(闇テッテレ 王子盲目設定)











「メル」


手袋を外してもなお白い手
が伸びてきて、少しの間私
の手前を彷徨った後その手
は私の服を捕えた。メル、
ともう一度名前を呼んで服
を引っ張ってくる。焦点の
合わない彼の瞳にももう慣
れてしまった。彼の眼は、
もう私を映さない。ただ光
を反射しているだけの、青
い綺麗な鏡であった。私に
はその眼に映る自分が見え
るけれど、彼はそれを認識
できない。そんなことを考
えていて、いつの間にか彼
が私の名を呼んだことが頭
から抜けてしまっていた。
名前を呼んでも私が何も反
応を示さなかったことに不
安を感じたのか、ここにい
るのかい、と聞いてきた。
ああいるよ、と答えればそ
う、とだけ返ってくる。ど
こか安心した表情と共に。


「メル 近くに行ってもいい
かい」


「…勝手にするといい」


「ん…そうするよ」


私の服を掴んだ手を頼りに
、私の隣に彼が腰をかけよ
うとする。手探りで自分が
腰をかけられる位置を探し
ていた彼が一度前にぐらり
と傾いて、私が焦って支え
てやったのだった。漸く座
ることに成功し安定した彼
は私の肩に頭を乗せたまま
黙ってしまった。










私が彼に初めて会ったとき
、彼の視界はまだ鮮明であ
ったようだ。理想の花嫁が
どうのこうの、君に紹介し
てもらった彼女は起き上が
ってしまったからどうのこ
うの、と残念そうに、でも
生き生きとしながら話して
いた。あの頃の彼の瞳は本
当に美しかった。世界を映
すその瞳は、海よりも深く
見えたし空よりも広い何か
を映しているようにも見え
た。正直、彼がいつその世
界を失ってしまったのかは
、不思議なことによくわか
らなかった。気付けば彼は
手探りで私を探し、一人で
はなかなか歩けず、その美
しい瞳は世界を反射するた
だの青い鏡と化していた。
その眼は二度と私を映さな
い。彼が慕う兄を、彼に愛
されるべき女性を、この世
界を、彼の眼はもう二度と
映さない。










「メル」


「…ん」


「外に行きたい な」


「…手を」


「…ありがとう」


漸く口を開いた彼は、外に
行きたい等と言ってきた。
もちろん何かを見るためで
はない。何となく私にも解
るのだが、見えなくても外
の世界というものは建物の
中とは恐ろしく違った世界
なのだ。風は吹き、鳥は囀
る。何も見えなくても、そ
こに立っていることだけで
意味のある場所だった。周
りにあるもの全てが、視力
以外の感覚全てが、自分の
立っている場所を教えてく
れる。

彼の手を引いて城の外へ出
る。幸い、誰ともすれ違わ
なかった。私のような得体
の知れない存在が一国の王
子を外へ連れ出している光
景など洒落にならない。彼
の双子の兄だけは私が城に
出入りしていることを知っ
ているようだったが、他は
恐らく誰も知らないはずだ。


「どこに行きたいんだい」


「メルの好きな所でいいよ」


「…街へ降りてみるかい」


「それは 駄目かな」


僕は顔が知られているから
ね、みんなに声をかけられ
てしまうよと彼が笑顔を見
せた。久しぶりに彼の楽し
げな顔を見て、私も少し気
分が乗ってきた。どこへ行
こうかと思考を巡らせる。
私の井戸のある森に行って
もいいかもしれない。久し
ぶりに彼とエリーゼを会わ
せてみようか。お互いどん
な反応をするのだろう。考
えているうちに楽しくなっ
て、彼に森へ行こうかと提
案する。ああそれは素敵だ
ねと彼が嬉しそうに返して
くるから、私もなぜだか嬉
しくなる。じゃあ行こうか
と彼の手を引こうとすると
、彼が突然、あ、と声を上
げる。


「あ、ああ、あ、メル」


「…王子?」


「メル、」


「王子」


見えない。


「え」


「見えないね、メル」


森に行っても、僕は木々も
、草花も、木漏れ日も、囀
る鳥も、もう


「見えないんだね」










「アラメル 早カッ…」


「あぁ エリーゼ嬢かな」


「ナ ナンデアンタガイルノ
ヨ!」


「ははは」


「オ城ニ引キコモッテタン
ジャナカッタノカシラ」


「メルが連れてきてくれた
んだ」


二人(?)の会話を第三者と
して聞いていると、何だか
微笑ましく思えてくる。恐
らく彼はエリーゼの方を向
いているつもりなのであろ
うが、実際は少しずれてい
た。事情を知っている所為
かエリーゼはそのことにつ
いては何も言わない。なん
だかんだ言って、彼女なり
に気を遣っているのかもし
れない。


