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“今日もまた一段と艶やかだな”

“お前は本当に美しい”

“今宵も楽しみにしている”

“お前は本当に具合のいい女だ”






ハッと目が覚めれば、それが夢だとわかった。

そう、夢を見たのだ。
留学時代の頃の――もう、十年以上も前の夢を。

あの頃、音楽家になる事を夢見て欧州に飛び立った蓮は、本当に世間知らずだった。


己の才のみで成功する。
己にはその才がある。

そう信じて疑わなかった。
けれども――。

けれども、待っていたのは人種差別や性差別。
そして“力”や“財”がなければどうにもならないという、哀しくも残酷な事実。

著名な師に師事しているわけでも、有力な支援者に恵まれているわけでもない。
己の身一つで旅立った蓮にとって、そこは蟻地獄の様な世界だった。

足掻いても足掻いても上には昇れない。
それどころか、いつの間にかどんどん埋もれていく。


“私はこんな所で終わる女じゃないッ”


そう胸で叫びながらも、結局はその世界の習慣に呑まれていってしまった。

気付けば、自身が嫌悪してならない“周囲の音楽家達”と同じ事をしていた。
貧しさに堪えられなくなって――。

小さな果実を、二日に分けて食したこともあった。
冬の寒さに凍え、泣きながら夜を明かした事も。

そして、音楽の勉強や生きていく為に仕事に明け暮れ、いつしか音を奏でる時間が減っていく。

堪えられなかった。
何の為に、全てを捨てたのか。
だから――。

自分の祖父とも変わらぬ男達と夜を共にする様になっていた。
酷い時は日に何度も、いや一度に何人もの男を相手にする事もあった。


そして、知った。

自分だけが辛いと、貧しいと思っていた。
哀れな身の上なのは、自分だけだと。

だが、実際はほとんどの音楽家の卵達が、こうして身売りをしていた。
国や親からの支援に恵まれたものもいる。

それでも、多くの者達がこうして自分と同じ様にして生きている事を目の当たりにした蓮は、初めて自分が恵まれていた事に気付いた。

母と離れ離れになろうとも、父の顔を知らぬとも、蓮には養母も義母もいた。
裕福ではないけれど、温かく自分を包んでくれる人がいた。


(わたしは…幸せだったのに、それを捨ててこんな所まで堕ちてしまったッ…
莫迦だわ、なんて莫迦なのッ!

あのまま平凡に、平穏に暮らしていればよかったものを…ッ!)


それからの蓮は自暴自棄ともいえる所業に走った。
明くる日も明くる日も男達に身体を開き、まるで自分の愚かさを忘れる為に欲に溺れていった。

己の音が変わっていく事にも気付いていたのに。
これ以上堕ちれば、二度と這い上がってこれないと分かっていたのに。

蓮はそれすらも拒む様に深い闇に埋もれていった。


気が付けば一年が過ぎ―――子を身篭っていた。







『つまらぬ夢を見たな…』


遥か昔の事を思い出した彩月は、ポツリと小さな呟きを溢した。

もうとうの昔の事。
そして、いくつになっても己の心を騒がしてならない。

けれど、何度あの時に戻ろうとも、己は同じ選択をしただろう。
嘗てあるはずだった“幸せの象徴”を捨て、全てを捨て、己の行くべき道を見出した彩月は、迷う事なく同じ道を歩む。

たとえそれが、生涯を通して己に黒い影を背負わせる事になろうとも―。







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