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「李絳攸様、藍楸瑛様」
声の方へと身体を向ければ、そこには年若の青年侍官が佇んでいた。
恭しく二輪の花菖蒲を掲げていたその姿に、婉蓉は嬉しそうに微笑み、そっと二人から距離を取った。
「主上から、お二人へと、言付かって参りました」
侍官の言葉に楸瑛は自分達にかと問えば、是という言葉が返ってきた。
楸瑛は思わず笑みを溢した。
「まさか、こうこようとは……
それに普通、生花で渡すかい?」
乾いた笑いと共に紡がれた言葉に、侍官は急ぎ故、適当に摘んでゆけという劉輝の言葉を口にした。
“急ぎ”という言葉に、楸瑛はもちろん絳攸、そして婉蓉も嬉しそうに笑みを深めた。
楸瑛は躊躇いもなく花菖蒲に手に取り、絳攸にいたずらな笑みを向けた。
君はどうするんだい、という問いと共に―。
「主上に、承りました、と伝えてくれ」
もう一輪の花菖蒲をしっかりと握り締めながら紡がれた言葉に、侍官は心からの微笑を浮かべた。
「お前があっさりと受け取るとは思わなかったぞ」
向けられた言葉と視線の先には、悠然と微笑んでいる楸瑛がいた。
“藍家”の男が“花”を受け取る。
その意味を本当に理解していないからこそ、出来た所業だと婉蓉は心中で溜め息をついた。
側近の二人に注いでいた視線を侍官に移すと、婉蓉は自分に視線が向けられていたことに気がついた。
『まだ、何か?』
当たり障りのない言葉で紡がれたものだが、婉蓉は侍官がまだ何かを持っていることに気がつき、ピンと背筋を伸ばして見つめ返した。
侍官は一歩婉蓉に近づくと、先程と同じように恭しく礼をとって懐に持っていた小箱を取り出した。
螺鈿で装飾された美しい小箱。
それを目に留めた婉蓉はそっと笑みを深くした。
「婉蓉様にも、主上からこちらを言付かって参りました」
そっと開けられた小箱の中には、真っ白な花びらごとに紫の筋が入った蘭とその傍らにそっと寄り添うように咲く藤の花が宛がわれた簪。
「後宮の女主人に、と主上が」
紡がれた言葉に楸瑛と絳攸はハッと目を見開いた。
そして、すぐさま二人の視線は婉蓉へと注がれた。
『“陛下”のお言葉は全てにおいて優先される―と劉輝様にお伝えくださいませ』
ニッコリと微笑みながら、差し出された簪を手に取り、自身の髪に挿された藤の簪を抜き取り新たに下賜された簪を飾った。
その姿を見止めた侍官はまたも心からの笑みを浮かべた静々と下がって行った。
「婉蓉、殿…?」
戸惑いの隠しきれない楸瑛はオズオズと尋ねた。
いったい、どういうことなのだと。
王が女官に簪を送るということは、后妃に任ずるという風に取られる。
だが、彼女の態度からすればそれは違った。
『今この時をもって、妾はこの後宮を統括する女官長(尚侍)の任に就きました
従って、これ以降後宮に関することは全て妾に一任されておりますゆえ、どうぞそのことを心に御留め下さいまし』
正三品上の地位に立った婉蓉が二人に頭を下げる必要はなくなった。
むしろ、正四品上・吏部侍朗である絳攸と従四品下・左羽林軍将軍の楸瑛が礼を付くほうへと一変したのである。
(長年空位にあった、女官長…)
絳攸は新たに就任した女官長に、どこか不満を持たずにいられなかった。
自分より経験があり、自分より年上で、自分より家格が上だという噂。
加えて女官長の地位で、頭を下げずにはいられない“存在”となってしまったのだ。
『お二人とも“紫の花菖蒲”を意を汲み、速やかな対応を』
告げられた言葉に、二人はすぐさま拝礼と共に是という言葉を持って婉蓉の前から下がった。
その姿を見守っていたが、すぐさま物陰に視線を向け顔をしかめた。
『どなたです、いい加減出ていらしたらどうです?』
その言葉にゆっくりとした歩で物陰に隠れて人物は姿を現した。
このような外朝と内朝の境でその人物がいることは珍しく、流石の婉蓉は目を見開いた。
『旺季様ッ、失礼致しました』
まさか門下省長官・旺季だと思わなかった婉蓉はすぐさま詫びの拝礼を行うものの、よいと言葉で制された。
「花を受け取ったのか」
新たに髪に飾られた簪を一瞥すると、どこか呆れたような口調で告げた。
はい、と少しかすれた声で返答をすれば、旺李の眉間に皺がより、婉蓉は申し訳なさそうに肩をすぼめた。
「王の御手並み拝見となるが、越権行為だけには気をつけるように忠告しておけ」
これから行われるだろう、王や双花の行動を暗に指摘しているのだろう。
おそらく御大台夫・葵皇毅も動き出している事への牽制でもあった。
旺季の言葉を真摯に受け止め、まるで本当の主に対するように恭しく拝礼を取りながら婉蓉はその場を去った。
To be continue...
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