その目が宙を彷徨うとき 04
 狭い密室に先生の香りがするので、つい鼻を鳴らすと「煙草くさい?」と聞かれた。首を横に振って否定する。そんなのとは正反対の甘い優しい匂いだ。でもそれを初めて嗅いだタイミングがまさかあんな情事のときだったとは誰にも言えまい。

「乗ってくれると思わなかったな」

 車を発進させるわけでもなく、かけっぱなしのエンジンのせいで微かに揺れる車内。無音ではないお陰なのか、思ったより気まずくはない。
 先生はフロントガラス越しに空を眺めている。その横顔をちらりと見、先生とあんなところでやっちゃったんだなと思い返し、不思議な気分になる。

「先生に聞きたいことあったんで」
「なに? 彼女ならいねーよ?」
「…どうして全部知ってたんですか?」

 今度はわたしが空を見上げる番だった。そちらを見ないようにしたつもりだったのに、視界の端で先生がこちらを向いたことがわかってしまう。でも、どんな表情をしているのかは知りたくなかった。

「全部ってわけじゃねーと思うけど…それって沖田くんのこと? それとも…高杉?」
「…両方です」

 誰にも言いたくない、知られたくない秘密を先生は全て知っているような気がする。一体どこまでを把握されているのか、それを確認しておきたかった。

「沖田くんのことは、屋上にいたの俺の方が先だったって話なだけ。授業ねーし校舎は禁煙だし校舎内での喫煙バレたら減給だしで、入り口からの死角で吸ってたらお前ら来て、まあそっからは言わねーでもわかるだろ」

 それで止めもせずに陰からずっと見てたのか。この人は本当に教師かと思ったが、今抗議しても仕方がないので、ふうんと短く相槌を打つ。
 実は、沖田くんのことはそんなとこだろうと思っていた。本当に聞きたいことはそっちじゃない。

 先生は直接的なことは何も言わなかった。ただ知っていると匂わせただけ。

「高杉はー…なんでだと思う?」
「わからないから聞いたんですけど」
「ななこちゃんが誰にも言ってねーならそのお相手から漏れたとは思わねえ?」
「…高杉くんが先生に?」
「そ、俺と高杉、実はガキんときから腐れ縁」

 高杉くんは、自分のことを他人に話さなさそうなイメージだったが実はそうじゃなかったのかと、やっぱりわたしは彼のことを何も知らなかったのだなと思い知らされる。

 返事をしないまま、ただ空を見ていると声をかけられた。振り向くと、真っ直ぐに視線を寄越す先生と目が合う。

「そのネックレス誰かからもらった?」
「…どうして?」
「ペンダントトップが指輪だから、そうじゃねーかなって」
「そうですよ、もらいました」
「高杉から?」
「…わたし、土方くんと付き合ってるんですよ?」
「…ホントややこしーなお前ら」

 頭をかいて前を向く先生に、この胸の焦りはバレていないと思いたい。



 このネックレスは高杉くんからもらった。マンションからの帰り際、珍しく玄関まで見送ってくれた彼が「目ェつむれ」なんて言うものだから変にドキドキしてしまった。
 チャリ、と音がして首筋に冷たいものが当たる。「いいぞ」と声がして、恐る恐る胸元を見るとシルバーのチェーンに通った指輪が鈍く光っていた。

「絶対に外すな。土方の前でも」

 クリアできそうにない無理難題を押し付けられて返事できないでいると、喉の奥を鳴らして笑った高杉くんは、わたしに触れるだけのキスをする。ーーー苦い、ついそう思ってしまって顔をしかめたら、今度は舌が割って入ってくる。ようやく唇が離れた頃に見た彼の目は、しばらく忘れられそうにない。



 歩くたびに首元で跳ねるアクセサリーは、緩いはずなのにぎりぎりと首を締めていく。軽いはずなのに、動くたびに感じるその重みに息がしづらくなる。

「先生、」

 吐き出したい。逃げ出したい。今の現状からそうしたいといつも思っている。

「わたしはどこで間違えたんでしょう」

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