意外や意外









「…あっ」

自室で寛ぎつつも山の様に積まれた本の整理をしていて、唐突に友人に借りていた本のことを思い出した。そういえば、そろそろいい加減返さなければ。借りたのは確か、高校最後の冬休み前だ。推薦で既に近くの大学に進学を決めていた自分は、冬休みには時間があったから、彼に二冊ほど本を借りたのだ。そして、彼、そしてその兄が自分と同じ大学に進学を決めた。そろそろ返さなければならない。借りてから早3ヶ月が経ってしまった。
それを思い立ち、携帯に手を伸ばす。明日あたり、訪ねても構わないだろうか。今日はもう昼過ぎだし、でも出掛けるのが億劫になる前に返してしまいたい。そうだ、もし明日行けたらついでにノートでも買ってこよう。
数秒の呼び出し音の後に、携帯から聞こえてきたどことなく中性的な声。

『もしもし。メル?』

「ん」

電話の向こうは騒めいている。どこか、外にいるのだろう。彼に誰だい、と尋ねる声があった。おそらく、彼の兄。メルだよ、と彼の声が答えた。二人でどこかに出掛けているのだろうか。

『メル、どうしたんだい?』

「ん…君に本を借りていたから、返しに行こうと思って」

『今かい?』

「明日」

『…ん。わかった。けど、メル』

僅かに彼の声が曇るのを、私は聞き逃さない。そこそこ長い付き合いだから、だいたい電話でも声で相手の気分くらいはわかる。例え、電話越しに聞こえる彼の声は気分で変わることがあまりなかったとしても、だ。そこには人一倍敏感な自信がある。人の気持ちをうかがうのは苦手なのだけれど。

「…どうかしたのかい」

『あぁ、うん…引っ越したから、どうしたらいいかなって』

「ふぅん………引っ越した?」

『うん』

割と淡々と告げられた事実に、つい聞き返した。引っ越した。家を出たということだろうか。

『だから、どうしよう。場所教えたら、来てくれるかい?』

「構わない、けど」

『じゃあ、メールで住所送っておくよ。今から知ってたら、いつでも遊びに来れるだろうしね』

「…うん」

『じゃあ』

「…失礼したね」

『お構い無く…あっメル』

「ん」

『来るとき、シャーペンの芯を買ってきてくれないかい』

「…わかった」

『ありがとう。じゃあ、明日』

「明日」

ぷつ、と電話が切れる。驚きだ。引っ越した、なんて。しかし、直接家を出たとは彼は言わなかったけれど、おそらくそうなのだろうと思う。なんとなく、話の内容的に。家が変わっただけなら、もっと家族の話が出てもいいはずだ。下らないことと言えど、それくらいは話す間柄だという自負がある。それこそどうでもいいけれど。
とりあえず驚いていても仕方ない。メールの受信音が鳴る携帯を開き、そこに映された住所へ至る道筋を、自分のノートと彼のシャーペンの芯を買う文房具店を含め頭の中でシュミレーションした。

「…あれ」

そして私は、そこで更に驚くべきことに気付くこととなる。


普通の、しかし割と綺麗なアパート。もう何度も見た、友人の家のような場所。ここに彼が住んでいる。極めて不思議な感覚だった。
ゆっくり、いつものように階段を上がる。エレベーターなんかないから、階段で三階へ。そして、彼の部屋の前に立つ。思わず後ろを振り返って、その隣の部屋をまじまじと見つめる。今日は、こちらの彼はいるようだ。さぁ、私の友人である彼はどうだろう。
インターホンを鳴らす。暫くの間。その後、がちゃと扉が開いてやぁメル、と彼が姿を現した。無言で返しに来た本の入った袋を差し出す。

「感想、是非とも聞かせてくれないかい?」

「ん、構わない。けど、先にこっち、いいかい」

「?構わないよ。なんだい、それ」

「母から預かった。受取人は君の隣の部屋の人間だから、少し待ってて」

くるりと彼に背を向け、隣の部屋に向かおうとすると、不意に彼に腕を掴まれた。驚いて彼を見ると、彼もまた驚いた顔をしている。メル、隣、と意味の取れない単語のみを発する。何、と問い掛ければ、ぱくぱくと口が動く。