「メル!コイツヲ早クオ城
ニ連レ戻シテチョウダイ!」


「えぇ、冷たいねエリーゼ嬢
もう少しお話したいな」


「イヤヨ!全クモウ!」


エリーゼが一瞬私の方を見
てから、早ク帰リナサイ!
と言いながら井戸に入って
しまった。完全に気を遣わ
せたようだった。


「エリーゼ嬢?行ってしま
ったのかい」


「…ああ。王子 そろそろ帰
ろう」


回り道をしながら。最初は
寂しそうな顔をしたが、付
け加えられた言葉に表情を
輝かせた。彼の手を取って
、森を出る方向へ歩きだす
。ゆっくり、彼の歩く速度
に合わせながら。やはり森
は歩きにくいらしく、途中
で何度も彼が転びそうにな
る。そのたびに支えて、怪
我がないか確認して、歩け
るかい、と尋ねる。ああ大
丈夫だよという答えを確認
してからまた歩き始める。
面倒だとは思わなかった。
必死に自分で歩こうとする
彼を、なんとか支えてやり
たかった。
約束通り、小川の傍を通っ
たり道のいい方を選んで通
ったり、回り道をしながら
森を出る。森の音が聞こえ
るたびに目を細める彼が、
何だか無性に【かなしく】
感じられた。










疲れたのか、彼は私に寄り
掛かったまま動かなくなっ
た。その間に完全に日が落
ちる。部屋が暗くなり、灯
りがないと彼のことがみえ
ず灯りが欲しくなった私は
彼に灯りはどこかと声をか
けた。しかし彼は答えない
。代わりに私の手を握って
いた手に力が入った。


「王子 灯りは」


「…」


「王子」


「…メ ル」


「ん」


「…キス して」


「…は」


「キス」


灯りがないと君の顔も見え
ないよ、と答えれば暗闇に
うっすらと白い手が伸びる
。どうやら灯りのある方向
を指したらしい。そちらに
向かおうと立ち上がろうと
すると、彼の腕が私を束縛
した。ぎゅうとしがみつい
て、そのまま離れようとし
ない。王子、灯り、と声を
かけても彼は離れない。も
う一度、灯りがないと見え
ないよと言うと、彼が泣き
そうな声で言った。


「灯りがあっても、見えな
いよ」


思わず言葉に詰まる。動揺
を抑え何とか声を震わせず
に、私は灯りが欲しいのだ
けれど、と言う。彼は首を
横に振る。


「メル メル 僕は見えない
見えないよ 灯りがあった
ってなくたって変わらない
んだ 真っ暗なんだよ ねぇ
メル 諦めたつもりだった
んだ もう見えないことに
慣れたつもりだったんだ
だからもうこのことを嘆く
のは止めたはずだったんだ
よ なのに ねぇ ねぇメル
君といるとどうしてか急に
世界が見たくなるんだ 空
の色とか 今日だってほら
あの森の木々を見たいと思
ったし エリーゼ嬢がどん
な顔をして僕を迎えてくれ
たのか知りたかったし 君
の表情とかが見たくてたま
らなくなるんだ 見えてた
ときのことなんて忘れた筈
なのに でも やっぱり僕は
あの世界をなかったことに
したくない なくしたくな
かったんだよ 鮮やかな世
界はとても綺麗だったんだ
ねぇ メル メル」


「王子」


暗い中、彼の体をなぞり、
彼の声を頼りに漸く彼の唇
に指で触れることに成功し
た。溢れるように彼の口か
ら発されていた震える声が
、止まる。私と違い、温度
のある肌。指先の感覚を頼
りに、ゆっくりと彼の唇に
自分のそれを重ねる。暗闇
の中でも僅かに見える私と
は違い、本当に見えていな
い彼は突然のことに驚いた
のかびくっと体を震わせる
。しかし、やがて恐る恐る
私の背中に手を伸ばしてき
た。長い、深い、でも優し
い口付け。ただお互いに唇
を合わせるだけの、なんの
変哲もない、ただの口付け
。それでも、ひどく【かな
しく】思われた。そして、
始まりと同じくゆっくりと
した動作で唇を離す。彼の
頬に暖かいものが伝うのを
手で感じて、ああ私の表現
は間違いだったなと頭の片
隅で考える。彼の眼は鏡な
どではなかった。まだ、彼
の世界に色を与える役割を
、僅かではあれどちゃんと
果たしていたのだ。


「王子」


「…」


「私も見えない」


「…」


「王子」


「…君は 朝が来れば 灯り
があれば、」


「見えないさ」


「…」


「もう 君が見ている景色と
同じ景色は 見えないさ」


「…っ メル」


ぎゅうともう一度彼が私に
抱き付いてくる。メル、メ
ルと何度も私の名前を呼び
ながら。【かなしく】て、
私も彼を抱きしめ返す。服
にじわじわと暖かいものが
染み込んでくるのを感じた
。覚えがないのに懐かしい
と感じるその感情のまま、
私はずっと彼を抱きしめて
いた。やがて彼がのそりと
顔を上げる。暗闇の中でも
、何となく彼が笑ったのが
わかった。


「メ ル」


「ん」


「…ん」


「…はいはい」


くいくいと彼が服を引っ張
ってくる。何の合図なのか
直ぐに察して、そのまま暗
闇の中二人、寝台にもつれ
るように倒れこんだ。






(いつか私に朝が来た時に
も 君は笑っていられると
いいけれど)










・あとがき・
【かなしい】って哀しいと愛しいがあるよねって思って使ってみました。
メルが昔をそれとなく覚えている話。感覚が残ってる的な。視力の無い世界を知ってますよね彼は多分。
すっごく突発的に浮かんできたネタ。何だったんでしょう。下書き無しにぶっ続けで書けるくらいはっきりと浮かんでました。





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