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ざわざわと騒がしい後宮。
こんな騒がしさは何年ぶりだろうか。

紅家当主・紅黎深が今回の国試で不正を行ったという噂は、婉蓉の耳にも届いていた。
そして拘束された彼は、意趣返しとばかりに後宮で自発的軟禁をしているらしい。

溜め息を吐きつつも、婉蓉はどこか可笑しそうに口元を緩めながら、後宮の女主人としての最後の使命を果たすべく、彼が自発的軟禁をしているという宮に向かった。


宮の扉に触れ押しやると、不意に黎深の声が聞こえてきた。


「――――だからあなたは一見厳しく理不尽なことを行う
私や奇人、鄭のときもそうでした
絳攸や藍楸瑛のときも」


なにやら随分と楽しそうな声だった。
こんな風に話す彼を、婉蓉は知らない。

扉の向こうにいる人物は、彼のこんな一面を引き出す程の人物なのだと(つぶさ)に思った。


「おや、噂をすれば……」


扉の方に視線を向けながら言った彼に、暗に自分に入って来いと言っているのだと悟った。
ゆっくりと扉を開け、その意に答える。


「これは……女官長殿」


姿を現した婉蓉に、その人物はハッと目を見開いた。


「ご無沙汰しております、魯官吏」


本来ならば、頭を下げるべきだった。

彼女は後宮の女官長。
官位で言うならば、正三品上――つまり、目の前にいる尚書と同格なのだ。

けれど彼は出来なかった。
彼の言葉に意味が分からないと呆けているのだから。

ここに彼女がいるのは当然だ。
だが何故黎深が、噂をすれば、と言ったのかは理解できなかった。

怪訝な表情を浮かべる彼に、黎深は微笑を一つ溢しながら言った。


「彼女は鄭の妹なのですよ」


さらりと女官の出自を述べた彼を一瞥しつつも、小さく苦笑を浮かべた婉蓉はスイと美しく礼をした。


「本来ならば尚書を嗜めるのが筋なのでしょうが、ここは御内密に

ご紹介に預かりました、鄭悠舜の妹、婉蓉でございます
国試及第の折には、兄が大変お世話になったそうで……」


傍から聞けば、嫌味にしか聞こえない。
それだけ彼の悠舜への扱いは不当で、理不尽なものだった。

だが、魯官吏は彼女が心からそう言っているのを知っていた。
何より、当の悠舜がそう言っていたのだから。


“魯官吏には、本当にお世話になりました
あなたの様な方にお会いでき、ご指導頂けて本当によかった”



茶州へ旅立つ前、そう言った教え子の言葉が蘇える。


「鄭官吏に、妹君がいらしたとは初耳ですね」


呆れた様な言う彼に、黎深は肩を上下しながら私が知ったのもつい先年でしたと溢す。

十数年来の友人である彼が、しかも紅家の宗主である彼が知ったのがつい先年だと言う事実。
その彼に十数年も隠し通して来た、目の前の女人と遠き茶州にいる教え子に脱帽した。




「婉蓉、茶を」


女官長である彼女を事も無げに呼び捨てにし、茶を煎れさせる。
本当に厚顔極まりないなと思いつつも、魯官吏はそれを諫めようとはしなかった。

これが彼なりの親愛の証なのかもしれない、と――。
有難迷惑ではあるが。


「上手いな」

「ええ、本当に」


婉蓉の煎れた茶を飲みながら、二人は言った。
ほっこりとした芳しい香りを放つ茶に、黎深はある事を思い出して不意に笑った。


「以前あなたが用意して下さったお茶とは雲泥の差ですね」


進士時代、夜中にこっそりとおかれたお茶や饅頭、菓子。
ちんけな饅頭だ、茶が渋い、などと文句をタラタラと述べつつも、黎深は黙々とそれを食べ続けた。

味はお世辞にも美味しいとは言えない。
それなのに、今思い出しても時折恋しくなる不思議な味だった。


「あなたは『なんだこのちんけな饅頭は』とぷりぷり怒っておられた」


ふと小さく微笑を浮かべながら魯官吏は言う。
あの時の光景が、脳裏を過ぎったのだろう。


「聞いてたんですか……でも、食べましたよ
この私に、ちんけな饅頭をもくもくと食べさせた人など、たった三人しかいませんよ

あなたはいつだって何も言わない
私から見れば貧乏くじばかりの人生です」

「ほっといてください」


ムスッと表情を顰めて魯官吏は言う。
そんな彼に、黎深はほのかに微笑を携えて告げた。


“主上も、長年のあなたの恩に報いるつもりでいます”


それを傍から聞いていた婉蓉は笑った。
嬉しそうに笑った。

婉蓉もまた同じ様に思っていた。
彼の人生は貧乏くじばかりで、と兄の手紙にも同じ様に(したた)められていたから。


(少しずつ、けれどゆっくりと“王”になって下さいませ)


もう面と向かって会う事もなくなりつつある王に、婉蓉はそっと心中で囁いた。

あと半月程で自分は後宮を去る。
時間はもうない。

彼の施政をほんの少しだけ見守る事が出来た婉蓉は本当に嬉しそうに笑った。

渋々とした表情で朝議に出席する魯官吏に、ハッと表情を改める。
隣には残念そうな表情の黎深。


『行っていらっしゃいませ』


ゆっくりと拝礼を行う婉蓉。
それは、彼女のもまた魯官吏を尚書として認めているという何よりの証だった。


「近々退任されると御聞きしました」


魯官吏の言葉に、婉蓉はくシャリと笑う。
それが返事だと示さんばかりに。


「あなたの働きぶりは、その美貌以上に私の耳にも届いておりました
残念です……主上も、惜しい方をなくされます」

『恐れい多い事でございます』


彼の素直な賛辞は、すんなりと心に入ってきた。
こういう言葉を掛けてくれる人は、本当に少なかった。
だから余計に嬉しかった。


「あなたの退任式は盛大に行う様に、と私から主上に進言させていただきます」


うっすらと浮かべられる微笑に、婉蓉はどこか恥ずかしげに微笑む。
出来る事なら静かにひっそりと去りたかったのだが、そうもいかないらしい。

嬉し恥ずかし、とはまさにこの事だと思いつつも、ありがとうございます、と素直に告げた。



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