だに“彼の人”を忘れられずに想い続けているというのに、彼はもうけじめをつけたと言うのだ。

けじめを付けたくとも出来ないでいる自分が、情けなく思えてきた。
やらなければならないことがあるのに―。


そう思いながらも、婉蓉はそこから動けないでいた。






 

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