春風melody/後編
指先が震える…。
(どうしよう…どうしよ…)
ピアノは弾ける。おばあちゃんに習ったから。
でも…
(いざ弾くとなると…緊張して手が動けない…)
真斗のあの演奏の後なら尚更。クラス中の視線がプレッシャーとなって春歌の肩に重くのし掛かる。
(どうしよう…)
ふと、おそるおそる顔を上げると視界の端にユエが写った。春歌はハッとしてユエを見る。
(ユエちゃん…)
ユエの瞳は深く澄んでいて真っ直ぐに春歌を見ている。
(春歌ちゃん…緊張するよね、大丈夫だよ…)
ユエは崩れそうな春歌の瞳を見ながらゆっくりと微笑んだ。
(…!不思議…声には出さないけど、ユエちゃんが大丈夫って言ってる様に思える…)
下から這ってくるような冷たさが、スッと退いていくのが分かった。代わりに春の木漏れ日の様な暖かさが春歌を包む。
(大丈夫…私、できます)
ユエに答える様に春歌もふわりと、微笑んだ。
そして紡ぐ音楽。
(優しい…春歌ちゃんみたいな音…ふわふわに弾んで…止まって…歩くみたいに…楽しい…)
初めて聞いた春歌の演奏にユエは心からの拍手を送った。春歌の音楽好きだよ、という気持ちを込めて。
真斗はその視線をユエへと向ける。彼は春歌がユエへと微笑みを向けた事に気付いていた。ユエの存在が春歌を励ました事も。
(月村の…美しい…微笑みだったな…見ているだけで暖かく励まされるような…)
と、そこまで考えて真斗は思考を止める。頬を微かに赤く染めて。
その微笑みを俺に向けてほしい、とほんの一瞬だけ考えてしまった。
(いかんな…今日は書道で精神統一をしよう)
「なっちゃ〜ん!!よろしくねっ」
「はぁい!林檎ちゃん先生!」
お次は那月。林檎に呼ばれ嬉しそうに立ち上がる。
「四ノ宮那月です。アイドルコースですよぉ。ピヨちゃんと翔ちゃんとお料理と可愛いものが、だぁいすきです!」
(翔ちゃん…?)
大きな身体に似合わず彼は可愛いものが大好きな様子。そう言う彼もふわふわとお花を飛ばす様子は可愛いと誰もが思うのだが。
「そういえばなっちゃんはヴィオラがすごーく上手なのよね?コンクールで何度も優勝しているんでしょう?」
林檎がそう言った瞬間、那月の顔が曇った。
「あ、ヴィオラは…」
「ちょっとだけ弾いてくれないかしら?私せわひ聴きたいわぁ!」
(四ノ宮くん…?)
林檎に賛同する様に大きく鳴り出す拍手に那月は困った顔をして渋々楽器を構える。流れ出した音楽は−…
(すごい…力強い!心に深く響いてくる…)
いつものふわふわとした雰囲気からは想像も出来ない様な芯のある力強い音。コンクールで優勝しているというのも文句無しで頷ける実力だった。
…1つだけ気になるのは那月の暗い表情。何かの苦しみに耐えるように弦を引く。
(何か…あったのかな)
気にはなるが、其処は深く入ってはいけない那月の心こ奥底。大絶賛の拍手の中、彼が浮かべる表情はやはり固い物だった。
いろんな生徒がそれぞれの色をアピールして。
ユエの順番が回ってきたのは一番最後だった。
「そういえばあの子さ…すごい可愛いんだけど話してるのまだ見てないよね」
「えー?何でだろ?喋れないのかな」
「金髪、ふわふわ…やばいよな」
「あの可愛いさはアイドルコースだよな!絶対!」
至る所から聞こえてくる自分への言葉。ユエはそれら全てを無視して教壇に立ち、黒板を指差しながら林檎に向かって首を傾げる。
「黒板?もちろん使っていいわよ」
どうやらユエの考えていることが分かったらしい林檎は快く了承してくれた。ユエは頷き返し
何も書かれていない綺麗な黒板にチョークを滑らせていく。
『月村ユエといいます。作曲家コース。病気の為、声を出すことが出来ません。よろしくお願いします。』
そこまで書いてクラスの方を向いて、一度お辞儀をする。戸惑い、あるいは怪訝な表情がたくさんある中に、春歌達が心配そうな顔をしているのが目に入った。
(普通はそういう反応だよね…春歌ちゃん達優しいんだもん)
見かねた林檎がピアノを披露してはどうだろうか、と声を掛ける。
ある程度の楽器が弾けるユエ。その中でもピアノとドラムは特に得意とするものだ。
(何弾こうかな…)
ピアノの前に行きながら思考を巡らせる。耳に入ってきたのは又しても自分に関することだった。
「話せないって…どうやって曲作るんだよ…」
「まぁアイドルコースじゃないしな…」
「筆談とかするってこと?超時間掛かるじゃん…」
「えー」
(…決めた…ちょっと一泡吹かせる)
そんな風に言われっぱなしになるのは性に合わない。自分だって好きでこの病気になったんじゃない。藻掻いて、もがいて、たくさん考えてきた。
ユエの瞳が微かに強くなる。
それにいち早く気付いたのは那月。
(ユエちゃん…どうして…)
「ユエちゃんは何を演奏してくれるのかな?」
『すぐに思い付かなかったので適当に即興で弾きますね。聞き苦しかったらごめんなさい。』
「おぉっ即興!?作曲家の腕の見せどころね〜!!皆拍手ーっ!!」
躊躇いがちに手を叩く音の中、ユエは深呼吸をして奏で始めた−…
「「!!」」
(春らしい…アップテンポで軽い曲。スタッカートで弾んで歩くみたいに。連符で春風が吹くように。桜が舞い散る優しい儚い世界−…!)
無意識の内にユエは歌い出す。
本当に歌っているかの様に。
(楽しい!)
弾むビート。
外から聞こえてくる小鳥のさえずり。
頬を伝う汗。
自分の空気を震わせる息。
クラス中の固まった雰囲気さえ。
今だけは全てが私の音楽の味方。
yueの時に何度だって味わってきた、忘れられないこの感覚。
最後の鍵盤を打ち鳴らして…ユエは音を放った。
シン…と静まる中、最初に立ち上がったのは音也。
「すっ…すっっっげぇー!!!オレ…オレ初めてこんな音楽聴いた!!ワクワクしてキラキラしてて…感動した!」
音也の興奮した声と拍手につられるように皆が立ち上がる。
中には顔を真っ赤にしている者。
中には涙を浮かべる者。
中には少し面白くなさそうな者だって。
予想を遥かに上回る反応にユエは恥ずかしそうに黒板を消した。
(やっぱり…ユエちゃんは歌いたいのよね…)
少し切なそうにユエを見つめる林檎と、
(ユエちゃん…嫌な事一杯言われたのに…どうして…)
不思議そうな顔で胸を押さえる那月と。
こうしてユエは最初の関門を乗り越えたのだった。
(優しい貴方達に出逢えた事へ)
(春色の風が吹くメロディーにのせて)
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