▼想起編 77〜87▼ 

 85、誰も知らない誠の哀史

──────悲しむくらいなら、一生私を恨んで、憎んで、そうしていつの日か顔も思い出せないくらいにまで忘れてほしい、そう思った。
そして何百年、何千年とたった時。私じゃない私がまた彼らに会うことが出来るなら、今度は失敗しない様に、あの子たちと笑顔で過ごせるようにと、ただひたすら、そう願った──────


これは、かの有名な新撰組一番隊隊長沖田総司の幼馴染みでもあり、恋人でもある、彼にとっても最も近しい人物についての人生であった。
江戸の終わりの、誰も知らないとある歴史。ひどく悲しい結末を遂げた、たった1人の女の、哀史物語





「清くん、体の調子はどんな?」

「ばっちり!和音のお蔭でもうどこも痛くない!」


私の言葉に、沖田総司の刀が一振り、加州清光の付喪神が言葉を発しながら歩み寄った。浅葱色が特徴のだんだら羽織を着こなす赤い瞳の彼は、赤い襟巻を巻いて子供のような愛らしい笑顔を見せる。
そんな笑顔を見ていたもう1人の刀の付喪神、同じく浅葱の羽織に白い襟巻を着けた青い瞳の大和守安定は、呆れ顔で彼を見ながら溜息を零した。


「ほんと人騒がせなんだから清光は……ちゃんとお礼言いなよね!」


清くんは、池田屋事件で1度折れてしまったことがある。帽子が欠け刃こぼれも多数で、修復不可能までの状況になったのだ。
だがそれも色々な場所へあちこち走り回って、私は結果的に加州清光を直すことが出来た。そのせいかボロボロじゃ愛されないというトラウマが生まれてしまったようだが、再び目の前でこうして清くんの笑顔を見られることが出来る。この気持ちは、嬉しい以外の何ものでもなかった。


「なんて言ってるけど、安くんもとても心配してたんだよ?」

「ちょっと和音さん…!」

「ぷっ、和音も安定もありがと…!」


照れる安くんに、照れくさそうに笑う清くん。小さな付喪神は特別な目を持っている私にしか見えない。私にとって2人は息子のように大切で、かけがいのない存在だった。───それなのに。


「願うことなら、ずっとずっと一緒に過ごしたかった……」


まさか、総司の労咳が感染って私までなってしまうなんて。
彼らのいない間に洗面所で隠れて咳をする。手についた赤黒い血を見て、前よりも吐血する量が多くなっていることに気が付いた。医者に診てもらわなくても何となく分かる。喀血までしているのだ。大分進行していてもう長くはないだろうと、手や口を洗い流しながらそう直感してしまう。
いつか、血を吐く姿を見られるかもしれない。自分の力で立っていられなくなるかもしれない。総司の今までの身体の衰弱具合を近くで見てきたため、自分がそうなってしまった時のことが簡単に想像できた。それだけは、そんな姿だけは、2人には見せたくない。


「……2人にまた同じ悲しみを与えることなんて、私には出来ない……、……っ、どうしたらいいの……」


大切な大切な、自分の主を失った時の2人の顔を思い出す。どうしようもない苦しみに駆られた。胸が焼けるように、痛い。
そうだ。新撰組の人たちは今どこにいるんだろう。度重なる戦や怪我や病気による戦線離脱により、隊の人間は徐々に引き裂かれ減少していった。私の大切な恋人であった沖田総司もその1人。労咳と言う治ることのない死病で隊を離れることを余儀なくされ日に日に弱ってゆく身体と戦いながら、つい先日息を引き取った。そんな彼に看病で付きっ切りだった私も新撰組の人たちと別れたため彼らが今どこにいるか、どこで戦っているのか分からなかった。
国広も兼定も、長曽祢くんも。もう、彼らとは長い間会っていない。総司がいる間は時々土方さんや近藤さんがお見舞いにも来てくれていたけれど、それももう彼が死んでしまった今、なくなってしまった。
近藤さんのことは土方さんからの手紙で知った。近藤さんを慕っている総司に、彼が板橋で処刑されたなんて隠し通すのはとても大変だったと思い出す。
近藤さんがいないなら、それなら、手紙を出した土方さんは今どこにいるんだろう。生きているんだろうか。国広や兼定は無事かな。色んな考えが頭を交差した。


「(土方さんの居場所が分かれば……彼らを預けることだって出来るのに……)」


そうすれば国広や兼定たちともいられる。私のことなんてすぐに忘れて楽しく過ごせたかも知れないのに。
彼らを悲しませない方法が、何も思いつかない。


「………。」


───否、嘘だ。1つだけ。たった1つだけある。彼らに同じ悲しみを与えずに済む方法が。……でも、これをしてしまえば、私はきっと───。
ううん、それでも、それ以外の方法がない今これが1番の最善策なのだ。目の前で彼らを悲しませるか、それ以外なら。私はやっぱり『それ以外』をとる。
そうと決まれば、一刻も早く。清くんと安くんが、勘づいてしまう前に。


