唇に触れた柔らかい感触。それが何を表しているのか、今の状況を理解するのに時間がかかってしまった。 主、好き。唇が離れ、加州くんが私を見つめてそう呟く。あまりにも突然で頭では何が起きたのか理解はできたはずなのに、体が硬直したように動けない。
「……俺じゃ……ダメ、なの……?」
弱々しい言葉を吐いたかと思えば、カクンとそのまま前に倒れる。次々と起こっていくことが急すぎて頭が追いつかず、加州くんの重みに耐えきれなかった私は彼と一緒に畳へ倒れ込んだ。 耳元で寝息が聞こえ出す。彼が上に乗ったまま、何が起こったのかを順々に整理していく。 自分の唇に手を当ててみた。先程の光景を思い出せば、顔が熱を帯びていく。唇に残っていた柔らかい感触、仄かにしたお酒の味、伝わってきた彼の熱。それらのせいで狂ってしまいそうだった。 私のことが、好き……? 加州くんが好きなのは昔も今も、前世の私ではなかったのか。一度そう思ってしまうとどんどんネガティブな方に考えてしまう。最近の、と言うより審神者になって加州くんと出会ってから多くなった悪い癖だった。 もし、今まで私に見せてくれていた笑顔や言ってくれていた好きという言葉は、全て私ではなく前世の和音に向けていた言葉だったとしたら。そんな疑問に辿り着いてしまった時、心のモヤモヤは一層に深みを増した。胸が苦しい。 なぜ、私はこんなに悩んでいるんだろう。
『───俺は主といるのが1番の楽しみで休憩だからこれでいーの。』
『───刀が誰かに恋するって……可笑しい?』
『───俺は、主が危険な目にあいそうになったら、主を守るために無茶するからね』
『───近侍はずっと主の傍にいれるから……』
『───主、……すき。』
前は純粋に嬉しいと思っていた言葉も、振り返ってみれば今じゃ胸が締め付けられるように苦しい。 なぜ私はこんなにも彼からの好意を純粋に喜べていないのだろうか。なぜ私はこんなにも前世の私の存在を否定したくなるのだろうか。加州くんに向けられる好意が、完全に私に向けられたものではないから?彼が、私自身ではなく前世の私のことばかり見ているから? そう考えていると自分の中にある1つの気持ちに気が付いた。
「はは、嫉妬なんて……意味わかんない。」
ぽつんと小さく呟いた言葉は、目の前に居る加州くんにさえ届くことなく消えていった。 私は前世に嫉妬しているのか。私は何て醜い人なんだろう。今も前世も同じ自分で何も変わらないというのに、どうしても別の人間だと考えてしまう。同じ人物だとは思えないのだ。 彼に前世と重ねて見られているのが嫌で、彼に自分だけを見てもらえないのが嫌で。一体私の思考や気持ちはどうなっているのやら。自分でも分からない気持ちに余計腹が立つ。 全ての記憶を思い出せていないから?思い出すことが出来れば、嫉妬なんてしなくて済むのだろうか。 加州くんと出会った時は沖田総司の恋人の生まれ変わりだと知って、早く思い出せたらいいななんて思っていた。なのに今は?彼に前世と比べられるのが嫌で、思い出したくないなんて思ってしまう自分がいるのだ。 もしも、あの時私が殺されずに二振りと幸せに暮らしていたら……今の私はいなかったのかな。もしも前世の私がいなかったら、私はあの夢を見ることもなくて、審神者になっても彼らと運命的な出会いはなかったのかな。それどころじゃなく、初期刀を加州くんにしていなかったかも知れない。
「……加州くん、重いよ……」
だめだ、もうこれ以上考えるのはよそう。私は加州くんをそっと横に移して起き上がり、多分酔っていないだろう燭台切さんに、私の部屋で寝ている彼を運んでもえないか頼んでみようと自分の部屋を後にした。
* * *
「あ、おはよう安定くん。」
「…………おはよう……」
