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邸に戻り次第、直ぐに禁苑に向かい、(みそぎ)を済ませて開門を行った。

自分もお連れ下さい、と言った侍従は置いて来た。
あれほど感情の起伏の激しいあの男を連れて行くのは、王への就任挨拶の前にはまずいと踏んだからである。

一人開門を行い、開かれた通路。
やはり貴陽であるからか、縹家で行うのよりは随分と負担がかかった。


(この様な場所で、神事系の負担に耐えておられたのか…)


仙洞省という、幾許か自由の利く場所ではあるが、未だ見ぬ令君に対して感嘆の息を溢した。
果たして自分は、これに耐えながら民を導く事が出来るのか。

少しばかりの不安が、彩月の心を蝕んだ。





『ここが、仙洞省……』


暗黒の道を一人突き進み、辿り着いたのはいかにも清廉とした空気の漂う宮だった。
仙洞省の窓からは仙洞宮が(そび)え立つのが見えた。


『あれが世に名高い仙洞宮か……
なる程、“時の狭間”とは異なるが、何とも言えぬ気が漂うておるわ』


時の牢で、蒼遥姫から聞かされた事を思い出しながら、彩月は先を進む。

歩いても歩いても、先の見えない道。
まるで、縹家の大宮の中を彷徨っているような気がしてならなかった。

それでも彩月は迷わなかった。
まるで強い何かに惹きつけられる様な、そんな感覚。

ナニに?
そんなのは言うまでもなかった。
そう、この貴陽でこれ程までに強く惹き付ける存在。


――猊下


身体が弱っていると聞いた。
齢六十に届こうとしているにも関わらず、未だこれ程までに己を惹き付ける神力を宿す、誇り高き令君。




もどかしくて、もどかしくて。
気が付けば通路を開いていた。
早く会いたくて――。

あの瑠花が、数多い兄弟姉妹の仲で璃桜と同様に気に掛けていた存在。
この貴陽で腐らず、廃する事もなく“縹家の誇り”を持ち続けた人。


「この貴陽でこうも軽々と通路を開かれるとは……流石は彼の大巫女が認めた方だ」


通路の向こうで佇み、己を待っていた人は会って早々、小さな笑みを携えながら言った。

縹家特有の黒髪と、それに交じる幾筋もの白髪。
思慮深げな漆黒の瞳。
その身に漂う崇高で清らかな気。

間違いなくこの方だ、と思った。

瑠花と合い間見えた時と同じ様に、彩月はゆっくりと彼の元に歩を進める。
そして、纏っていた紗を外すと、静かに跪拝した。


『お初にお目にかかりまする、猊下』


その美しく、高雅に満ちた所作に目を細めながら、彼は口元を緩めた。
(おもて)を御上げなさい、と柔らかな声に、彩月はゆっくりと顔を上げた。

ハッと彼は瞳を見開いた。
なんと美しい女であろうか、と――。


見事な濡羽珠(ぬばたま)の黒髪

透き通る様に白い肌

雷光の如く煌めく、力強い瞳


女人を絶った彼ですら思わず触れたくなる様な紅き唇。
本当に美しい女だった。
思わず、彼は喉ゴクリと嚥下(えんか)した。


「そなたが、縹彩月…」


擦れた声で囁かれた言葉。
思わず惚けてしまった自身を叱咤するが如く、彼は(かぶり)を振る。


『此度、あなた様に代わりまして、新たに仙洞令君の任を拝されました、縹彩月と申します』


笑っているわけでもない。
それでも、どこか笑みを浮かべている様にも思えた。







 

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