06
わたし、天に召されるのかな。
その目つき、表情を見て真っ先にそう思った。これはなんの例えでもない。事実である。
自分の顔のすぐ横を通って、後ろの壁にバン! と大きな手が叩きつけられる。肘を折って、ぐっと距離を縮められては肩がすくんだ。
かろうじて、これが噂の壁ドンか、と思考が巡ったが全く萌えなかった。理由は明確である。こちらを見るその、瞳孔の開きっぷりが半端なかったからだ。
「お、おおお怒ってる…?」
口周りの筋肉が強張ってすらすらと喋ることができない。土方くんは瞬きの回数が格段に減り、真っ直ぐにこちら見てくる。
対照的にこちらは瞬きしまくりだし、冷や汗すごいし、帰りたいし。なんかもう心の中は混沌としてた。いわゆるカオス。ほんとやっばい。それに尽きる。
「ああ、怒ってる」
「えっなんで、どうしてでしょうか」
「わからねえ」
「そんな馬鹿な」
「あ?」
「も、申し訳ございませんっ」
近づいた、彼の胸元を押し返してみたけどビクともしない。筋肉すごいなんてバカなことを一瞬でも考えた自分を殴りたい。
胸板にときめいてる場合か。今この状況下で、自分の生と死が天秤にかけられているんだ。
「…なんでだよ」
ぽつりと小さく呟かれたので、思わず聞き逃しそうになった。聞き返すと、浮かんでいる表情は怒りからなんとも情けないものへ変わる。
眉尻を下げた、見たことのない表情に呆気にとられていると、壁についたままだった大きな手がわたしの髪の毛に触れた。
「なんでこう、うまく伝わんねえんだよ。俺は迷惑だなんて言ってねえだろ」
髪に触れていた指先が滑り、頬を這う。土方くんの予想の斜め上を行く行動に、自分の口から心臓が飛び出すかと思った。
目の前の人に聞こえてしまうんじゃないかと思うほど、どっくんどっくん大きな音を立てる心臓。このまま放っておいたらキャパシティオーバーしてしまいそうだ。
「なんかこう、違うんだよ。お前は」
そう言う声は震えている。向けられていた視線がようやく外れ、知らず知らず止めてしまっていた息をか細く吐いた。
上がる熱で、頭はぼやける。だけど彼の強い言葉だけははっきり聞こえていた。
「そ、それって…どういうことですか…?」
放られた言葉通りに受け取っていいものなんだろうか。聞き間違いなどはしていない。できるわけもない。目の前から、真っ直ぐな視線とともに確かに寄越されたのだから。
でも、と疑ってしまう。土方くんがわたしなんかにそんなこと言うわけないと、否定してしまう自分がいた。
「どうって、あんなフィルターかかった目で見ねえし、普通に話せるし、…っああ! くそ! とにかく距離とるとか言うんじゃねえ!」
気持ちの行き場がないのだろうか。大きな溜め息をついた土方くんは、髪の毛をぐしゃぐしゃと掻きながら座り込んだ。
わたしはというと、ただ呆然としていた。
彼のセリフにより、やけに冷静になった頭で言われたことを必死に要約する。
わたしは特別だと。側に居ろと。…そういうことで、間違ってないですよね?
「…え、えっ!?」
思わず大声を出してしまった。眉間に皺を寄せた、やや鋭くなった視線が再度こちらを捉えた。
わたしは酸素を求める金魚みたいにぱくぱくと口を開閉させ、言葉の続きを言えないでいた。土方くんは鋭い視線を不思議そうなものに変え、今度は凝視してくる。
「…土方くんって、わたしのこと特別だと思ってくれてるの?」
「他のやつとは違うってそう言ってんだろ」
「わたしが近くにいていいの?」
「んだよ、だからそうだって…」
「そ、それって! わたしのこと…どう思ってるからなの?」
「どうってそりゃ、…あ?」
はた、と次に動きを止めたは土方くんの方だった。足元を凝視して、何か考え込んでいるように見える。
しばらくその状態が続き、ようやく動いたかと思えばギギギ、と音がなりそうなほどぎこちないものだった。
「…帰るぞ」
返事はさせてもらえなかった。大きな手に手首を掴まれて、強い力で引っ張られる。わたしの重量なんかもろともせず、軽々と立たせたかと思うとそのまま早足で歩き出した。
こちらの制止の言葉を無視してA組とZ組の教室に踏み込み、カバンふたつを引っつかんでいる。
「ちょ、土方くん!?」
心なしかその耳は赤いように感じた。
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