その目が弱みを握るとき 01
「顔色悪ィけど大丈夫か?」

 背後から聞こえた声に足を止める。振り返ると坂田先生がいた。彼は3年Z組の担任で、人気のある人だとよく聞く。あいにく受け持ってくれている授業もないので噂止まりだけど。ーーーまたZ組。どうやら今日はZ組の有名人にずいぶんと縁があるようだ。

 沖田くんが果てた後のこと。息を上げながら、ようやく上から退いた彼を見ていたらどうしようもなく恥ずかしくなった。
 そのへんに捨てられていた下着を一瞥し、そのタイミングをうかがう。彼が顔を俯かせたのを見計らって、出入り口へダッシュした。制止する声が後ろから聞こえたものの振り返ることはしない。

 すぐ近くのトイレに駆け込んで情けなくなった。握りしめていたパンツを履き直そうとして、内ももにべったり付いた白濁した液体に現実を直視する。
中に出されるということは免れたものの危なかった。不用心な自分に嫌気が差す。
 幸いにも制服には付着していなかった体液を、水道で手を濡らして少しずつ拭き取った。トイレットペーパーは水でふやけるから役に立たない。四苦八苦しながらなんとか綺麗にし、顔を上げる。
 その高さに設置された鏡を見ると、いつもと特段変わったところのない自分がそこに映っていた。あとは帰るだけ。適当に身だしなみを整えて歩いていたら、今だ。

「手首、赤くなってんぞ」

 指差す先、手首にはうっすらと残るベルトの跡。きつく固定されたせいで赤みがすぐに引かなかったのだが、袖口に隠れて目立たないだろうと踏んでいた。それを目ざとく見つけられてしまい言葉に詰まる。

「…言いたくねーようなことでもあった?」

 勘の良さも程々にしてほしい。

 セックスをしたあとというのはどうにも身体が重たくなる。コンクリートに押し付けられたせいであちこちに痛みも感じている。そうしたら自分の痴態を思い出し、さらに押し黙ることしかできない。早くひとりになりたかった。

「ちょっと顔貸してもらおーか」

 だけどちょっとした隙をつかれて、先生の大きな手に頭を撫でられた。それはとても温かかった。…なんだろう、気持ちいい。

「一緒にジャンプ読みながらいちごのケーキ食おーぜ」

 教師らしからぬ発言だったが、低いその声は優しくわたしの鼓膜を揺らす。

 それは悩ましい誘惑だった。乾いて仕方のない喉を潤すためにおいしい蜜を目の前にぽとりと落とされる、そんな甘い誘いのように思えた。


………


 着いて、来てしまった。

 なんとも言えない、罪悪感にも似たそれを胸に抱きながら、初めて入った国語準備室の中を見回す。壁に側に置かれた本棚には難しそうな書籍がたくさん並んでいる。部屋の中央に低めの机とそれを挟んでふたつソファがあって、わたしと坂田先生は向かい合うように別々のソファに腰掛けていた。

 設置されていた冷蔵庫から、本当にいちごの乗ったショートケーキを取り出して目の前に置いてくれた。その横にはいちご牛乳。どれだけいちごが好きなのと思ったのは口には出さないでおく。

「甘いもん好き?」

 もちろんと頷いて、使い捨てのフォークを受け取る。包装を破いて白いクリームへ突き刺し、ひとくち頬張る。ーーー甘くて、おいしい。思わず口元を綻ばせてしまった。ふと前を見ると、眼鏡の奥の気だるげな瞳と目が合う。
 国語教師なのに白衣をまとい、シワシワのそれを気にすることなく佇んでいるのに可笑しくなった。ケーキを前に気が緩んでいるのもある。

 その視線がやおらに手元に注がれる。そういえば、坂田先生って無類の甘党なんだっけ。その趣向は生徒間で噂になるほどだ。もしかしてこれは先生のおやつだったのだろうか。今さらながら遠慮もせずに頬張ったのを戒めた。

「食べますか?」
「いいの?」

 目を輝かすその表情はさっきよりずっと幼く見えた。
 もとよりこれは先生のなんだから良いも悪くもないに決まっているのに。そう思いながらケーキを先生の方へ寄せようとするも、彼はおもむろに立ち上がってすぐ隣にやってきた。

 近い距離にドキリとする。

「俺、甘いもんすげー好きなのよ」

 大きな手にフォークを奪い取られる。その先は柔らかいスポンジを裂いた。そしてそのまま口へ運ぶのを見てまた心臓が妙な音を立てる。…間接キス。

「そんな見んなって。ほら、あーん」

 欲しがっていると誤解されたらしいが、本音がバレるよりずっといい。たが、ひと口サイズに切り分けたケーキを口元に持ってこられるのにはちょっと戸惑った。
 さも普通だというようなその行動を意識して、恥ずかしがる自分の方がおかしいような気分になる。先生は大人だ。わたしみたいな子どもに、いち生徒になんかなにも気にしていない。

 恐る恐る口を開けると、柔らかい食感のあとすぐに甘みが広がった。フォークを抜いて、先生は優しく笑う。

「クリーム、ついてる」

 伸びた手が、口元を素通りして後頭部に添えられる。一瞬だった。先生の大きな口がわたしの唇にかぶりついたのは。

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