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婉蓉は一人回廊に佇んでいた。
凛とした姿が背からでも伺えていたが、今日は嫌に背中が小さく見えた。


(妾にも姫家の人間らしい所があったのね

ああ……だから秀麗様に嫉妬したのだわ
妾にはないものを、あの方は持っていらっしゃるから
だから―)


――嫉妬したのだ。

答えが出ると以外にもすっきりするものだと分かった。
知らないままでいたかったが、知った後の方が以外にも心穏やかでいられる。

なんとも不思議なものだと思った。


「婉蓉」


フウ、と耳元にかけられる吐息に、ゾワリと背筋が震えた。
甘いはずのソレが、まるで獲物を狙う獣の荒い呼吸にも思えた。

こんなことをするのは唯一人だけ。
そう思いながら後ろを振り返ってみると、案の定予想通りの人物がいた。



『…何の御用でございますか?凌黄門侍朗』


門下省次官、凌アン樹。
ジロリと冷めた視線を送っても、彼は顔色一つ変えずに婉然とした笑みを携えている。


(子猫が逆毛を立てるみたい…)


未だ警戒心を解かずに睨み付けてくる婉蓉を、彼はそう揶揄した。

皇毅には足元に擦り寄るくせに、なんだって自分にはそう警戒するのかな、などと考えながら、対面するように四阿の椅子に腰掛けた。


「昔みたいに、アン兄様って読んで欲しいな?」


ニッコリと笑いながらそう言った。

その笑みと内容に、ゲッと言いたげに婉蓉の表情が歪んだ。
正直、言葉にしなかったのが不思議でならないくらいの変わりようだった。


『ここは後宮ですよ』


(たしな)める様に言えども、彼の態度が変わることはなかった。

そんな彼女の事などお構いなしに袖口から桃を取り出し、ズイと婉蓉の前に差し出した。
剥いて、という言葉と一緒に―。

婉蓉が桃を剥く所作を見つめながら、アン樹はずっと笑っていた。
垂れた目が彼の顔を笑顔に見せたが、それは地顔であって笑顔ではない。

アン樹は婉蓉の前でだけ素直に笑う。
それは昔からそうだった。

彼は婉蓉が可愛がっていた。
だが同時に、苛めたくて仕方がなかった。

だから皇毅や悠舜に隠れて彼女をからかい、苛めた。
ほんの少しだけだが―。

見つかったりすれば、二人どころか旺季や陵王も加わり、彼に説教を垂れる。
特に陵王は婉蓉を猫可愛がりしていたから―。

その危険を合いまった刺激が、彼の小さな飢えを満たしてくれた。


今回もそうだった。
彼女を後宮から追い出そうと、内侍省を(けしか)けたのも、アン樹だった。

彼女が皇毅の傍にいれば、自分はずっと彼女を苛められる。
そう思ったから莫迦な宦官どもを煽ったのだ。

彼女は自分に靡かない。
それが嬉しかった。
けれど同時につまらなかった。

彼女を手に入れられないから―。
手に入れたい、と思いつつも、手に入らないでいて欲しい。
本当に不思議な想いをさせる娘だと思った。


「僕って病気なのかな?」


アン樹は不意に声に出して問うた。
その言葉に婉蓉は特に驚く事もなく、そうですね、と返事した。

病気―精神的なものではあるが―だと認識していながら、決して自分の心配をしてくれない。
その素っ気無さが彼の加虐心と欲望をそそった。


(藤の琵琶姫、ねえ…
全く、誰が呼び始めたのか

そうだ、この事もバラしちゃおうか

流石の婉蓉も、怒るだろうかな?
う〜ん、でもなあ…――)


【藤の琵琶姫】

婉蓉の事をそう呼ぶようになったのは、もう十八年も昔の話だった。
彼女が藤を下賜された頃からだった、と記憶の糸を手繰り寄せるようにアン樹は思い出した。


藤は王家に連なる紫の花
事実、紫草の次に王家の庭園に咲く花である

琵琶は紅家を示す神楽
紅家のお家芸とも言うべき琵琶は、紅家そのもの

姫は名の通り、紅門筆頭姫家
まるで深窓の姫君の如く、紅家が隠しに隠し続けた最後の切り札


何故婉蓉がこの二つ名を厭う理由を、アン樹や皇毅はよく理解していた。
これ程までに彼女を上手く示した二つ名はない、と本人が一番知っているからだ。

知っているからこそ、嫌だった。
いつ自分の出自が露見するのか、そればかりが不安でならなかった―。


(やっぱり止めとこ、流石にコレはやばいしね、
僕が陵王殿に殺されちゃう

でも、どうしたら婉蓉は皇毅のお嫁さんになってくれるかな?)


そんな事を想像しながら、アン樹は婉蓉の剥いた桃を食した。

彼は気付いていなかった。
自身が婉蓉に対して抱く感情の名を―。



To be continue...


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