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皇毅に別れを告げ、仕事に戻る途中、人の気配を背後に感じた。


「女官長ッ」


焦燥感に満ちた声色に留められた。
振り返ってみれば年若の女官が二人、眉根を寄せながら佇んでいた。

主上付き女官と筆頭女官である月影だった。


『どうしました?』


その問いに答えるために、一歩女官が前へ出た。
己や月影と同じく、劉輝の傍近くで使え、紅貴妃の事もよく知っていた。


「あの、月影様から…永の暇を取られるとお聞きしてッ」


涙声で告げる彼女に、自然と笑みが零れた。
きっと自分が後宮を辞する事となった理由を彼女は知っているのだと理解した。

中には年齢を気にしたり、結婚だったりと色々と想像を働かせているようだが、流石に高位の女官となると思い浮かぶ理由は深刻化していく。

こんな風に自分を案じて、尋ねてくる女官がここの所何人もいた。

 何故?
 どうして?

もっと御傍にあがり御仕えしたかった、と次々に退任を説得してきた。
初めて自分がこんな風に慕われていたのだと知った。

ひっそりと身を隠すように生きていた積もりだった。
人付き合いをなるべき避け、ただひたすらに王や公子に仕えてきた。

愛想がないと影で言われていた事ぐらい想像に容易かった。
それなのに、自分を慕い、王の妃にと奏上してきた女官が多くいた。

こんな自分を慕ってくれていたのだと、本当に嬉しくなった。

少しだけ心が揺らいだのも事実だった。
こんな風に思っていてくれてたなんて…。

後ろ髪を引かれる、とはこういう事を言うのと実感した。


『ええ、ご存知の通りです
妾は春の除目にて後宮を辞します

次の女官長は、まだ決める必要はありませんので、保留ということになります
ですが、優秀な筆頭女官が二人もいますから、仕事に差し支えはありません
安心して、陛下に御仕えなさい』


いつもの如く、柔らかな笑みを携えて告げれば、主上付きの女官はブンブンと首を振った。
納得できない、とばかりに。


「何故、婉蓉様が退任なさるのです
悪いのは貴妃様では御座いませんかッ

勝手に入内しておきながらお寂しい陛下を置いて後宮を辞し、全ての責任を婉蓉様に押し付け、御自分は幼少の頃よりの夢だった官吏になってッ…

今回の女人受験も、陛下に強請った事ではありませんか!!

王の前で叶わなかった願い事を口にするなど、後宮に於いての御法度で御座います
それなのに…ッ!!」


彼女の言葉に婉蓉の瞳が揺れた。
それと同時に、自分の心の内の醜い感情を思いしった。


 ―羨ましかった―


小さな小さな胸の呟きは、驚くほど婉蓉の胸の奥深くまで溶け込んでいった。
まるで始めからそうだったかの様に。


そう、婉蓉は秀麗が羨ましかった。
同時に妬み、嫉んだ。

両親の愛を一身に受け、誰かに命を狙われる事などなく平和に生きた彼女を、誰よりも―。

王位争いで多くものを失った。
それでも、結局は自分の望みを叶えてもらい、周りに支えられ。

全てを失った婉蓉とは、何もかもが正反対だった……。


同じ王の寵愛を得た女人でありながら、ある時期を境に、二人は鏡写しの様に相反する人生を送っていた。
分かっていた事でも、自覚すると何とも可笑しくてたまらない。

ギュッと拳を握り締めた。
この思いを知られたくなくて、体内に閉じ込める様に。


(情けない事…嫉妬するなんて)


溢れ出た思いを自覚し、その醜い感情に吐き気がした。
自分にこんな浅ましい感情が残っていた事に愕然とした。

けれど、どこかホッとしたのも事実だった。

あの日から、自分の心はずっと止まったままだと思っていた。
五年前の雪の日から―。

すっと瞳を閉じる。
脳裏を過ぎったモノを振り切るように強く瞼を閉じた後、ゆっくりと目を開けて口を開いた。


『……貴妃様の事をその様に仰るのは、お止めなさい
どこに耳があるか分かりません』


以外にも、貴妃を庇う言葉だった。
胸中では彼女の事を快く思っていないにも関わらず、紡ぐ言葉は正反対のものだった。

クスリと口元が緩む。

自嘲の笑みだったが、それに気付く者はいなかった。
彼女の笑みは、とても美しいから―。


<「婉蓉様は、御優しすぎますッ」

『…妾が、優しい…?フフッ!』


主上付き女官の口から放たれた言葉に、婉蓉は笑いながら言った。
まさかそんな風に思われているとは夢にも思ってなかった。
彼女は自分の何を見てきたのだろうか、と笑いが止まらなかった。


『妾が優しい、ですか……』


一頻り笑い終えると、繰り返しそう囁いた。
今度ははっきりと伺える自嘲の笑みを携えながら。


『覚えておきなさい……高い地位に上り詰めるには、優しさだけでは生きていけません
相対する者が惨酷であれば惨酷である程、それ以上に惨酷でなければダメなのです

紅貴妃様は確かに素晴らしい方です…
あれ程までに、頑なだった陛下の御心を変えたのですから

けれど、官吏になることが必ずしも国を変えるとは限りません
後宮から政を動かす事も出来るかもしれないのです…かつて紅貴妃様が行った様に

優しいだけでは生きられぬのが後宮、そして朝廷です
後宮で生きられぬあの方が、果たして官吏として生き残れるか……

妾はもう見届ける事は出来ません
ですから、妾に変わって、今度はあなたがあの方を見届けなさい』


顔(かんばせ)に落ちた影が、一層彼女の言葉を冷たく感じさせた。
声を上げることも出来ずに、月影と女官はコクリと頷くだけだった。
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