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『縹家は神事の一門なれど、そは本質にあらず』


バッと男が顔を上げた。
何の感情も宿さぬ、冷たい相貌で男を見下ろしながら、彩月は続きを口にする。


『古の(えんじゅ)の制約より、か弱き者の擁護者、最後の(とりで)

誰であろうとも、助けを請う者の手を振り払う事はまかりならぬ

まあ、仙洞省相手にここまでやろうとした事だけは褒めてやろう
まだその様な気骨のある男がおろうとは、思っても見なかった』


目の前にいる男は、その身体を大きく震わせていた。
彩月が告げたその言葉の意味に、どれ程の覚悟と信念が篭っているのか。
男は知らない。


けれど、今男の心に浮んできたの、かつて自分たちが今まで見て見ぬ振りを続けてきた、か弱き者。
幾度も払い除けてきた、助けを請う者たちの手と声。

自分たちが歌宴にふけている間、多くの者たちが苦しんでいた。
苦しんで苦しんで、そして――死んでいった。


初めの頃はそれが辛くて、必死に耳を覆い、目を閉じていた。
何も出来ない自分が情けなくて、情けなくて。

いくつもの夜を、泣き明かしてきた。

そしていつしか、民が飢え苦しみ、死んでいく事が当然となっていた。
心が慣れてしまっていたのだ――。





己がこの言葉を、誰かに向かって紡ぐとは思ってもみなかった。
あの日“時の牢”で見た、瑠花姫の言葉を、まさか己が――。

零れ落ちそうになる涙を堪え、強く瞳を閉じる。
そして、震える声で、彩月は猶も続けた。


『それこそが縹家の誇り、絶対の不文律
縹家の祖たる蒼遥姫が、かの蒼玄王と交わした約束

その約束を果たす為、縹家は男女の区別なく学問を奨励し、多くの巫女、術者、学者、医師を輩出して来た

縹家は政事に関わらぬのが定石
されど無関心であってはならなんだ

その我ら縹家が、政事に疎い筈があるまいッ』


何を言いたいのか、男には理解できた。
己を、いや縹家を見くびっていた事を知っていると告げたいのだ。
そして、縹家の本来の姿を。

大業年間の間に堕落した縹家は、縹家に非ず。
そう示したいのだろう。

男は何も反論できなかった。
自分たちが見殺しにしてきた“か弱気者たち”を、その縹家が救い上げてきたのだから。

飢饉、疫病、蝗害、旱魃、洪水。

これらの災害から、縹家は民を擁護してきた。
その間、何度も朝廷に要請をしてきた。
民たちの救援を――。

けれど、王をはじめ、臣下たちは誰一人耳を貸さなかった。
朝廷(われら)が縹家を見くびるなど、あってはならないのだ。

朝廷(われら)こそが、縹家に見くびられていのだから。



「ふ、ふふふ……ははッ」


突然、男は声を挙げて笑い始めた。
小さな声を挙げながら――己を、朝廷の百官を嘲笑うようにして。


「負け申した……縹令君…」


溜め息を溢すが如く、囁く様に男は告げた。
その声には先程までの悔しさは微塵も感じられない。

心からそう思っての言葉だった。


『……愚かな男じゃ、そなたは…

斯様な(はかりごと)など企てず、かつての志を(たが)う事なく陛下に御仕えしておればよかったものを…』

「全くですな……わたくしも、随分と耄碌(もうろく)してしまった様です」


眼前の男に対する“惜しい”という感情が、溢れてならなかった。

己の言葉に耳を傾け、心を傾けた程の男。
もう少し刻が早ければ、斯様な無様な姿にならずに済んだ。

囁いた言葉に、男もまた同調した。
かつての様に志を保ち、国を思っていれば、と――。


御史に明け渡され、連行される男を、彩月はじっと見つめていた。

小さな背中だった。
小さくて、今にも崩れ落ちてしまいそうな程に儚い。


『もしあの男が初めから養女だと申し入れをしていれば、()の娘は国母になっていた…

どこで見つけたかは知らぬが、まこと、世に二つとない星の下に生まれた娘であった』


王の世継ぎを望む仙洞省として、何が何でも欲しかった。

けれどそれ以上に、あの男の言動を許す事が出来なかった。
王を欺き、己を貶め入れ様とした――。


(それさえなければのう……)


小さな溜め息が、いやに哀しく響いた。
数日後、男は王をかどわかそうとしたとして、極刑を賜った。







 

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