「イド、知り合い…?」

語尾のイントネーションからして、それは質問らしかった。私にとってはごくごく当たり前の事実に対する質問だった。

イドルフリート。あまり詳しいことは知らないけれど、母の話によると彼は私の従兄にあたるらしい。なるほど、初めて会った時に容姿がそっくりで驚いたわけだ。似ていないのは髪の色くらいで、顔かたちは兄弟であると言っても疑われぬほどによく似ていた。母は身寄りのないらしい彼を気にしていて、よく色んなものを差し入れる。そのお使い役が私である。その差し入れは時に母の料理であったり、時に一通り読み終えた本であったり。それは彼が自立する年齢に達し、彼を引き取っていた家を出てからも続いた。男性の家族がなく、母と二人暮しの私にとって、彼は本当に兄のような存在だったから、苦にはならなかった。
だから、このアパートにももう何度も訪れている。何度も彼の部屋にお邪魔し、持ってきた母の料理を一緒に食べたりした(母はこの状況を見越して、多めに持たせてくれていた)。彼はお菓子であればお茶を出してくれ、煮物などであれば白いご飯をだしてくれた(彼も一応それなりに生活しているため、お茶や白米程度はあったらしい)。

目の前の彼の少し驚いた顔。隣の彼にいたっては、なんとも言えない非常に複雑な表情をしていた。多分、笑っていい場面なのだろう。しかしそれをこらえ、母に頼まれ持ってきた本を目の前の彼に手渡す。

「母が元気かって、心配してた。たまにはうちに電話、してほしいな」

「…あぁ、すまないね。最近、忙しくて」

「ん。まぁ、元気ならいいけど」

きょとんとした顔のまま彼が受け答えるから、いよいよ本当に可笑しくなってきた。彼はなかなかこんな表情を見せないから。まさか私が、隣の彼と友人だったなんて知らなかっただろう。ほぅ、と彼が口を開いた。

「君たちは、知り合いだったのかい」

「あぁ。友人さ」

「そうか…友人か」

「…従兄?」

「その通りだよ」

ふ、と彼が柔らかく笑う。これもまた彼にしては珍しい表情で、今度はこちらが少し驚かされる。
少し間を置いて、彼があぁ、とため息のような声を上げた。

「上がっていきなさい、と言いたいところなのだがね。これから人と会う約束があるんだ。また、おいで」

「…友達?」

「まぁね」

「いたんですね」

「余計なお世話だ」

さぁ、また今度、と彼が私達の頭に手を置く。それに従って、私達は彼に別れを告げ、彼の部屋に背を向けた。

そして、私の友人の彼の部屋に至る。なるほど、まだ解かれていない段ボールが2、3あった。越してきたばかりだからであろう。

「あ、王子。シャーペンの芯」

「あぁ、ありがとう。助かったよ」

「どういたしまして」

買いに行こうと思ったんだけど、それどころじゃなくてね、と彼が苦笑した。苦笑しながら、淹れたお茶を出してくれる。つくづく彼はお茶を淹れるのがうまい。いい香りに嬉しくなって、頬を緩めた。

「さぁメル、本。聞かせてくれ!」

「あぁ…うん」

「僕もね、あの本がとても好きなんだ!どういった感想を抱いたか、僕に教えてくれ!」

嬉々として質問を投げ掛けてくる彼に、私はまた頬を緩める。彼は決してたくさん本を持っているわけではなかった(彼の兄はすごい。小さな書庫を1つ持てそうだといつも思う)が、どうやら趣味が私と合うらしく、彼の持っている本はほとんど私にとっても面白い内容のものだった。
そこから一時間程度、彼と語り合うはめになった私は、ようやく彼から解放されて、日が落ちてきた街に出た。今日は多分いい日だったのだろう。久しぶりにイドにも会えたし、何だかんだ言って王子と話をするのも楽しかった。帰ったら母に話そう。きっと彼女も、さっきの私のように頬を緩めて聞いてくれるだろう。




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メルヒェン視点
いやはや進展しない困った



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