記憶を返してもらいに来た。そう言った彼女の言葉が一瞬理解できなかった。言葉の意味が理解出来た頃には、え…?と呟いていて、何を考えているのか分からない前世の私をまじまじと見つめる。さっきまで彼女の言葉を冗談と見抜いていた安定くんでさえも、流石に真剣な表情で「どういうこと……?」と聞き返した。ということは、これは彼女の言っていた通り本題で、本気なんだろう。
「ああ、ごめんね、ちょっと語弊があった。全部を返せと言ってるわけじゃなくてね……」
「……もしかして…沖田さんの、こと…?」
「!そう…!話が分かる子で助かるわ」
「あの夢にだんだん靄がかかっていったのもそのせいだったってことね……じゃあ、最初から不自然に思い出せない部分があるのは?」
「それは……私が存在しているから」
虫ひとつ泣いてない静かな冬の夜。本丸の庭に小さな声が響いた。彼女の言葉に息を呑む。 目の前の私にそっくりな女の人は、ほんの僅かに青白い光を帯びていて、やはりこの世に存在していないことを実感させられるように儚かった。
「死ぬ前に、2つの───正反対の想いがあった。夢を見た貴方には何のことかすぐに分かるでしょう?……まだ死にたくなかった、みんなと一緒に過ごしたかった……そんな願いと、生まれ変わることが出来るならもう一度2人に会いたい……そんな願い。私の少しの未練と大きな未来への希望が、こんな現状にさせた」
要するに。正反対の思いが、魂を幽霊と生まれ変わりの2つに分けた。なぜそうなったかも、何も分からない。気付けば、1つの魂で1人の人間に生まれ変わっていて、僅かな未練で幽霊にもなっていた。 あの時の私は生まれ変わりたいという気持ちの方が強かった。でもどうしても死にたくない理由もあった…。と、そう呟く彼女の話を聞いて、小さく頷いた。うん、夢を見せられたから、知っている。
「意味が分かんないよ和音……」
「そうね、分かりやすく言えば、……生まれ変わりたいが8割でアナタ。死にたくないが2割で私。そんな感じ。思い出せない部分の記憶があるのは当然よ、全部私が持ってるもの」
彼女はにこりと柔らかい笑みを見せた。でもそれはやはり、どこか儚い。
「……私の記憶は本来アナタには必要ない。アナタが総司のことを全部思い出した所で何の意味もないし、辛いだけでしょう?」
「だから、沖田さんについての記憶を返してもらうって…?」
「そう。返して欲しいのは、今この時点で戻ってる総司の記憶だけ。後は私が持ってるから」
「沖田さんについての記憶だけって……。じゃあそれ以外の……私自身の、思い出せない記憶は…?」
「ごめんなさい、残念だけどそれも返せない」
私たちの問いに綺麗に即答する彼女は一瞬たりとも笑顔を崩さなかった。その笑顔が、逆に胸に引っかかって仕方がない。
「加州くんと安定くんが夢を見たのは何で?」
「アナタに必要なことだったから私が見せた。2人には真実を見せて確信してもらいたかったの。それ以外に意味なんてない」
「……何か、隠してない?」
「……。何も無いけれど」
確かに彼女の言い分は間違っていなかった。沖田さんについての記憶だけじゃなく、前世の記憶自体が本来私には必要の無い───ある筈のない記憶。そして目の前の彼女が最も愛していた人の、彼女にとって1番大切な記憶。記憶を返して欲しいという気持ちは私にだって分からないわけじゃない。彼女の言葉の筋も通っている。 でも、じゃあ、この胸のモヤモヤした感じは一体何なのか。なぜこんなにスッキリしないのか。確証はない、けれど、この人は何かを隠している。そうだ、まだ肝心なことは何も分かっていない。
「じゃあ教えて。夢の中で殺された時、アナタは袴姿のままだった。過去に起きたことと全く同じなら何で着替えていなかったの?一体どこに『きちんとした格好で』向かう予定だったの?」
「……家に帰ってた途中だったの。きちんとした着物置いてる場所なんて家以外ないじゃない。そして、着替えたら知人と隣町へ出かける予定だった」
「じゃあ、夢の中で言ってた『嘘つきになっちゃうかもしれない』って?」
「……それは…」
