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「わたしの姫様、蓮姫様」


少年は何度も蓮を呼ぶ。
愛しそうに、心込めて。

少年の呼ばれるだけで、込み上げてくるモノがあった。
遠い昔に封じた、幸せだった頃の記憶。


羽羽の友人だという少年。
縹家の姫ではない、姫と呼ばれるような年でもない、と何度告げても、少年は蓮を姫様と呼び続けた。

そう呼ばれるうちに蓮も慣れてゆき、いつしかそう呼ばれる事が当然だと思うようになった。

何故己をそう呼ぶのか。
気になった蓮は、少年に問うた。


――わたくしの姫様……


「羽羽は、璃花姫をそう呼んでいます
その声のなんと素晴しいことか、と胸を打たれたのです

鮮やかで、儚げで、涙が零れるほどに胸に染み込む声色……そう、遥かなるこの天空の大宮から覗く、黄昏色の夕焼けの様な――」


黄昏色の夕焼け。
そう言葉に表されて納得した。

羽羽が璃花姫をそう呼ぶのは知っていた。
その声色に、その短い言葉に、彼女に対する全ての想いが込められていた。


愛しています

お慕いしています

ご尊敬申し上げます

この世の誰よりも、あなたを大切に思っています


そう言われている訳でもないのに、何故かその短い一言だけでそう囁いている様な気がしてならない。
同時に、そうまで想われている璃花姫を少しだけ羨ましいとも思った。


口に出すだけが愛ではない。
抱きしめて愛している、と囁くだけが愛情ではない。

羽羽の言葉はまさにそれだった。
涙が零れるほどに美しい、黄昏色の夕焼け。

蓮も、その美しさに魅入られ仕事も(そぞ)ろになった程。
その色彩(いろ)に魅せられ、真似る様に少年は蓮を呼び続ける。


“わたしの蓮姫様”


羽羽が黄昏色ならば、少年の声は暁色。
羽羽と同じ様に、全ての感情が込められた朝焼けの声。

誰よりも大切に思っているという何よりの証。
嘗て己をそんな風に愛してくれた人の記憶が、様々と蘇える。

同時に、そんな人を裏切ってしまった己の罪深さに、胸が押し潰されるような痛みに襲われた


(ああ、そうか、だからか…)


裏切りが許せなかったから。
もう一度誰かと愛し愛されるなど、と――そう思っていたのだ。

だから少年の名前を呼べなかった。


『――   …』


少年の名を紡ごうとしたが、やはり言葉にはならない。
呼びたいのに、許せない己がいる。

そんな葛藤に、自嘲の笑みが零れた。


(迷う事が出来るほど、今のわしには選択肢があるのじゃな…)


以前は迷えなかった。
いや、迷う事がなかった。

それなのに、何故か今回に限って迷っている。
“巫女”となる為には生涯不煩を誓うと決めた筈なのに。


「姫様……わたしの蓮姫様」


にっこりと笑みを、柔らかな笑みを携えながら少年は名を呼んだ。
どうしてか、涙が零れそうになる。

迷いすらも吹飛ばす様な、柔らかな暁色の声――。


その呼び掛けに、蓮の心は負けた。
迷いを吹飛ばし、己の心を決めさせた。

いや、決めた事すら蓮は気付いていない。
導かれる様に蓮はゆっくりと口を開いた。

ずっと言えなかった、少年の名を――。


『何じゃ、櫂瑜……?』


柔らかな微笑と共に、彼女は雲間に覗く朧月色の声で少年の名を呼んだ。






 

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