厨で朝食を作っていると、だるそうに安定くんがやってきた。頭を抑えながらうーんと唸る安定くんに「もしかして二日酔い?」と苦笑すれば、そうかも……と頭を押さえた。
「……いい匂い」
「今日は二日酔いする人が絶対いるだろうと思って症状を和らげるメニューにしてあるから」
私の横に来て手元のお味噌汁を見る安定くんに「食べられそう?」と聞けば黙ってこくりと頷いた。まぁ安定くんの心配はいらないかもな……普段から結構食べる子だし。それにしても安定くんが二日酔い。昨日遅くまで飲んでたおじいちゃんたち大丈夫だろうか。
「ねぇ主ー……昨日、僕何か変な事とか言ってなかった?例えば失礼なこととか……」
「何で?」
「……あまりにも記憶になさすぎてちょっと心配だったから……何もやらかしてない?」
昨日は意外な一面を見ることが出来た。まさか泣き上戸とは思わなかったけど、これはやらかした内に入るのかな。
「……泣きながら沖田くん連呼してたくらい?」
「………。」
「あと、和音さん一緒に寝てくれないの?って」
「……。……ごめん」
「ふふ、いいよ〜可愛かったから」
頬を赤く染め目をそらしながら謝る安定くんに、くすくすと笑い頭を撫でた。今日の安定くんはめちゃくちゃ天使だ。
「安定くんは素直だね」
「僕が?」
「うん。再会した時からずっと、自分の思うことははっきり言う子なんだなーって……そういう所ちょっと沖田さんに似てるね」
「沖田くんだけじゃなくて、和音さんからの影響もあるんじゃない?」
「あはは、言われてみれば確かに」
沖田さんよりハッキリ言いそうだよね。とそう笑えば「だからつまり、はっきり言うのは主もでしょ?」と彼もまた、小さく笑った。
「私は……本当に自分が言いたいこと、全然はっきり言えてないよ……」
「……主?」
「……ううん!何でもない。それより今日は特別に出陣や内番お休みにしなきゃね」
「?……うん」
「主〜!うっわ、朝から何主にくっついてるんだよ安定!主おはよ〜〜」
「お、はよう」
安定くんと会話を続けていると廊下を走る音がして、元気そうな加州くんが顔を見せた。たった4文字返すだけなのに、不自然な喋り方になってしまう。
「?おはよー。そうそう兼定二日酔いだって〜。兼さん大丈夫?って国広の声がして部屋覗いたら布団にくるまって唸ってた」
もしかして安定も?と聞く加州くんに頷く安定くん。どんだけ飲んでんのお前、と顔色があまり良くない安定くんを見て笑っていた。 何か泣きながら沖田くん連呼してたって主に言われた。全然思い出せない……と目元に手を当てる安定くんを見て苦笑しながら「あー……言いそうだねお前……」と呟いた。面白そうに話す加州くんは、昨日起こったことをすっかり忘れているようだ。加州くんが飲んでた隣で安定くんが沖田くん連呼していたことも、そのあと私の部屋に来たことも。全部。 忘れられてて良かったような悪いような……。
「主これ全部1人で作ったの?」
「へぁ!?あっ、あー……いや、堀川くんと燭台切さんも手伝ってくれてたよ。後はよそって運ぶだけだけど……」
「おっけ〜。じゃあそれ俺がやるよ。……てか安定そんなに頭痛いならそこに突っ立ってないでどっか座ってりゃいいじゃん」
「……うん、そうする……」
「じ、じゃあ私は……みんなの様子見てくる!加州くんその間よろしくね!」
「……りょーかーい」
やはり気まずさには勝てない。そう思った私は安定くんが厨を出ると同時に、逃げるようにその場を後にした。 最近加州くんといると何だか自分が可笑しく感じる。前は全然こんなこと無かったのに、今は気が気じゃなくなってしまうのだ。 逃げるようなことをしまって申し訳ないとは思うけど、傍にいたらきっと昨日のことを思い出して胸が苦しくなるから。多分、きちんと彼の顔を見てあげられないと思うから。 それまでもう少しだけ、せめて心が落ち着くまで……待っててほしい。 |