「何もしてあげられなくて……ごめんなさい……」


自分がそう決断したのにも関わらず、思考とは反対に涙が溢れてきた。大好きなのに、ずっと一緒にいたかったのに……感染ってしまった自分が、思うようにいかないこの貧弱な身体が憎い。何もしてあげられない上に、約束まで破ってしまうことになる情けない自分が腹立たしい。静かに零れる悔し涙を拭い、鏡に映る自分を睨みつけた。
私は明日、彼らに一生『恨まれる』ような最悪なことをする。仕方ないことだった、これは彼らのためだ、と自分に言い聞かせながら。


* * *



「清くん、安くん。ちょっと出掛けてくるね」

「えっ、俺も行きたい!」

「僕も!いつもみたいに連れてって!」


いつもより気だるげだと感じる身体を動かし玄関へ向かいながら私がそう言えば、2人は一気に駆け寄ってきた。お出かけだと、笑顔を見せる清くんと安くん。その笑顔が、とても苦しかった。


「ごめんね、今日はちゃんとした格好で行かなくちゃいけない場所があるから刀は持っていけないの……ごめんね?」


そう口が勝手に動いていた。辛い。痛い。苦しい。
それなら仕方ないかぁ…、と残念がる清くんを見ていたら、何だか目が熱くなった。でも我慢しないと、ここでバレるわけにはいかないのだ。ごめん、ごめんね。


「じゃあ今度また甘味処連れてってよ?約束!」


安くんは、そう言ってニコリと笑った。小指を立てて、幼い子供のように愛らしい笑顔を私に向ける。
早く帰ってきてね、って。いってらっしゃい、って。どうしてそんな事、言うの。やめて、苦しい。苦しい。大好きなのに。悔しい。痛い。
でも、でも冷静を、冷静を保たなきゃ。ここで全てが、バレないように。完璧にこなさないと。


「本当にごめんね……行ってきます」


破ってしまうと分かっていて『約束』なんて……『ゆびきり』なんて出来なかった。そんなこと出来る訳がなかった。ごめん、ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい。
心の中で何度も何度も、ひたすらにごめんなさいを繰り返す。私は2人の頭を撫でて身を翻し、家を後にした。

そして私は、彼らを『捨てた』その日に、不逞浪士に殺される。





「……ん、……うう…」


加州くんの声で私は我に返った。目が覚めたのか頭を起こし辺りを見渡す加州くんと安定くん。きっともういないと分かっていても尚、もしかしたらと言う思いで前世の私を探しているのだろう。
全て、思い出した。沖田さんを好きな理由とか、夢で言っていた言葉の意味とか、何から何まで、ぜんぶ。あんな過去があったなんて、知らなかった。思い出せていない記憶があんなにも辛い過去だったなんて、知らなかった。私が本当に2人を捨てていたなんて、知らなかった。
縁側に下ろしていた腰を上げて立ち上がり、数歩前へと歩き出す。その姿を見て不思議に思ったのか、加州くんが声をかけてきた。


「ねぇ、あるじ、……あるじ?」


ぽろりと、涙が零れた。気が付けばいつの間にか涙が溢れ出していて、それは止まることを知らずぽろぽろと頬を伝って流れ落ちてゆく。
ねぇ主……、と呟く加州くんの声が耳に届き、足音がこちらへと近づいてくると、すぐ後ろで止まった。けれど、振り返ることなんて出来ない。
そっと私の手に触れた、加州くんであろう手。私はそれを大きく振り払う。怖かった。2人がどんな顔して私を見ているのか、彼らが私に何を言おうとしているのか。それが怖くて目を合わせることは愚か、今は彼らの紡ごうとしている言葉さえ聞きたくなかった。


「っ、ごめ……、ごめんなさい……っ」


そしてその結果、私は走ってその場から逃げ出したのだ。


「あっ、あるじ……っ!」

「清光!追いかけて!」

「!……っで、でも、」

「今の主に必要なのは清光の言葉だよ。だからお前に任せる!ほら、早く追いかけろ!」

「っ、うん……!」


どこを目指して走っているかも分かっていない私は、涙でぼやけた視界の中、なるままに暗い本丸の庭を走り続ける。
全てを知る覚悟はあった。けれどもその真実は予想をはるかに超えていて、ただただ胸が苦しくなる。それに彼らももう真実を知ってしまっている。だから余計に合わせる顔がなくなった。前世の私が言っていたように、謝って済む問題じゃないと分かっているから、どうすることも出来ずに怖気付いて私はあの場から逃げてしまった。
私は、どうすればいいんだろう。悲しくて、苦しくて、辛くて……まるで水の中で溺れているようだ。藻掻いても藻掻いても私の体はどんどん沈んでいって、苦しさは増すばかり。届く筈もないのに光る水面に手を伸ばしながら、私は、息が出来ずに死んでゆくのだろうか。


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