02
「顔、真っ赤だぞ」
カップルダービーの真っ最中に、わたしを抱えてエスケープなんて漫画のようなことをしてくれた土方くんは、その肩から下ろしてくれるなりそう言った。
そんなこと言われなくてもわかっています。頬が熱いことはずっと前から知っています。
そう反論すると穏やかな表情をして見せた土方くんは、懐かしそうに口を開く。
「最初に会ったのは屋上だったな」
「…そうだね、起きたら目の前に顔があってびっくりした」
「まさか殴られるとはな、こっちも驚いた」
「そこは忘れててほしかったなあ」
そこで周りを見渡して、ようやくここが屋上であることに気がついた。
噂のイケてるメンズが目の前にいて本当に驚いたのを覚えている。そのときの彼の言葉も行動も、脳裏に焼き付いて離れない。
あんな出会い方をした土方くんには、本当に感謝してもしきれないくらい恩がある。
あの言葉がわたしを変えてくれなかったら…今のこの状況なんて存在していなかったはず。
最初は憧れで、自分にとっての恩人になって、次第に意識するようになった。そのとき、それぞれの状況で抱いていた感情は自分自身にとって大変にプラスなものだったなあとしみじみ思う。
「なに笑ってんだよ」
「えっ、笑ってた?」
無意識のうちに笑みを浮かべていたらしく、それを指摘されるとなんだか恥ずかしくなる。顔を上げられないでいると、視野の中に体育館シューズのままのつま先が踏み出してきた。
詰まる距離に驚いて下がろうとすると腕を掴まれた。そうまでされるとどうしようもなくなって、おずおずと顔を上げると、土方くんはどうしたんだってくらい真剣な顔をしていた。
その整った顔でそんな表情をされても困る。目の前に立つ土方くんは、自分が今まで出会った誰よりもかっこいいのは間違いない。心臓が激しく鼓動しすぎて痛いくらいだ。
「七瀬、俺は、」
「ま、待って、ちょっとだけ待って」
急な展開に心臓と頭は今にも爆発しそう。意味もわからずなんだか泣きそうになりながら、土方くんに制止の言葉を投げ掛ける。だけど彼は止まってくれない。
腕を掴む力が少し強くなって、さらに距離を詰められる。ほんの目と鼻の先にまで寄られては、思わず目をそらしてしまった。
「俺が嫌か」
「い、いやじゃないよ」
「なら俺の目を見ろよ」
「えっ!?」
見ろと言われてすぐそうできてしまうほどの度胸もなく、視線が宙を彷徨う。
「なんか、土方くんじゃないよ」
「あん? 俺だろうが」
「い、いつもの土方くんじゃないってこと!」
視界の端で、その顔がずっとこちらを向いているのがわかる。なんとかちらりと見るものの、しっかりと目を合わせられない。
それを繰り返していると、その表情がなんとも切なそうなものに変化していく。
「んなことわかってんだよ」
「いつもの土方くんに戻ってよ」
「それだとこの関係はなにも変わりゃしねえだろ」
「…変わらなきゃいけないの?」
その問いかけに次に目を伏せたのは彼の方だった。一旦口をつぐんだものの、何かを言いかけてはやめ、言いかけてはやめてを繰り返している。
最後には眉間にシワを寄せて、ぐしゃりと乱暴に髪を掻き上げていた。
「…お前が、泣きそうな顔で友達だと言うんじゃねえか」
ハァ、と溜め息をついている。そうして次に、伏せていた目をこちらに向ける頃には、その瞳にはなんの迷いもなかった。その真っ直ぐさに思わず見惚れてしまう。
「俺ァ、もともとこんな押すタイプじゃねえよ。でも七瀬が泣きそうな顔してっから、笑った顔が見てえから、」
わたしの頬を撫でる大きく、骨ばった手はひんやりと冷たくて火照ったそこに触れられるのは心地良い。
「…1回しか言わねえからよく聞け」
呼吸するのも忘れそうなほどだった。その薄い唇から言葉が紡がれるのを待つことは。
「俺は、お前が好きだ」
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