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碧家に宝鏡の製作を依頼する。
それは、碧家が当代随一の芸術家の命を失う事である。
分かっていた事だが、実際の状況に陥ると胸が痛んだ。
蓮自身、楽に対して並々ならぬ自負を持っていた事が何よりソレを煽った。
(国の為に――たった一枚の宝鏡の為に、己のこれからの芸術家人生、人としての人生を捧げねばならぬのか…)
いくら国の為とはいえ、余りにも大きな代償。
もし宝鏡製作が己に依頼されれば、果たして挑む事が出来るだろうか。
蓮は嘗てたった一度だけ、家という柵を捨てて、遠き海を超えて音楽の都へ旅立った事があった。
音楽家としての才を発揮させる為、自らの才を皆に知らしめる為。
全てを捨てて身一つで行った。
だが結局、自身の夢を叶える事はなかった。
多くのモノもを失い、未練は残ったまま帰国の途につき――。
それでも、一族の誇りの為に自らの夢を封印した。
生半可な覚悟では、重いを家名を背負う事など出来ないと分かっていた。
そしてそれは、この国に来ても同じだと知った。
きっと依頼された碧家の者は受けるだろう。
“彩雲国の鎮めの宝鏡を製作する”のが、碧家の人間の存在意義でもあったから。
ただ芸術に秀でただけの一族ではない。
“あるモノを沈める”宝鏡を造る事が出来る、唯一の家としての誇りの為に。
そうして、誰かが誰かの為に…。
不意に蓮の心が大きく揺さぶられた。
涙が零れそうだった。
志の違いだったのかもしれない。
自分の音楽家としての才を終ぞ開花させられなかったのも、碧家の人間と比べて自分の演奏がなんと薄っぺらいものだとと実感させられたのも。
自分の為に演奏し続けてきた。
己の才を証明する為に旅立った。
誰かに音楽の素晴らしさを伝えようと思った事など一度もない。
いつも自分の為だった。
自分の才に相応しい名声と富を求めた結果が、あの末路なのだと今更ながら思い知った。
(やはり、わしには楽を納める者になどなれなんだ…
否、なる資格などなかったのじゃ)
出てきた答えに、自身でも驚く程素直に納得出来た。
きっと心の中でずっと思っていたのだろう。
自分の音が濁って聞こえるのも、己のこの醜い心を表していたのだ。
“ロザリー”
曾祖母の声が聞こえた様な気がした。
嘗て彼女に楽の手習いを受けていた時、一番初めに教えてもらった事。
“ロザリー、音はね、何よりも正直なの
どんなに繕っても、嘘で塗り固めても、音は正直なのよ”
今になって、この言葉の意味を本当の意味で思い知った。
『よいか!碧家の宝鏡の製作は未だ始まったばかり
瑠花様も弱られた令尹の分まで凌いでおられる
今回の神事系の対応は我らのみで行うのじゃッ!』
腹の底から出された声が、ビリと身体中を駆け巡る。
怒気を孕んでいるわけでもなかったが、不思議と彼女の声は士気を高めた。
新参者の分際で、と不満の声を上げる者もいた。
だが、瑠花が直々に蓮を指名し、上位の術者や巫女がこぞって彼女の言葉を真摯に受け止めているのだから、下位の術者や巫女に抗う術はなかった。
『柳玉殿は、至急藍州に向かい鎮めの二胡と祝詞を』
「しかと心得ました」
先程、通路越しに言葉を交わした上位の巫女に命じれば、彼女は拝礼を行った。
矜持が高く、瑠花が現れるまでは大巫女候補の一人であった巫女・柳玉。
その彼女に臆する事なく命令を下した蓮に、若輩の術者や巫女は感嘆を息を静かに零した。
柳玉が従うならばという感じが否めないが、確実に蓮を見る目が変わりつつあった。
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