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「すまなかった…」


彼女の傍に近づき、劉輝は頭を下げた。
いや、下げずにはいられなかった。

気まずい沈黙が走る。
けれど、その沈黙を破ったのは穏やかな声だった。


『頭を御上げ下さいませ
妾は何一つ、怒ってなどおりません』


きつく結ばれた劉輝の拳を宥めるように、婉蓉の手が添えられた。

ハッと劉輝は頭を上げた。
髪隠れて見えなかったその表情は、苦渋を満ちていた。


「何故ッ…」

『え?』

「何故怒らない!?何故罵倒しない!?

婉蓉はいつだってそうだッ!」



ハッと瞳が大きく見開かれた。
怒の感情を表す事を苦手とする彼が、初めて声を荒げたのだから、当然と言えば当然だった。

彼は猶も声を荒げた。
今まで口に出来なかった想いをぶつける様に。


「婉蓉は今までずっとそうだったッ
葵長官に会えと言われても断固として受け付けなかった時も、いつもだ…

しかってくれればよかった、怒鳴ってくれればよかった
なのにいつも、婉蓉はそうだ

今の様に笑って、もう怒ってない、そればかりだッ!」


シン、と静寂が漂う。
荒げられた声が反射し、室に響きまわり、その反射も収まった後の息を吐く声が嫌に耳に残った。


「あの時もだ……」


ポツリと呟かれた劉輝の声が、静寂を引き裂いた。
零れそうになる涙に瞳を揺らしながら、唇を噛み締めて彼は言った。


「あれが死んだときも、婉蓉は弱音事を口にしなかった
それどころか私に謝罪をした」


“申し訳ありませんでした…劉輝様の御子をこのような事にッ
本当に申し訳ありませんでした”



脳裏の浮かぶのは五年前のあの日の言葉。
寝台の上で陶老師から伝えられた言葉に、婉蓉は泣き言を一切口にせず謝辞を述べた。


「悪いのは私なのに……そなたが後宮を辞すと言っていたにも関わらず、それを引きとめたのは私なのにッ
兄達に悟られぬ様にと必死だった婉蓉の努力を無駄にしたのに」


劉輝の瞳からこらえ切れなかった涙が零れ落ちた。
ポロポロと零れ落ちる涙を拭う事もせず、彼はただ唇を噛み締めていた。

生まれて初めて、感情のままに言葉を口にした彼は、初めて込み上げてくる感情を理解できなかった。
ただ、自身の胸に込み上げてくる感情が、酷く胸を掻き乱し、渦を巻いていた事だけが理解できた。


『申し訳あり―』

「謝るなッ!」


謝辞を口にしようとした彼女の言葉を遮るように、涙に声を震わせながら劉輝は怒鳴った。


「悪いのは私なのだッ
婉蓉が謝る必要がどこにある!?」


言葉を遮られた婉蓉は静かに瞳を閉じた。

辛くはなかった。
苦しくもなかった。

それどころか、嬉しかった。
彼が成長したのだと実感できたから。

自分のこれまで言動に、彼が不振を抱いていた事は理解していた。
けれど、それでも怒気を彼に向けなかったのは、ただ彼が成長して欲しかったからだった。

叱って欲しい、怒鳴って欲しい。

今まで優しさばかり求めていた彼が、次に求めたものがソレでよかった。
真実そう思っていた。


『解かりました…そう仰るのならばもう、謝辞は口に致しません

それと、今回とは別件に一つ申し上げたき事がございます』


よろしいですか、という問いに答える事もなく、劉輝は口を開いた。


「月影、それから叡長官からそながた(なが)(いとま)を請うていると聞いた
その事だろう?」

『はい』


静かに、けれど力強い声色で彼女は言った事に、劉輝はさして何も感じなかった。

月影から聞いていたから。

何より、これまでの彼女の行動を考えれば、よく理解できた。
自分と距離を保とうとしていた彼女の行動を思い起こせば、納得の答えだった。


『ずっと考えていた事でございました』

「いつからだ?」


間髪入れずに、劉輝は問うた。
ずっと、という言葉が気になった。

自分が察していた事は、自分が即位してからだった。
けれど、今の彼女の口振りからでは、その前からとも取れた。






 

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