僕のお姫様








『わたし、貴女みたいな、かっこよくて素敵な女性になりたいわ!』


そう言った彼女は、今でも僕の大事なお姫様だ。



「あっ、王子様!ごめんなさい、お待たせしちゃったかしら?」

「ううん、大丈夫、待ってないよ。雪白こそ、今日は随分早く来たね」

ふりふりの青いワンピース、黒くてさらさらの長髪、愛らしい表情。僕をデートに誘った張本人。にこっと笑った顔がとてもかわいらしい女の子。そんな彼女が頬を膨らませて言う。

「だっていっつも王子様を待たせちゃうから、ちゃんと早く来ようと思ったのよ」

「ふふ、ありがとう」

僕はこの子が好きで好きで、かわいくてたまらなかった。目に入れても痛くない溺愛ぶりとはこのことである。だから出会ってから今まで、デートの誘いを断ったことはない。僕とは10歳近く歳が離れた彼女とももう3年の付き合いになるが、その間一度も、である。もともと土日の予定は入れない方だったし、部活もしていなかったから、そのために断る用事もたいしてなかったのだが、それでも用事のある時はなんとしても調整してきた。

(…3年、か)

月日が流れるのは早いものだ。あんなに小さかった彼女もだいぶ身長が伸びて、目線が以前より近くなった。嬉しい限りである。



金持ち同士の縁だったのか、親同士が唐突に仲良くなったらしく、僕は3年前初めて雪白の家に招かれた。まだ5歳くらいだという令嬢がいるとは耳にはしていたものの、僕はたいして興味を持たなかった。ただ、会って帰るだけ。どうせいつもと同じ、綺麗ね、とか美しいのね、とか、お父様とお母様がどうのこうの、とか言われてお終いなのだろう、その子が言わなくても、回りの誰かに言われるのだろう、と、もう慣れたつもりで彼女の家へ赴いた。案の定、若い夫人が僕を見て、想像していた通りの言葉をかけた。僕が女であることになど、まるで気付いていないらしかった。使用人らしき女の人達も、僕を見てひそひそと話をしている。あぁ、だからもう、兄さんを連れてくればよかったんだよ、父さんも母さんも、まったく気が利かない。僕の心境なんて、考えも及ばぬ域のことなのだろう。女性は好きだった。かわいいし、僕と違ってきらきらと太陽のように笑う彼女たちが、僕はすごく好きだった。だから女の子たちに寄せられる好意はできるだけ無下にしないようにしてきたし、僕なりに精一杯女性を愛でてきたつもりだった。しかし、こう、どこか色を孕んだ視線を向けられると、流石に少し気持ち悪い。そこは自分にとって、どうしても超えられない性別の壁だった。だからといって、男性にそんな視線を向けられるのも気持ち悪いけれど。夫人が、娘に会っていってやって下さい、きっと喜ぶわ、と僕に向かって微笑みかけた。どこか嘘のような笑みだった。聞くところによると、彼女は後妻で、その令嬢は前妻の子どもらしい。きっと親子関係がうまくいってないんだろうな、とぼんやりと思った。彼女の部屋に案内され、ノックの後、ドアが開けられる。中から顔を覗かせたのは、黒い髪のかわいらしい女の子だった。ぱっちりとした目がじっと僕を見つめる。なるほど、あの夫人とは似ていないな、と真っ先に思った。

「まぁ、ええと、ううんと…」

「はじめまして」

「あっ、は、はじめまして!わたし、ゆ、雪白といいます、えっと、中に、入って下さい!」

予め用意していたのだろう、かたことではありつつもなんとか敬語を遣って僕に話かけてくる。ごゆっくり、と使用人が去っていった。雪白、と名乗った少女は僕を部屋の中央に置かれた椅子に座らせた。その側の壁ぎわに位置するベッドに腰掛けて、彼女はじっと僕を見つめていた。流石に居心地が悪く、雪白ちゃん、と声に出してみる。はいっ、と元気よく彼女が返事をする。その様子がおかしくて、思わず僕は笑ってしまった。まだ小学校に入るか入らないかの小さな女の子。かわいいなぁ、と素直に思った。

「あ、の!」

「ん?」

彼女がかしこまったように声を張り上げた。僕に声をかけたようだった。短く続きを促すと、彼女は少し安心したように続きを声にした。

「お名前、聞いても、よろしいかしら」

「あぁ…うん、名前…」

雪白が悪いわけではないが、若干僕はしらけた。どうしようか一瞬迷った。もう会わないかもしれないこの子に名乗って何になるだろう。あまり名乗りたくない、この名前。まぁ、教えるとしたらBlauの方かな、とは思ったが、それもやめて僕は自分を学校でみんなが呼ぶように王子と名乗ることにした。

