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奇人に別れを告げたその足で、婉蓉は皇毅の元へと向かった。
彼に自分の心を曝け出したあの日から、ずっと会わなければならないと思っていた人―。

ずっと自分の心が変わることを待ち続けてくれた。
手に入れようと思えば出来たのに、兄に一言言えばすぐにでも妻に迎えられたのにしなかった。

清清しいまでに誠実な人。
今日、その人の心と優しさを裏切る事となる。

長官室の前に佇みながら、婉蓉はゆっくりと息を吐いた。
緊張で身体がすくみ、喉が渇く。

こんな事は本当に久方ぶりだった。

けれど、それくらいの事を自分はしようとしているのだと思った。
そして再度大きく息を吐き出すと、目の前の扉を小さく叩いた。




「答えが見つかったか…」


入室した自分の顔を見た彼は、開口一番にそうそう告げた。
人の心の機敏に聡い彼ならば、自分の見つけた答えにすら気付いているだろう。

そう思いつつも、自分の口から伝えるのが筋だろうと思った婉蓉は、組んでいた指に力を込めて徐に口を開いた。


『皇毅様……』


――申し訳ありません


そう告げ様としたにも拘らず、言葉にならなかった。
代わりに出てきたのは、涙だった――。

謝辞すらも口に出来ないほど、罪悪感で胸が一杯だった。

ずっとずっと、傍で支え続けてくれた人。
冷たいと言われているけど、その胸の内は燃える業火の如く熱い人。

誰よりも誠実で、誰よりも優しくて、誰よりも――。


『…ごめッ、なさ、い…』


ようやく出てきた言葉は、考えていた言葉よりもずっと短絡なものだった。


『ごめんなさい、皇毅様……
本当に、本当にごめんなさいッ』


泣きながら、しゃくりながらも婉蓉は続けた。
いや、続けなければならなかった。

それくらいの事を自分はしたのだから。


『…待ってッいる、と言って…下さ…た、のに…
でも…忘れ、られ、なくてッ……思い出、になん、てッ…出来な、くて…』


子供の様にポロポロと涙を流しながら婉蓉は謝り続けた。
その姿に、ただじっと無言のままでいた皇毅はゆっくりと近づき、優しく婉蓉を抱きしめた。


「わかったから、もう泣くな…」

『でも…わたく、し…皇毅、様を!』

「俺が泣くなと言っているんだ」


――だからもう泣くな


そっけないけれど、優しさが含まれた声音だった。

こうなる事は分かっていた。
本当は待っている等と言うつもりは更々なかった。

ただ、どうしても欲しくて、傍にいて欲しくて、彼女の心に自分の居場所を確保していたくて告げてしまった。

そう、自分の我儘だったのだ。
良くも悪くも“一人を想い続ける”紫家の人間の特有。

それは彼女にも当てはまる事だった。
自分がどれ程足掻こうとも、彼女の中のあの男を消す事など出来ない事くらい分かっていた。


――それでも、彼女が欲しかった


何より許せなかった。
彼女を泣かせ、苦しめ続けて来たあの男が、今でも彼女の一番だと言う事が。

その事に彼女が苦しんでいるのを見ているのが辛かった。
だから彼女への逃げ道と偽りながら告げた。


その偽りが、彼女を悩ませると分かっていながら。

けれど、もういいと思っていた。
この一年、彼女は沢山悩んだ。


どうすればいいのか。
どうしたらいいのか。
どの道を選べばいいのか。


そしてそれでも、あの男を想っている事を皇毅は知っていた。
だから、彼女が自分を選ばなくても許そうと思っていた。

黙って彼女の選択を受け止めよう。
お前が気に病む必要はない、と告げ様と決めていた。


「お前はこの一年、あの男を思い出にしようと努力し続けていた
それでも出来なかったのであれば、それはお前にとってあの男が運命の男だったという事だ」

『運、命…?』

「そうだ」

『……』

「たとえ再び会う事は叶わずとも、あの男がお前の運命の男だったのだ

運命に抗える筈もない」


――だからもう泣くな…


背を流れるしっとりとした婉蓉の髪を撫でながら、皇毅は何度もそう続けた。






 

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