始まりという名の再会









僕が大学に進学することが決まった春の話。両親に呼ばれ、僕はリビングへ向かう。不和はなかったけれど、今まで忙しい両親とはあまり会話をすることがなかったため、そんな彼らが家を継ぐ兄でなく僕を呼び出すということは、内容はだいたい予想がつくことだった。
家を出て、生活してみないか。
大学に近いところに、うちが所有するアパートがあるらしい。家から僕が通うことになった大学まではなかなか遠いから、通うのも大変だし、そこに住んではどうか、という話だった。僕は快くその提案を受け入れた。家族は大好きだし大切だけれど、僕にとってこの家は少しばかり住みにくい。仕方のないことだから、気にはしていないけれど。家を離れられる提案なら、喜んで。
そうして僕は、この春から晴れて一人暮らし。兄がこれ以上ないくらいに心配していたが、大丈夫だと笑って家を出てきた。それでも兄は、時折様子を見に行く、と言ってくれたからそれは受けておいた。兄が来てくれるなら心強い。一応人並みに生活能力はあるはずだけれど、突然一人になるのだ、心細くないと言えば嘘になる。心配してくれているのだから、受けない手はなかった。
少ない荷物を運び終え、準備完了。これで僕は、一人暮らしを始められる。今までの窮屈な生活から抜け出せたのだ。
性別まで偽った、あの生活から。

何を隠そう、僕は女だ。正真正銘女だ。知っている。家族も知っている。しかし、両親が何を血迷ったのか、兄と共に僕を男として育てることを決めてしまった。家を継ぐことに関するあれこれがあったようだが、僕はそこには一切興味が無かった。だから干渉しなかった。だから詳しくは知らない。ただ、家では兄がそれとなく僕を女性として扱ってくれた。それだけで十分だったから、別に両親を恨みもしなかった。学校でも、男子の制服を着て過ごしていた。幸い、自分で言うのも何だが、僕はあまり女性らしい体つきはしていなかったから、体育は体が弱いことを理由に不参加の許可を両親が取り付け(兄によれば私立だったため学長に顔が利いたらしい)、僕は高校卒業まで無事に男として過ごすことができたのである。たった一つ、それを悔やむ出来事もあったのだけれど。

しかし、だからといってこれから僕は女として生きるつもりは別になかった。その偽りがいつまでも続かないことも重々承知していたけれど、今更突然女として生きるなんて器用なことは僕にはできない。きっかけを与えてくれる王子様的な存在を、僕は待たなければならなかった。
まだ大学の始まらない春休み。家を出て、まだ数日。街に出かける気も起きず、割と陽当たりのいい部屋で微睡む。心地よさでぼんやりとした思考の中でふと、引っ越したときって隣の人に挨拶するんだっけか、と考える。まあいいや、いずれ会うのだろう、そのときに一言何か言っておこう、と結論づけ、僕は春の眠りに落ちた。


その、次の日。シャーペンの芯が無いことに気付いた僕は、街に出なければならなかった。不覚だ。そんなことでこの心地よい春の微睡みを台無しにしなければならなくなるなんて。
まだ慣れないドアを、開ける。まだ慣れないドアを、閉める。まだ慣れないドアに、鍵を掛ける。ゆっくりと、階段を降りていく。防犯のため三階に!と兄が頻りに言ったので、僕の部屋は三階にある。五階までしかない、そんなに大きくもない、一般的なアパート。そこそこ田舎だから、とても静か。僕はこのアパートがとても気に入っていた。うちのアパートだから、家賃は気にしなくていい。素晴らしい条件だった。
ふと、下の階から足音がすることに気付いた。もしかしたら僕の部屋の隣の部屋の人かもしれない。一応、声をかけるべきかと一瞬悩んだ。ご近所付き合いは大事だと言うし、少なくとも同じアパートに住んでいる人ならば、一言声をかけても怪しくもないだろう。そう思った僕は、少しばかり身構える。一体どんな人なのだろう。
下の階から上がってきたその人物で、一番初めに目に入ったのは、眩しい金髪(それを見て一瞬兄かと期待したのは秘密だ)。続いて、赤い、髪を留めるリボン、金の尻尾、黒いスーツ。最後に、階段の上の方で立ち止まる僕を見上げる、見覚えのある緑色の瞳。

