パリンと、何かが割れる音がした。 和音さん──主が、喉か渇いたと言ってさっき台所へ向かったけど、コップでも落としたのかな?なんて思ったのはほんの一瞬で。その後に聞こえた鈍くて大きな異様な音に、不審感を抱く。もしかして主に何かあった?そう思って考えられるのはただ一択しかない。 只事ではないと思った僕は急いで台所へ向かった。
「死ね死ね死ね!」
嫌な予感は当たり、愛さんの声が聞こえる。 急げば、主の首を締めている愛さんの姿が目に入った。
「主っ!」
僕はそう呼びながら、急いで2人を引き離した。 主は目を瞑ったまま。
「安定……何でこんな奴のところに行くのよ!」
「……聞いてたんだね、愛さん。やっと僕にも見つかったんだよ。僕をきちんと使いこなせて……愛してくれる人が」
「どいつもこいつもこの女ばっかり!! 私には主って呼んでくれたことなんかなかったのに……」
「ごめんね愛さん……。……でもこれ以上僕の主を傷つけるなら……いくら愛さんでも容赦しない」
僕は刀を抜いて、愛さんの方に向ける。彼女は上唇を噛みながら、少しだけ後ずさった。 騒ぎを聞きつけたのか1人分の足音が聞こえてくる。その姿が見えた途端、僕はそいつに向かって叫んでいた。
「清光!」
「!うわ、何。て言うかお前か、よ……」
清光は僕が愛さんに向かって刀を向けている光景を見て不思議に思っているようだ。そんなことは今どうでもいい。それより、早く気付け。
「いいから早く!和音さんが!」
「は?……!主っ!!!」
僕は、清光が僕の後ろで倒れている主の元まで行くのを確認すると、愛さんに再び目を向けた。
「……どうする?愛さんが相手でも容赦しないよ」
「……っ、安定なんて……もういらないわよ!二度と帰ってこないで!」
そう言いながら走って部屋を出ていく愛さん。 僕は刀を鞘に収めると、横たわっている主の前にしゃがみ込んだ。
「……!……い、き……してない……」
「!!? は……」
「どうしよう安定。主が息してない……ねぇ主、死なないでよ……っ」
「……退いて清光。」
ボロボロと涙を零す清光を退かして、主を見つめる。清光の言う通り息をしていなかった。 このままずっとこうしていたら、主は本当に死んでしまう。早く、息を吹き返さないと……
「……ん、」
手段で悩んでる暇はない。そもそも選べるほどの選択肢はないんだ。助けるには……この方法しか。 僕はそっと主の唇に自分の唇を重ねる。そして、息を吹き込んだ。
「……何、やって……」
泣きながらこっちを見てくる清光を無視して、そのまま1回、2回、3回と繰り返していく。 愛さんには僕はもう要らないって言われたんだから、主が起きてくれなきゃ困るよ。きちんと面倒見てくれなきゃ……僕の居場所がなくなる。お願いだから、死なないで。
「っ、ゲホッゲホッ……ぅ……」
「主!!!」
突然咳き込んだ主に驚きつつも、息を吹き返したことに安堵する。 主の上半身を起こすように抱き上げ、顔を覗き込むようにして見る清光の結ってない髪が、重力に負けて下へと垂れた。
「あるじ……っ」
「……加州、くん……?」
主はうっすらと目を開いて、清光の頬に手を伸ばし触れた。そして小さく笑いながら「……はは、生きてた私……」と清光の涙を指で拭った。良かった……、とさっき以上に涙を流しながら主を抱きしめる清光に、泣きすぎだろと思いながら溜息をつく。でも、本当に死なないで良かった。 今でも取り乱さずに冷静でいられた自分に驚いている。沖田くんが亡くなってから大切な人の死について敏感になってると思ったのに。
「……よしよし、泣かないで加州くん……安定くんも」
そう言われて自分の頬が濡れていることに気付く。多分、安心したから涙が出てきたんだ。僕はあの時、助けなければという思いでいっぱいだった。大切な人の死について敏感だったからこそ、逆に冷静に判断できたのかもしれない。
「ありがと……助けてくれて……」
「……悔しいけど、助けたのは俺じゃなくて安定。俺が来た時には……主は既に倒れてたから」
「安定くんが……ありがとう」
「……約束、したからね。絶対守るって」
お礼を言われたのはいつぶりだったかな。とても温かい気持ちになった。僕は主に向かって頷く。
「あーあ、腕の傷口開いてるよ……」
「……ほんとだ」
清光は主から一旦離れると、主を横抱きして抱え上げた。主はうわっと小さく声を漏らす。
「主、部屋に戻って手当てしなおそ。」
「え……でも割れたコップ危ないし……加州くん手当て出来るの?」
「……で、出来るよそのくらいなら!……多分」
俺器用だし!と言い切る清光に、僕は呆れながら「本当に出来るの?」と問う。
「……出来る」
「見栄を張ると後から後悔するよ」
「は?何だよ自分は出来るような顔してさぁ」
「出来るようなじゃなくて出来るんだよ。平和に過ごしてるブスとは違って、手当てする機会が多かった環境にいたんだから」
「ぁあ?ブスはお前だろ!平和の何が悪いだよ沖田厨!」
「お前だって沖田くんに仕えてた刀の癖に!」
「夜中なんだから静かにしようよ……もういいよコップの片付けも手当ても自分でするから……もう何かごめんね死んだほうがマシだったかな」
「「……ごめん」」
清光に抱えられたまま泣き出す主に謝る。取り敢えず清光と主には先に部屋に戻ってもらって、僕は急いでこの場を片付け、主の部屋へ向かった。部屋へ行くと、袖をまくって包帯を取り外しているのが目に入る。 それにしても、思ったより深い傷だ。かなり気を使ってやらないと早くは治らないと思う。清光と場所を代わってもらい、包帯を巻き直して手当てをササッと終わらせた。 今まで手当てする環境に住んでて良かった。清光じゃ全く役に立たないね。
「ありがと〜……安心したら気が抜けて眠たくなってきた……」
「俺もー……」
既に敷いてあった布団の上にばさっと横になった主に続き、清光までもが主の隣に横になる。そしてものの数秒で寝息を立て始めた。いや待って、さすがに寝るの早すぎない? そう言えば僕も1度寝てた2人とは違って未だに一睡もしていないわけで。そう思った瞬間急に睡魔が襲ってきた。
「……ねむ……」
そう実感してしまえば、わざわざ戻って寝なければいけないのが嫌になる。かなり面倒臭い。 ……いっか。どうせ清光もいるんだし。そう思い清光とは反対側の主の隣にいた僕は、その場に寝転がった。 本当……顔も、性格も、ぜんぶ似ている。主の寝顔を見てそう思いながら、僕は重くなってきた瞼をそっと閉じた。
「安定くん、昨日からずっといないけどどこに行って───あ……ふふ、良かった。仲直り出来たんだね。」
朝早く目が覚めた国広に、主の部屋の布団で3人一緒、しかも僕と清光が主に抱きついて寝ていた光景を見られていたことは当然知るはずもない。 |