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ボーっとした表情で空を眺める婉蓉を、絳攸はただじっと見つめていた。


 茶器を扱う白い手

 背を流れる漆黒の髪

 花弁の様な唇

 穏やかな微笑み


離し掛けられているわけでも、触れられている訳でもないのに、彼の胸は強く大きく脈打っていた。

誰かに見惚れる――それはこういう事なのだと今なら理解できた。
心を持っていかれ、惚けたままの彼は、そっと片隅で囁いた。

先程まで恐ろしいまでの速さで動いていた筆は固まった様に動かず、墨が紙面に滲んでいる。
けれど、そんな彼を戒める者も、窘める者も今はいない。

劉輝は秀麗の護衛に、楸瑛は別口の仕事で席を外していた。
ここ数日の間、執務室で婉蓉と二人きり。

そう、この広く人払いのされた室で―。


彼女を愛しいと想う様になってから、一年が過ぎようとしていた。
特にこれといった進展もなく、ただ以前と変わらずに過ごしていた。

けれど、、その彼女が今年の春をもって後宮を辞すのだ。

想いに応えて欲しいと願った事はなかったが、何も告げずにこのまま永久の別れを迎えてよいのか。


 想うだけで十分だった

 その気持ちは今も変わらない



だが、もう二度と会えなくなると思うと、この想いを告げてしまいたいと望むもう一人の自分が声を上げていた。


 ―言ってしまえ―

 ―手に入れるんだ―



身体の奥底から自分でもぞっとするほど冷たく、熱情に満ちた感情が湧き上がる。

それを押さえ込むのに必死で。
初めて恋を知り、右も左も分からぬ状況の最中、絳攸は巡る思考の片隅で悩んでいた。


(俺は一体、どうしたいんだ?)


何気なく落とした小さな胸の呟きは、驚くほど絳攸の胸に染み渡った。
おそらく、自分でも分からぬ内に本能がそう主張していのだ。


想いを告げるのか、それとも―。

未だ出ぬ答えを求めて、絳攸もまた悩んでいた。
そしてもう一人、未だ出得ぬ答えを求めて彷徨う男がいた。







「これはこれは、御珍しゅうございますな……陛下」


長官が不在である現在の仙洞省を統括する仙洞令君・羽羽は、開口一番にそう告げた。
迷子の様に顔面蒼白な劉輝を、フワフワとした眉に隠れた瞳を細めて笑みを浮かべる。


「羽羽…」


言葉と共に、クシャリと劉輝の顔が涙に歪む。
続いて、まるで何かに縋り付く様に羽羽を抱き上げ、嗚咽を漏らしながら泣きはじめた。


「陛下…」


羽羽は何も言わずにただじっと劉輝の腕の中にいた。
そして、彼の涙に、彼女の秘密を知ってしまったのだと瞬時に悟った。

昔から彼が彼女を慕っていたのは知っていた。
幼い頃から、劉輝が彼女にどれ程支えられていたのかも。

その彼女を自分が追い詰めてしまったという事実と、“王”という立場の重さを知り始めたのだろう。

劉輝は優しいから、弱いから。
その重さに耐えられずにこうして涙を流している。







 

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