彼と真正面から向き合い、わたしは微笑んで見せる。

「ねえ、我愛羅」

 こちらの呼び掛けにぴくりと反応した肩、それをわたしは見逃さなかった。
 俯いていた我愛羅はゆっくりと顔を上げた。鋭さを纏わせた瞳と自分の視線が交わるという、たったそれだけのことで頭のてっぺんから爪先まで動かせなくなる。背筋にぞくぞくとしたものが走り、手首をぎゅうっと拘束されているような錯覚を起こした。貼り付けた笑みなんか一瞬で剥がれたのだ。
 瞬きすることを忘れ、見つめていると、相手の白目がほんの少し充血していることに気が付いた。それは我愛羅が普段、あまり寝られていないことからくる症状だろうか。

「……殺してくれる?」

 喉に張り付きそうになる言葉を必死に絞り出した。息をすればひゅう、と鳴る。それほどまでに我愛羅から発せられる圧力は凄まじい。
 我愛羅の真一文字に結ばれた唇は開くことはない。そのとき彼の背負う大きな瓢箪から、さらさらとした砂が舞い上がった。それはわたしの手や頬を撫でる。粒子が細かく、場にそぐわないくすぐったさが感じられた。

 わたしは必死に口元を歪めた。笑顔になり損なったものを我愛羅に向けるも、彼は特に表情に変化を見せない。元々感情の起伏なんて、平坦か怒りが爆発するかのふたつにひとつしかないような奴だ。どんな感情を抱いているのか、なんてわかるはずもないけれど。それでも我愛羅が一体何を考えているのかと考察した。
 どうしてお前が、と絶望している? どうしてこうなった、と後悔している?
 ぽつん、ぽつんと当たり障りない疑問が浮かんだものの、そんなありふれた、今さらであることを我愛羅が考えるはずもないと思い直す。

「ねえ、わたしのこと、殺してほしいの」

 すっと目を細めた我愛羅は、肯定も否定もしなかった。





 わたしは小さいとき父様に連れられて、大きな建物に招かれた。そこで出会ったのが我愛羅だった。「仲良くしなさい」と言われ、公園に誘ったのを覚えている。
 我愛羅はわたしに対していつも怯えていた。それはわたしに怖いとか苦手だとかそういう感情を抱いているわけではなく、わたしのことを壊してしまうと思っていたからだった。

「わたし、こわれないよ? ニンジャってジョーブなの!」

 その頃、忍者の見習いとしてアカデミーに通っていたわたしは我愛羅にピースサインを見せつけ、その手を引っ張った。何より父様の言いつけだったし、遊ぶのは好きだったし、友達が増えるのは嬉しかったから。
 振り返った先で我愛羅は笑ってた。頬を赤く染めてはにかみ、意外と可愛いやつじゃん、と思えるような笑みを浮かべていた。

 それからすぐだった。我愛羅がどうして恐れていたのかを知るのは。そして、我愛羅と一緒に遊んでいたときにいじめっ子に絡まれて、暴走した砂がわたしの腕や足をへし折り、彼が泣きじゃくりながら謝ってくれるのを額に脂汗を滲ませながら宥める、なんてことは内容を変えて何度も起きた。

 我愛羅の中に、尾獣がいる。だから彼は人柱力という尊まれる存在でありながら、その力を制御しきれず、里の人間から恐れられ疎まれて生きていた。
 その力をまざまざと見せつけられ、わたしは正直恐怖を覚えた。自分は無力で強大な力にただねじ伏せられるという、一方的な暴力に怒りすら湧いてこないほどに。
 だけど冷静になった我愛羅はわたしの体を必死に抱き締めて、震えながら謝ってくれる。「次はもうしないから。強くなるから」と誓ってくれる。いつ叶うやもわからない約束だったけど、わたしは我愛羅を嫌いになれず憎むこともできなかった。

 だから我愛羅の側にいた。彼が心を許していた夜叉丸に命を狙われて絶望したときも、実の父親に刺客を送り込まれて血縁すらも憎しみと殺意の繋がりとしか思えなくなっていたときも、わたしは残酷なまでに破壊と殺戮を繰り返す我愛羅の隣にいようとした。
 我愛羅はいつも精神的に不安定だった。「お前も他と一緒なんだろう」と荒むときもあれば、「すまない…どうして俺は…」と沼に落ちていくときもあった。
 わたしはいつもかける言葉が見つからなかった。だからただ手を握っていた。舞う砂に骨肉を潰されても、皮膚が裂けようとも、他に手段がわからなかったんだ。

 いつしか我愛羅は、わたしを彼自身の部屋から出してくれなくなった。自分の目の届かない場所に行かせられないと言うようになった。そしてその部屋に帰ってくると、ただわたしを抱き締めて過ごすようになった。

「ななこ」

 そしてその日は珍しくわたしの名前を呼んだ。

「俺はもうお前だけいればそれでいい」

 それは奇しくも、父様が娘の奪還のために人柱力に逆らった日だった。





「……お前も、俺が、憎かったのか」

 そう呟くように言った我愛羅の足元に転がるクナイ。それはわたしが彼に向けたものだ。必死に切っ先を向けたのを、呆気なく砂に振り払われてしまった、わたしの気持ちの残骸だった。

