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『霄殿、そなたから見て御史大夫はどの様な人物か?』
王の執務室でばったり出くわした彼に、彩月は単刀直入に問う。
「そうですね……このご時世に珍しい、柔和で仕事にも真面目な方、でしょうか」
『そうか…』
素っ気無い返答を返すものの、どうにもひっかかりを覚えてならない上、どうにもこうにも頭が働かない。
数日後には朝賀もあると言うのに。
情けない事だと自身を卑下しつつも、彩月はこれまで休む事なく針の筵で戦ってきたのだ。
疲れを感じるのも当然。
朝賀には紅藍が来るとの報告。
そして、縹家からも名代を遣わす、との報せもあった。
近年まれに見る、豪華な顔ぶれになるな、と今から期待感に心が染まると同時に、いかな不祥事も許さぬわけにはいかないという緊張感に包まれる。
思わず笑みが零れ、同時に拳に力が入っていった。
「こ、これは縹長官ッ!」
焦りの隠せぬ空笑い、不況を買わぬようにと勤めて、恭しく頭を垂れる姿。
己が入朝した頃、女狐猊下などと戯言を吐いた人物と同一だとは思えない程、滑稽な様であった。
そう、吏部尚書である。
ヘラヘラと笑うダラシナイ表情に、大の男が情けないと思わずにはいられなかった。
後宮入りの際の件以来、男はこうして己に媚び諂う様になった。
はじめは己の気性を目の当たりにしたからか、などと思ったがどうも違う。
どうやらこの男、処刑された男と裏で繋がっていたらしい。
この男だけひっそりと罪から逃れ、今も必死なのだと思うとクツリと卑下の笑みが零れる。
(可愛い狐だこと…)
以前はもう少しましな、もっと気骨のある男だと思っていたが、存外に期待はずれの様だ。
それと同時に、奸臣にしてもろくな人間がいない事を実感した。
だが、彩月が前を通り過ぎた後、この男の口元が嫌に笑っていたのが気にかかった。
千里眼、という程ではないが、彩月はそれなりに”広い眼”をもっている。
今も、見ようと思えば彩区の紅藍貴陽本邸内を覗くなど、容易い事であった。
いつもならばした。
だが、どうも近頃体がおかしい。
やろうと思っても、中々体が言う事を聞かなくなってきた。
やはり年なのか、とも思った。
(…年……?)
ふと、立ち止まる。
違和感を感じて、その場で考え込む。
彩月は今年で三十になる。
"こちら"に来たのは二十四の頃で、それから六年が過ぎようとしていた。
流石に、身体に変化が現れても可笑しくはなかった。
顔の皺であったり、筋力の衰えだったりと、二十二を超えた辺りに感じた違和感を、また感じる時期が来ていた。
だが、そのどれもを感じる事はない。
化学物質がないためか、はたまたこちらの生活が身体にあっているのかは分からぬが、どうもあちらにいた時よりも身体の調子が良い。
以前は年より上に見られる事もあったが、今では若く見られる。
王に年はいくつだ、と尋ねれらた時、陛下の三つ下だと答え、驚かれた事は記憶に新しい。
だが、いくら若く見えようにも限度があった。
何より、衰えるはずのものが衰えない。
まるで自分の身体の時が止まってしまった様にも感じ取れた。
(時が、止まる…?)
瞬間、ブルリと大きく身体が震えた。
何か得体の知れない、大きな影に包まれた様な、そんな感覚。
自分が自分でなくなる様な、そんな恐怖に見舞われ、強く身体を抱きしめる。
不安は不安を呼ぶ。
何か、何かに縋りたいと思った。
気が付けば、霄を求めて回廊を突き進んだ。
途中、己に頭を下げ、挨拶をしようと近づいて来た官吏もいたが、それすら目に張らない。
無我夢中で、霄の元へと足を運ばせた。
彼ならば、全てを答えてくれると信じて。
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