「「あ」」

互いにフリーズしたのは、言うまでもないことである。


どこで知り合ったのかは、あまりに昔の話なので憶えていない。気付いたら、十弱は年上の、綺麗な緑色の眼をした彼、イドルフリートと僕ら兄妹はどうしてか仲良くなっていた。よく家に遊びに来ては僕らと遊んでくれたし、両親は彼を好いていないように見えたけれど、それでも色んな場所へと僕らを連れ出してくれた。一番古い彼との記憶は確か小学校の二年生の時、近くの公園で水遊びをしていて、僕と兄で彼に思いっきり水をかけて怒られたこと。怒られたと言っても、どこかふざけたように、楽しそうに怒る彼。そんな彼が、僕らはとても好きだった。そう、好きだったのだ、とても。その気持ちが僕の中で憧れへ、そして理解し難い感情へ変化したのはいつのことであったのか。それが恋であることを知ったのは、中学校の三年生に上がる春。彼との連絡が、ある時を以て突如途切れたときのことであった。彼に会いたい、彼が恋しい。そう思うその切なさの理由がわからなかった僕は、それを兄に相談した。すると兄は酷く複雑そうな表情で、それ、恋じゃないのかい、と言った。恋なんて知らなかった、知るはずもなかった僕の、そのときの衝撃ときたら。次の日は確か学校を休んだはずだ。
そう、それがたった一つの僕の後悔の原因。あの時ばかりは、自分が女性として彼と接してこなかったことを心から恨んだ。しかし、連絡が途絶えた以上もうどうしようもない話。次第にその恨みも薄れていったのだった。しかし、だからと言って彼のことを忘れていたわけではない。心のどこかで、いつも彼からの連絡を待ち続けていた。しかし、いくら待てども来ることはない。それが、どれほど切ない時間であったことか。


イドルフリートに出すお茶の準備をする手が震える。再会はあまりに唐突だった。心の準備なんかできているはずがない。それも、よりによって相手は自分の初恋の人である。動揺しない方がおかしいのだ。

「…はい、お待たせしました」

「あぁ、すまないね」

昔と変わらない笑顔で礼を言われて、思わず胸が高鳴る。まだ、心が彼に向いたままなのだ。何せ、会えなくなってから気付いた恋。美化されているかもしれないが、未だ心の中に残っていたのだ。
かちゃ、と彼がカップを皿に戻す音で我に帰る。気付けば、僕はずっと彼を見つめていたらしかった。彼がにこ、と笑ってこっちを見ると、恥ずかしくなってついつい目を逸らす。

「大きくなったね。兄さんは元気かい」

「はい、多分元気です」

「多分」

「一週間、顔を見てないので」

「…そうか」

どうしてこんなところに、とは彼は切り出さない。家の事情もある程度知っている賢い彼のことだ、だいたい悟っているのだろう。理由はともかくとして。

「貴方は、なぜ」

「私かい?私はね、」

家がちょうどこの部屋の隣なもので。
その言葉に、僕は再びフリーズする。

「…隣」

「そう。隣だ。お隣さんだ」

「隣…」

「ふふっ。仲良く、してくれ給えよ」

彼は、そう悪戯っぽく笑う。なんてことだ。挨拶すべきか迷った隣人が、長年連絡が途絶えていた初恋の人だったなんて。うちのアパートにいたのに、なぜわからなかったのだろう。まあ、確かにこんなちょっぴり田舎な場所になんてなかなか来たことはなかったけれど。
あぁ、そういえば、と彼が口を開く。

「君は、どこか行くんじゃなかったのかい?」

「…あっ。はい、あ、いえ、大した用じゃ、ないんですけど」

「それは、どちらの返事だい」

「え、あ、ちょっと買い物に」

「買い物か。邪魔して悪かったね。私は帰るとしようか」

隣だけど、と彼が笑いながら席を立つ。すみません、と僕も続く。慣れないドアを開けて、彼を通す。お邪魔したね、と彼が小さく手を振る。いえ、またどうぞ、と僕は返す。

「紅茶、美味しかったよ」

彼が自分の部屋のドアを開ける前に、そう言った。ばたん、とドアが閉まる。僕はしばらく、部屋の外で動きを止めたままだった。これは、兄に連絡すべきだろうか。



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初恋と再会




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