「そりゃあ、憎いよ。だって、どうして、父様を」

 ぼろぼろと溢れる涙を拭うことはせず、わたしはただ我愛羅を見つめた。

「ななこを俺から引き離すと言ったんだ」
「帰ってこない娘が心配だったのよ」
「確かにお前の父親かもしれないが、今ななこの一番近くにいるのは俺だろう」
「それでも血の繋がった子どもがなんの連絡もなく閉じ込められていたら、我愛羅が悪に映ったの」
「……血の繋がりなんか、お前の口から聞きたくなかった」

 俺のことを誰よりも見てきたななこに。そう言うと、我愛羅は苦しそうに目を細めた。

「どうして殺してほしいんだ」
「だって、わたしが生きている限り、我愛羅はわたしをここに閉じ込めるでしょう」
「それはお前が俺の元を離れないという確証がないからだ」
「言葉に表しても信じてもらえないなら、永遠に得られないものを求めるのは間違ってる」
「だからななこがここにいれば確証に繋がる」
「……繋がりなんてもの、信じたことないくせに」

 瞼を下ろして、砂の感触に身を任せる。

「我愛羅が生きている限り、わたしはここでずっと後悔するのよ。どうしてあの日あなたに手を差し伸べたんだろう。あなたを許したんだろう。あなたを選んだんだろう。そのせいで父様は死んだ。娘を思う心なんか持ってしまったから殺された。……ねえ、我愛羅」
「……」
「我愛羅は自分の唯一に選んだ相手にずうっとこんな苦しみを与えるの?」

 我愛羅は返事をしない。わたしはただ、願う。



 ーーーねえ、父様、ごめんなさい。全てはわたしのせいです。我愛羅の内なる狂気に気付いた父様は、わたしを何度も説得しようとしてくれました。それを振り払ったのはわたしです。馬鹿なわたしなのです。
 誰よりも恐ろしい力を持っているくせに、誰よりも弱い少年を守らなければと、ついには愛してしまったわたしのせいなのです。父様が死んで確かに苦しい。我愛羅には憎悪を感じている。だけどわたしは彼を憎みきれないろくでなしなんです。
 この言い表せない気持ちの入り混じる、どうしようもない自分は愛してやまない相手に全てを押し付けて終わりにしたい。逃げ出したい。

 だから、



「ねえ、我愛羅」

 目を開いて、わたしは微笑んで見せる。

「……殺してくれる?」

 我愛羅はぴくりと肩を震わせて、顔を上げた。そこには絶望が浮かんでように思える。目の充血は今の彼に似つかわしくないものが滲んだせいなのか。
 さらさらと舞い上がった砂は、わたしの首筋を這った。たくさんの人の血が染み込んだであろうそれで、人間の急所を撫でるのは彼の意志なのか、それとも砂の愛なのか。

「ねえ、わたしのこと、殺してほしいの」

 やはり、返事はない。

 まとわりつく砂が確かな感触を持った。五感を封じられて、世界から遮断される。
 これが我愛羅の返事なのだろう。ひんやりと冷たく感じられるそれらに身を委ねてひと息。
 ……ああ、ようやくわたしは解放される。



 全身にぎゅっと圧がかかる。ミシミシと骨身が音を立てるこの感覚も、このあとどんな痛みが、苦しみがやってくるかもわたしは知っている。それに耐えて、いつも我愛羅の側にいた。

「……ごめんね、我愛羅。わたし壊れちゃうね」

 ぽつんと呟いて、そして、”こわれない”と言ったわたしに嬉しそうにはにかんだあの日の彼に、謝罪を。





「ーーー謝るな」

 刹那、ざぁ、と視界が開けていく。

 重力に逆らえず、落下したわたしを受け止めてくれたのは我愛羅だった。混乱するこちらを他所に、彼は息が止まるほど強い力で抱き締めてくる。

「ななこはいつも笑っていて、強くて、優しくて、闇に引きずり込まれそうになる俺の手を掴んでくれる。俺はそんなお前が大切だ。唯一なんだ。なのに俺はななこを傷付けることしかできない」

 耳元で聞く我愛羅の声は珍しく震えている。

「だが傷付けてでもななこを側に置いておきたいんだ。お前がいなくなったら、俺は、」

 腕の力が少し緩んだ。だから我愛羅の胸から顔を上げられた。泣いているのかと思っていたら、彼は笑っていた。そして愛おしそうな目でこちらを見つめてくる。優しい手つきで頬を撫でてくれる。

「だからダメだ。ななこだけは壊せない。ななこがどれだけ苦しんでも嫌がっても」
「そんな……」
「今度こそ約束する。次はもうしないから、強くなるから」

 それは幼き日々に何度も聞いた言葉だった。

「我愛羅…」
「後悔した分だけ俺のことを憎んでくれ。好いてくれとは言わない。どんな感情だとしても俺だけに向けてくれればそれでいい」
「我愛羅、わたし嫌だよ…」
「俺もななこがいなくなってしまうのは嫌だと思った」

 目の前にいるのは本当に我愛羅? そう思ってしまうほど意思疎通ができている気がしない。得体のしれない恐怖が自分の中を駆け巡ったが、わたしはその恐怖の腕の中。

「ななこ、愛してる」
   
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