「そうだね、みんな僕を王子、と呼ぶよ」

「王子?」

「そう」

「王子様、なの?」

「うーん…どうなんだろうね」

でもみんなそう呼ぶよ、と言うと、彼女が不思議そうに首を傾げた。そんなに似合わなかったかな、とちょっと不安になったが、彼女がすぐに満面の笑みでこちらを見たので、僕は思わずその表情をまじまじと見つめた。随分整った顔をしていて、幼いながらにその美しさは目を見張るものだった。

「じゃあわたし、お姫様になるわ!」

そう、お姫様、そんな言葉がぴったり。輝くような美しさがその象徴。

「王子様、わたしがもしりんごを食べて眠ってしまったら、必ず起こしてね!そして、わたしも王子様になるんだわ!」

このあたりで僕は本当は自分の過ちというか、雪白のすごさに気が付くべきだったのだが、この時僕はこの雪白の言葉の意味がまったくわからなかった。王子様になる、って、お姫様って自分のこと言ったばかりなのに、よくわからない子だな、と思った。

「雪白ちゃん、王子様は、男の人がなるものなんじゃないかな」

「え?」

「雪白ちゃんは女の子だからお姫様。僕は、」

「じゃあ王子様は女の人なのに王子様なの?」

「?!」

正直、腰が抜けそうだった。僕はうっかり口を滑らせたのだろうか、と記憶を辿ったがそんな記憶はない。じゃあなぜそんなことが。でも、僕が直接言っていないなら根拠はないはずだ。否定すれば、まだ間に合うだろう。

「雪白ちゃん、僕は男…だよ?」

「え?何をおっしゃっているの?王子様は女の人でしょう?」

「違うよ、僕は」

「王子様、嘘をついたらダメなのよ、わたし、よくお父様に言われるわ」

「…」

ダメだ。完全にばれている。もう隠しようがなかった。最後にごく当たり前のことを注意され、僕の心境は焦りを通り越し冷静へ変化した。

「…雪白ちゃん、どうしてわかったの」

「?最初からわかってたわ」

「…何それ」

切ない。ちゃんと男物の服まで着てるのに。自らの存在という細い糸が切られたような、寒い気持ちだった。僕は、女。変えられない事実。

「わたしね」

「…うん」

「わたし、貴女みたいな、かっこよくて素敵な女性になりたいわ!」

「…!」

どこかで、否定していたのかもしれない。無意識の片隅で、僕は気付かされる。兄さんと同じではない、男でない自分。でも、雪白の言葉は、そんな環境に置かれる女性としての僕を肯定するものだった。確かに、幼い彼女には何もわからないだろう。僕がこんな格好をしていることに疑問も覚えず、ただ男の格好をしている女性、として僕を見ている。深い意味もなく、かっこよくなりたい、という意味しかそこにはないのだろう。しかし、それでも、兄以外の人間の口からは聞いたことのない、女としての自分への肯定。さらりとそれを言ってのけた彼女に、僕はとても興味が湧いた。

「雪白ちゃん」

「はい」

「…雪白、でいい?」

「…!もちろんよ!うふふ、もちろんよ!」

彼女は嬉しそうに笑った。その笑顔が、たまらなく愛おしかった。



「ねぇ、王子様ってば!聞いてる?」

「…え?」

かわいらしく洒落たカフェで、正面に座る彼女が不満そうな顔をしている。慌てて我に返り、なんだったっけ、と聞き返すと、だからね、と話の続きが始まる。このあと行きたい店の話のようだった。いくつか店の名前があがるが、ほとんど僕の知らないものだった。とりあえず彼女の行きたいところはすべて付き合ってやるつもりでいた。僕もこれから新しく大学生として生活するのだから、次に会えるのはいつになるかわからない。断ったことがないという記録も、今年でストップしてしまうような気がする。まぁそれは仕方ないことか、と割り切って、紅茶を口にする。

「でね、このお店はね!」

生き生きと楽しそうに話している雪白は、本当にただの女の子だ。僕のようになりたい、と言ってくれたのは嬉しかったが、僕のようになってはいけない。こんな環境に置かれていると、心までひねくれて、女性としての自分を見失ってしまう。彼女にはこのままかわいらしい女の子でいてほしい。まぁ、かっこよくなりたい、というだけの意味なのだろうから、それはいいけれど。あ、でもそれも寂しいなぁ、と思い直して、相槌の代わりに僕はりんごの髪飾りをつけたかわいらしい僕のお姫様に笑いかけた。







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スーパー雪白ちゃん



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