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仙洞省と隣接した庭園に、彩月は佇んでいた。
未だ傷は痛むが、歩き回れるほどに回復しているのは、間違いなくこの身の“変化”故だろうと思った。
人目を避け、誰にも見られぬ様にと無意識に向かった場所が、この深閑とした庭園にある大きな禊用の池の前。
気付かぬうちにココへ辿り着いたと言う事は、己に穢れを祓いたかっったのかもしれない。
『わしは…、わたしは…!』
ギュッと己の身体を掻き抱いた。
おぞましい男達の手が、感触が、何度も身体を拭っても消えない。
そして己がどうやって生き延びたかを…。
ズルズルと地を這う、黒く長いナニカ。
男達の助けを呼ぶ声。
ダラリと力なくして項垂れる身体。
身体に纏わり付いた“雄の臭い”。
もう二度とあの様な“コト”はせぬと誓ったのに。
この世界に来て、いや、あの少女の涙を見た時から、決してすまいと決めた事を――。
忘れたい感触が彼女の心を蝕む。
“何故――、何故…?
何故、あの様なおぞましい事を――ッ!!”
『何の為に…わたしは…ッ』
ポタリと涙が頬を伝った。
零れ落ちた雫は、冬の風に乗って昊を翔ける。
続くようにポタポタと大粒の涙が零れた。
今度は御池に落ちて、多くの波紋を描いていった。
水面に写る己の姿が消え、グニャリと違う何かが見えて来た。
そう、これは――。
『……櫂、瑜…?』
水面に浮ぶのは、彼女が“暁の君”と呼ぶ少年。
柔らかな薄茶の双眸が、いつもの様な柔らかな笑みを浮かべる。
記憶の中の姿と全く色褪せぬ姿に、自然と笑みが零れてきた。
そっと瞳を閉じれば、聞こえてくる。
柔らかな声が耳元で囁く様に、脳裏に浮かんだ。
ゆっくりと胸の奥に染み込んでくる、鮮やかな声。
朝日が昇る――暁色の声。
『……櫂瑜、見るな――ッ!!』
御池に写る彼が今の己を見て何と思う?
この穢れた、浅ましくもおぞましい、穢れた私を――。
彼には見られたくなかった。
こんな自分を見られて、幻滅されるのが恐かった。
――バシャンッ…
見るな、見るなと叫びながら、彩月は水面に身体を投じた。
腕を振り回し、濡れる事も厭わずに水を掻き揚げる。
音を立てて揺れる水面。
揺らぐ彼の姿。
けれど、暫くすればまた彼が浮んでくる。
あの優しい笑みを携えて。
風に乗って聞こえてくる、暁色の声が…。
『お願い、櫂瑜
わたしを…見ないでッ』
流れる涙が水面に浮ぶ。
けれど、波紋が浮ぶ上にも彼の笑みは消えない。
大宮で見たころと変わらぬ笑みを浮かべる姿が胸を刺した。
見ないで。
見られてしまったらきっと彼は己を幻滅する。
幻滅されて、きっと穢れたものを見る様な目で自分を見る。
もしかしたら、目を合わせてもくれないかもしれない。
彼が好きなわたしは、もう、いない――。
To be continue...
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