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「彩月殿…わたくしは――」


――逃げてまいりました


そう告げ様としたけれど、最後まで言葉を紡ぐ事は出来なかった。
今、彼の脳裏にあるのは、貴陽へ上洛する前夜に彼女から告げられた言葉。


“姫様を頼んだぞ、羽羽”


自分がいなくなった後の瑠花の孤独を埋められるのは、己だけだと告げた。
姫様は誰よりも深い孤独に、いつも怯え、苦しんでいる。

和らげる事は難しいかもしれない。
けれど、誰かが傍にいるだけでそれは変わる。

彼女はそう、自分に教え、諭した。
己は“是”と答えた。

ずっと姫様のお傍で御仕えしていく。
そう約束したのに――。



『よう耐えてきたの、羽羽』



その言葉に、羽羽はハッと目を見開いた。
どうして、と困惑に満ちた表情で彼女を見つめ返した。

けれど、視線の先の彼女は穏やかにただ微笑むだけ。


その笑みに、嘆を切ったのように羽羽は泣いた。
まるで幼子の様に声を上げて。

ポロポロと滂沱の如く溢れる雫は、彼の頬を伝い、寝台に大きな染みを次々と作っていく。


『よう頑張った…
よう頑張ったの、羽羽』


ただそれだけを口にしながら、彩月は羽羽の髪を撫で続け、慰めた。
そしてその言葉が、どれ程羽羽に深い後悔を滲みませたか。

罵ってくれれば良かったのに。
怒鳴り散らしてくれれば良かったのに。

それなのに、どうして彼女は――。


『泣くでない、羽羽
そなたはよう耐えてきた

泣くことはない』


こんなにも優しい言葉をくれるのだろうか。

声を上げて泣く最中、瑠花の顔が瞼の奥に広がった。
傲岸不遜で、いつも眉間に皺を寄せていた高貴の姫。

時折見せてくれる優しい笑みに、羽羽はいつも嬉しそうに笑みを返した。
傍にいられればそれで幸せだった。

けれど、いつしかそれだけでは満足できなくなっていった。


傍にいたいのに、傍にいる事が何よりも辛かった。


(ごめなんさい、姫様
わたくしの姫様…瑠花姫様)


心の中で何度も告げる羽羽の謝辞が、柳玉と彩月の脳裏に響き渡る。


ずっと、ずっと耐えてきた。
叶わぬ恋と知っていた。

触れる事すら許されぬ不可触の姫。


それでいいと彼は思っていた。
けれど、己の身体が“男”へと成長するにつれて、想いは別の方へと突き進む。

抱いてはならない、禁忌の情。
一族を統率する姫に対して抱く感情でなかった。


――触れたい


その欲が、少年である羽羽の心を締め付けた。

大切な人。
大事にしたくて、仕方がないのに。

想いは別の方へと膨れ上がっていく。


逃げ出したくて仕方がなかった。
櫂瑜の様な純粋な想いを抱けない己が、汚らわしく思えて…。


こんな自分が姫様のお傍に侍るなど、どうして許されよう――。


そう思って、逃げてきた。
この想いから逃れられるはずもないのに。







 

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