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夜明け前、衣擦れの音に目を覚ました婉蓉は、隣にいるはずの人物がいないことに気付き、瞬時に覚醒し身体を起こした。
キョロキョロと周囲を見渡せども、意中の人物は見つからない。
(お帰りになってしまったのかしら…)
既に部屋を去った人物を思い、そっと寝台に腰掛ける。
先程まで眠っていた筈の場所に視線を送り、小さく息を吐いた。
室に備え付けられた水場の扉から、足音を立てずに一人の男が入ってきた。
気配すら感じさせないその足取りに、婉蓉は一切気付くことなく寝台を見つめ続ける。
『皇毅様…』
「なんだ」
憐憫の情を吐露するかの如き小さな呟きに、まさか返事が返ってくるとは思わなかった婉蓉は、勢いよく後ろを振り返った。
『お戻りになったのでは?』
「お前が目を覚まさないのに何故戻る」
視線を合わせながら当然の如く告げたその言葉に、婉蓉は嬉しさからか頬を薄っすらと染めながら微笑んだ。
その笑みに素っ気無く無言を通しながらも、寝台に腰掛け彼女のしっとりとした艶やかな髪を撫でる。
「身体はどうもないか?」
ニヤリと口元を緩めながら顔を覗き込めば、ポッと婉蓉の頬が染まる。
昨夜は久方ぶりの逢瀬に、二人は時も忘れて抱き合った。
恥も外聞も忘れ、ただの男と女に戻って―。
「昨日のお前は酷く淫らで婀娜めいていた…まあ、俺も少し溜まっていたしな」
昨日激しくも情熱的な睦み合いを髣髴とさせる言葉に、婉蓉は身体の奥に熱が篭る感覚を抱いた。
それを訴えるように、熱を帯びたで見つめれば、皇毅の口がそっと緩む。
「まだ…足りないのか…?」
そう言って、彼女の唇に影を落とした。
チュ、チュと唇の音が室に響き渡る。
吐息さえも食らい尽くす様な口付けに、互いに息も絶え絶えとなりつつあった。
だが、日が昇り始めたことを合図に、二人は身支度を整え始めた。
先程の甘い雰囲気を漂わす二人は露と消え、氷の長官と名高い御史大夫と美貌の佳人と詠われる主上付き女官の凛とした姿へと変貌する。
「貴妃には気をつけろ」
『はい、いっていらっしゃまし』
すっと礼を行い、見送りはせずそのまま後姿を見つめる。
どこか、哀愁を帯びた表情で―。
『劉輝様が貴妃様と同衾なさったと聞きましたが、それは本当ですか?』
目の前にいる筆頭女官に鋭い視線を向けながら問いただせば、顔を引きつらせながらコクリと頷いた。
それを確認した婉蓉は大きく息を吐いた。
(皇毅様の仰ったとおりの事がおきるやもしれませんわね…困ったこと)
これから起こるであろう紅貴妃の身の危険に、振り回される劉輝、側近二人、そして後宮の者たちを思うと頭痛がしてならない。
仕方なしに、それとなく珠翠に貴妃の周辺に気をつけるに告げた。
『妾も近々貴妃様にお目通りすることになるでしょう』
「婉蓉様が御自ら?」
『そうですが何か?』
「いえ、では貴妃様にはそれとなく申し上げておきます」
お願いしますね、と素っ気無く言い放ち、クルリと踵を返して足音も立てずに回廊を進んでいった。
それをじっと見つめる珠翠は小さく息を吐いた。
(貴妃様と何もなければよいのですが…)
何度考えても、貴妃と婉蓉の考え方は正反対に近い。
理想を持ち、それを遂行するためにはどんな事もじさない貴妃と、現実をきちんと受け止め、今何が出来るかで行動を起こす婉蓉。
今回の主上の件についても、これから起こる貴妃の件についても、婉蓉にとっては頭痛の種でしかならない。
この二人が会えば一触即発、いや大人の婉蓉のことだニッコリと笑みを絶やしはしないが貴妃に対して最低な評価を下すのは目に見えていた。
先程も、期限付きと知りながら劉輝様を後に傷付けると少し考えればわかることなのに、と同衾のことに対しても苦言を零していた。
(どうか穏便に済みます様に…)
珠翠の切なる願いは、当人に届く事はない。
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