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 しん、とした室内でわたしはただ天井を見つめていた。
 晋助くんが部屋から出ていくのを目で追い、ガチャンと扉が閉まる音を聞いてから布団の中でひと息つく。すると晋助くんと会えたという感情の高ぶりが収まり、熱による気だるさが戻ってきたのだ。

 布団の下に沈んでいきそうな体の重さを感じながら、ふと今何時だろうかと疑問に思う。ゆっくりと周りを見回すと、床に落ちている鍵を発見した。それはきっと昨日、晋助くんがわたしに握らせようとしたこの部屋の合い鍵に違いなかった。
 また渡さないとと腕を伸ばして拾い、自分の頭元に置く。すると手に固い感触が触れた。首をひねってそちらを見ると自分のスマートフォンが置かれていた。
 液晶画面を光らせて数秒、急に頭をガツンと殴られて、現実に引き戻されたような感覚に陥った。

 思わず体を起こしてしまいながら、そこにあった坂田くんからの何件もの着信を確認する。恐らくその途中の1件だろう振動で、起きた記憶が確かにあった。それらはメッセージで締めくくられている。
 表示されている時間は”11:47”で、今日は平日だから彼はきっと今ごろ大学だと思う。誰にも連絡しないで休んでるけど大丈夫かなと思ったところで、ああ。そうだったと思い出した。別に問題なかったな、と。

 メッセージアプリを開いて、トーク欄の一番上に表示されているのを見つめる。
 ”寝てる? 体調悪い? 連絡くれるの待ってるから”
 坂田くんからのメッセージはそう表示されていた。受信時間は”10:17”だったが、それ以前にもメッセージを受信しているらしく、右側には丸で囲まれた数字の3があった。

 どうしよう、と考えてしまったのは、わたしは坂田くんをただ拒んだだけだったから。



 ーーーキスもその先も、俺を受け入れてくんね? でも全部を今すぐにとは言わねーし、時間かかってもいい。気持ちも後付けでいいから。
 昨日、坂田くんの家でふたりで鍋を作って食べた。そして後片付けをしていたらそんなセリフが飛んできて、坂田くんはわたしに好きだと言った。
 坂田くんは見たこともないぐらい真剣な顔をしていた。彼に一年以上も片思いしていたから、もちろんかっこいいなと思ったし心臓がドキドキした。

 でも思い出したのは晋助くんの言葉だった。坂田くんにキスされようとも、頭をよぎったのは晋助くんの笑った顔だった。
 咄嗟に坂田くんの胸を押して距離を取った。冷静になってすぐに謝ると、彼は「急にごめん」と言ってくれ、パッと見たなら笑顔だと思えるものを浮かべてくれていたけれど。
 その口元は引きつっていた。目は細められるどころか見張るようなものだったし、目尻も下がっていない。瞳はどこか虚ろで、それは無理やり笑顔を作ろうとして失敗した、酷く傷付いた表情だった。それを見ていられなくなって、わたしも「ごめん」と呟いてからあの家を飛び出してきた。
 わたしは坂田くんの気持ちを大切に扱ってあげられなかったのだ。


「…どうしよう、」

 電話やメッセージを折り返すどころか、既読をつけてしまうことも躊躇してしまう。
 でもこのままにもしておけない。わたしは晋助くんに好きだと伝えて、彼も同じように返してくれた。ここにいないのはこんなわたしのために時間を割いてくれているから。
 わたしは納得いかないまま突き放される辛さを知っている。気持ちが宙ぶらりんになったら最後、どこへもやれずに心の奥底で焦げ付いて、そこから上がる煙に涙が滲んでしまうことを身を持って体験していた。

 メッセージを開こうとする指先が震える。タップして表示された文章は、”さっきはごめん”から始まっていた。
 “声が聞きたい、話がしたい”
 そしてそのあとに先ほど目を通した、わたしを気遣うもので終わっていた。なんて返そう、と指先がフリックする場所を悩んでいたとき、坂田くんから着信が入る。
 ドッ、と心臓が跳ねた。ヴーヴーと震えるのを食い入るように見つめるもなかなか途切れない。応答すべく、わたしはひと呼吸おいてから緑のボタンへ指先を滑らせた。

「…もしもし、坂田くん?」

 呼びかけると、向こう側からはぁ、と息を吐く音がした。

「よかったー…連絡取れねーから心配した」
「ご、ごめん…なんか熱出たみたいで寝てたんだよね」
「え、マジで? 今も熱あんの? なんか買っていこうか?」

 あ、えっと、と呟くことしかできないほど質問を被せられ、自分は問われたことに対する最適解がわからないでいた。本題からはずいぶんと遠い内容に、どうやって話を持っていけばいいのかわからないでいる。

「測ってないけどたぶん大丈夫。家も色々買い置きあるし」
「あー確かに、ななこちゃんそういうの用意周到そう」
「そうかな」

 なんて返事していたら遠くで錠前の回る音がする。ハッとしたあとに、今までの比じゃないぐらい鼓動が速くなる。隣に人がいたなら、ドクドクと聞こえてしまいそうなくらい拍動の音が大きく感じた。

 トン、トン、トン、
 それは止まってくれるわけもなく、すぐ側の扉のノブを回す。耳元で「ななこちゃん自立すごいじゃん」と聞こえたのに、喉に張り付いたような乾いた笑いしか出なかった。

 カチャン、と開いたそこから現れたのはやはり晋助くんの姿だった。彼は携帯片手に座り込むわたしをじっと見ているように思えた。
 慌てて切るのも怪しいように思えた。切るタイミングも見つからず、晋助くんにぺこりと会釈してから、電話口で「ごめん、急に電話して。ライン既読ついてんの見たから今なら繋がるかと思って」と説明されるのに、うん、うん、と必死で相槌を打つ。

 晋助くんはしばらくリビングの入り口で立ち尽くしてから、手に持っていたビニール袋をガサガサならしながら近付いてきた。それを床に落とすように乱雑に置いて、わたしの目の前に座り込む。

 やおらに伸びてきた手は、わたしが携帯を持つほうの手首を掴んだ。ぎりぎりと締め付けられ、引っ張られては、今は暗い液晶画面をそちらに向けるしかない。パッと明かりのついた画面を見て、晋助くんはスピーカーのアイコンをタップする。

「電話すげーかけてごめん。昨日ななこちゃんの気持ちとか何も聞かないでキスしたから嫌われたかなって不安になってよ」

 そんなこと全く知らない相手は申し訳なさそうな声を上げた。

 
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