「労咳のような幻覚を見た。あれは何?」
言葉を詰まらせる彼女から、もう笑みは消えてした。加州くんや安定くんは、私の質問に目を丸くしながら驚きつつも、黙ったまま視線を移し、静かに彼女を見つめる。 何かは隠している。でも何を隠しているのかは、私には分からない。
「……それは、アナタが知らなくていいことよ」
そしてそれを、彼女は教える気がない。 だけどそんなの、はいそうですかで引き下がれるわけがないのだ。何も知らないまま、何かを隠したまま、記憶を返して終わりなんて私には出来ない。
「せっかく生まれ変わったのに、前世のことで悩んで欲しくないもの」
「ここまで思い出させて、人を散々悩ませておいて今更すぎると思うけど」
「ええ。今更よ、今更だから言ってるの。だってアナタは私でしょう?真実を知って立ち直れるほどアナタが強い人間だとは思わない」
はっきりしすぎた言葉が、胸に突き刺さる。今まで迷惑をかけて来たことを思い出して、頭が真っ白になった。 それに、総司のこと思い出してどうするつもり?また手の届かない人を想って悲しむとでも言うの?……アナタを想っている刀がこんなにも近くにいるのに。彼を悲しませるの? そう言った彼女の言葉が誰を指しているのか、名前が出ずともすぐに分かった。隣に立っていた彼を見れば、すぐに柘榴のような赤い瞳と目が合う。
「主……」
呟いたその声は少し震えていた。 いつも傍にいてくれて、思い出した細かいことでも聞いてくれて、昔のことを話してくれて。言わなかったら、何で教えてくれないのって怒ってくれて…。最初は私を前世と重ねて見てるんだって思っていた。それが悔しくて、苦しくて、早く思い出せたらいいのにと思っていた記憶を思い出してしまうごとに嫌になることもあった。 でも、1番思い出すことに協力してくれた彼だったけど、考えてみれば、1番思い出して欲しくないと思っていたのかもしれない。江戸に飛ばされて沖田さんと会った後だって『何か思い出せた?』と悲しそうな顔をした。今思い出せば言葉と表情が全然あってないことに気付く。 彼は……加州くんは、ずっと───。
「───ごめん。それでも私は思い出したい。過去に起きたこと、全部」
「……アナタが想像出来ないくらい、辛くて苦しいかもしれないのに。それでも真実を知りたいの?」
「うん、知りたい。……記憶を思い出したって今の生活は変わらない。今の私は審神者で、加州くんや安定くんの主。大丈夫、生き方も……好きな人も、絶対に間違えたりしない。私はアナタの記憶……前世の出来事を全部受け止めて生きる」
例え辛くて苦しいことだったとしても、絶対に乗り越えてみせる。隣で想ってくれてる人がいるんだ、間違えたりなんて出来ない。 だから、教えて。そう言葉を紡げば、隣にいた加州くんが口を開いた。
「……俺も、それ、知りたい…」
え、と言う、音も質も同じな声が2つに重なった。目の前の彼女は眉を顰めて加州くんを見つめる。
「あの頃、和音が1人で何を抱えてどれだけ辛い思いをしてたのか知らない。だけど、だからこそ今知りたいんだよ。何があったのか。……それに、主だけに背負わせたくはないから……お願い、教えて」
「和音さんは嘘が上手いよね。いつも笑顔で流して大切なことは何も話してくれない……今思い返しても何の嘘をついていて何を隠していたのか全然分からないくらい。それが僕達のためだったのは分かってる。でも、あの頃から何も知らないままなんて……僕も嫌だよ」
2人ともいつになく真剣な表情で目の前の女の人を見つめていた。 加州くんと安定くんの言葉は、1つひとつが温かい。だから頑なな彼女の心を溶かしてしまうには十分すぎたのだろう。その言葉を聞いて拒める方が可笑しいと思ったくらいに。 こう言うところ、沖田さんにも私の前世───目の前にいる彼女にも似ているかもしれない。 彼女は彼らの強い思いに折れたのか、小さく溜息を吐いて頷いた。どこか辛く苦しそうで、悲しげな表情をする彼女を見て、何も知らないはずなのに胸がきゅうと締め付けられる。
「……分かった。教えるよ、全部……」
呟いた言葉は少し震えていた。 |