気持ちよいほど鮮明な銃声。左のふくらはぎに走る痛み。逃げることすら許されなくなった体を叱咤して、なお左足を引きずりながら前へ。

何とか、何とか、彼が追い付いてくれるまでは。

既に撃たれている右腕を押さえ、痛みに眩みそうな意識を引き留めながら右足を前に進める。無駄なんだけどね、と後ろで声がした。初めて聞く声だった。


「大人しく殺されて欲しいな、ねぇ王子様?」


目的なんか知らない。意味不明のまま追い回されて、突然右腕を撃たれて、今に至る。イドと一緒にいたところを突然襲われ見事に離ればなれ。多分、慣れた連中なのだろう。お忍びだったから従者もつけていない。イドは探してくれているだろうけれど、もう駄目かもしれない。右足はもうはや限界を訴えている。


「うん、そろそろ飽きたし、じゃあね、可哀相な王子様!」


別れを告げられても困る。また、鮮明な銃声が、今度は二つ響いた。左の肩と脇腹に、燃えるような痛み。外したかな、と後ろで聞こえた気がした。

ごめん、イド、もう無理です。

僕はその場に崩れ落ちた。周りの音も、もう聞こえない。傷口が熱い。だんだん意識が遠退いていく。駄目、まだ、まだ駄目だ、と必死に足掻く。それも無駄な抵抗で、ただ、意識が闇に消える寸前、自分を呼ぶ声がした気がした。



暖かい。僕は死んだのか。ここは楽園とか、そのような所なのか。重い瞼をゆっくりと開く。暖炉の灯りがこうこうと部屋を照らしている。楽園にしてはみすぼらしい部屋だった。辺りを見回したくて体を捩ると、左半身に激痛が走った。それで目が覚める。僕は生きている。


「あ、目、覚めたのね」


突如響いた声に、体が強ばる。僕を襲った奴の仲間だろうか、さっきとは違う声色だった。思わず硬直した。そちらを見ることもできない。


「よかった。目が覚めないと私も何とも言えないから、本当によかったわ」


その人物は僕の顔を覗き込んでそう言った。優しげな、でもきりっとした、綺麗な女性。そう、女性だった。黒い、まるで喪服のような衣裳に身を包んでいる。にこっと笑った彼女に、僕は警戒心を解いた。この人は大丈夫だ、と悪意に敏感な心が察していた。


「…ここは」


「私たちの家…というか、まぁそんなところね。貴方が倒れていた森の、もっと奥」


「助けて、下さったのですか」


「とりあえず処置はしたわ。運んでくれたのは私じゃないけれど。今、呼んでくるわね」


誰のことを言っているのかわからなかったが、とりあえず待つ。もし、僕を襲った奴の仲間だったらどうしよう。隣に置かれていた僕の剣を握り締めた。ぱたぱた、と足音が聞こえて、開かれたままの扉から見慣れた金髪が現れた。


「………!!」


ばたばたと駆け寄ってくる彼の普段との差が滑稽で、思わず吹き出しそうになる。傷が痛むのでそれは抑えた。寝台の際に立った彼は、冷静を保とうとしているがそれに失敗しているというような変な表情をしていた。


「…イド」


辛うじて動かせる右腕を上げると、察してくれたらしくゆっくりと背中を支えて起こしてくれる。


「イドのお友達なのね。お名前をうかがってもよろしいかしら」


「う…」


一瞬の迷いの後に王子ですと答えた。自分を助けてくれた人に対して名乗れない自分を呪った。彼女はひどく驚いた、少し警戒するような表情を一瞬見せたが、すぐにまた微笑んだ。


「王子様…そう…。イド、随分交友関係が広いのね」


「まあね、たまたま知り合っただけだが」


名前もわからぬ美しい人は、彼と静かに、しかし楽しげに話した。お互いに信頼を寄せているのだろう。


「あの、貴女のお名前は」


その会話に割り込むように、僕は尋ねる。あらごめんなさい、と彼女は言った。


「私はテレーゼ」


大した身分の人間じゃないわ、と笑う彼女には影がある。なにか嘘でもついているのだろうとは思ったが、今の自己紹介に僕が不利益を被るような嘘を仕込める場所はない。そもそも恩人を疑うこともよくないことだ、と思い直して僕はテレーゼさん、と声を出した。


「あの、Blau、でいいです」


「え?」


「名前じゃないけれど、そう呼ばれています、だから、っ」


「王子」


不意に脇腹に痛みが走る。彼女はすぐに僕の近くに来て、顔を覗き込んだ。彼も崩れそうになった体を支えてくれる。


「とりあえずここでしばらく休んでいくといいわ。ここには私と息子しかいないの。森の奥深くだから、誰も辿り着けないと思うわ。忙しい身かもしれないけれど、今は体の大事をとるべきよ。少し眠っていなさい、ね、Blau」


「…はい、すみ、ません」


言われた途端に眠気が襲ってきた。ずきずきと痛む傷をかばうように横になり、目を閉じる。すぐに意識は暗闇に落ちていった。その意識の中で、彼女と彼が笑いあっているところを思い出した。息子って、もしかして彼の子供だろうか、なんて思った。結論が出る前に、僕は眠りに落ちていた。








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