「お邪魔しまーす…」

これまでに何度か上がったことはあるが、未だに気後れのする雰囲気があった。それだけ立派なお屋敷なのだ、この不良少年の住まいは。
そろそろと靴を脱ぎながら脇に目を遣ると二人の男女の写真が綺麗に飾られている。ホリィさんと、実際に会ったことはないがおそらく貞夫さんだろう。少しばかり古いその写真は承太郎が生まれる前のものだろうか。写真の中で穏やかに微笑むホリィさんを見て、いつかはこんな女性になりたいと、夢子は密かに思った。

「…何してんだ」

玄関に佇んでいた夢子を見、タオルを手に戻って来た承太郎が早く入れと促す。泥の跳ねてしまった革靴を脱ぎ、もう一度小さく「お邪魔します」と呟いてからそっと廊下に足を乗せた。

「ほら」
「わ、」

承太郎に続いて部屋に入るといきなり視界に白が飛び込んできた。慌てて受け止めたそれは先ほど承太郎が持っていた真っ白なタオル。

「使え。風邪引くぞ」

雨で色の滲んだ制服と学帽を脱いで、黒髪をがしがしと拭いながら承太郎が言う。成り行きだが、いきなり上がり込んだ上で差し出されたそれを使うのは申し訳ない気もする。…だが折角用意してくれたものだ。それにセーラー服の水気も払いたいし、頬や額に張り付く髪もうっとおしい。夢子は承太郎の言葉に甘えて、有り難くタオルを使うことにした。

「……」

手渡されたものが、どこか有名ブランドのものであったり、高価な素材で作られている訳ではないが何かが引っ掛かった。決して不快感を与えているものではなく、逆に安心するような。
そんなことをぼんやりと考えながら制服の水分を拭っていると、小さな音がする。ちらりと見遣れば承太郎が煙草に火を付けたようだった。それはいつも見ている光景と変わりはないのだが、今は濡れてしっとりとしている黒髪が承太郎をどこか幼く見せていて、なかなか見られない彼の姿に少しの間、見とれてしまう。
すると視線に気づかれ、ちょっとした恥ずかしさから慌てて目線を外すが、深緑の瞳は夢子を捉えると銜え煙草のまま一歩踏み込んだ。

「…?じょう…っ、!」

承太郎は無防備に立つ夢子の手からタオルを取り上げると、いまいち水気の抜けていない髪をわしわしと拭き始めた。少々強めの力のせいか、夢子の頭がぐらぐらと揺れる。

「結構濡れちまったな」
「じょっ、承太郎、も、もう少し弱く」
「……」
「く、くすぐったいっ」
「…やれやれだぜ」

くすくすと笑いながらそんなやり取りをしていると、ふと、先程感じた”違和感”について一つの答えに辿り着いた気がした。それが夢子の中でゆっくりと、けれども確信的なものへと変わった時、タオルの端を指で遊びながら独り言のようにぽつりと告げた。

「…承太郎の、匂いだ」
「あ?」
「これ、承太郎と同じ匂いがするの」

大きな手が動きを止めると、サアサアと雨の降る音が辺りを支配する。大きな襖から吹き抜けて見える中庭の様子だと雨はまた一段と強く降っているようだった。

「…落ち着く」
「……へんなヤツ」

承太郎は小さく笑って燻らせていた煙草をじり、と灰皿に押し付けた。それは夢子への、彼の匂いが好きだという言葉への配慮なのか。はたして真意は汲み取れないが、夢子もまた笑いながら再び髪を拭われる心地良さに浸った。

「ーー承太郎」

使い終えたタオルを手に脱衣所へ向かう承太郎を呼び止め、精一杯背伸びをして頬に触れてみる。少し驚いた表情を瞳に映してから瞼を閉じ、そうっと唇を重ね合わせた。瞬間、ふわりと夢子の鼻腔を掠めたのは、承太郎が愛用しているあの残り香。

「煙草も、嫌いじゃあないけどね」

雨のあとで

踵を床に落ち着かせると、今度は承太郎がその長身を屈ませ夢子の顔へ近付く。思わず一歩退く身体を捕らえ、同じように重ね合わさる唇。

「俺も、積極的なのは嫌いじゃあねえぜ」

余裕を残し離れてゆく背中を見つめ「馬鹿じゃあないの」と呟いた顔は、確実に熱を帯びていた。

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