「ユメコ?…ユメコ!」

トオボエが驚いたように名前を呼び、素早い身のこなしで地に倒れた狼の元に駆け寄る。ユメコ、と呼ばれた狼は喉元の淡い毛色を赤く染めながらもゆっくりと、力強く四本の足で立ち上がった。

「大丈夫!?」
「トオボエ…。…ちょっと痛いけど、平気よ」

気丈に立って見せたものの傷の影響か、その足はふらついているようにも見える。傷口からはぱたりと血が滴り落ち足元の岩場に濃い色の染みを作り出す。それを見たトオボエは一層心配した顔を見せ、困ったようにオロオロとユメコの回りをうろつく。するとタイミング良く前戦から灰色の狼が戻り、トオボエは慌てて彼を呼び求めた。

「ツメっ!」
「…どうした……、ユメコ!」

くたりと横たわる姿を確認すると地を蹴って真っ先に飛び移る。ツメがすぐ近くへ着地した気配を感じユメコもちらりと瞳を向けてみれば、そこには灰色の狼ではなく銀の髪を持った長身の男が映った。

「コイツを安全な場所に移す。…トオボエ、薬探してこい!」
「う、うん!」

ツメの指示を受け、戸惑っていたトオボエも岩場を離れ駆け出して行く。ユメコはその様子を黙って見ていたが、横たえていた体がふっと宙に浮き思わず口を開いた。

「つっ…ツ、メ、」
「黙ってろ」

体を切る風が今はとても気持ちが良く感じられ、ツメに抱かれながら長い睫毛に縁取られた紺碧の瞳を伏せた。

―――――

どれくらいの時間が過ぎたのか分からない。もしかしたら、あれからあっという間に着いたのかもしれないけれど。ユメコは大きな大木の根本に身体を休めていた。目を開けると、高くそびえる木々の隙間から漏れる柔らかな日差しが飛び込んでくる。幹をすり抜ける風は優しくそして暖かく、思わず草原で昼寝をしたくなるような陽気だ。怪我を負ったことなどまるで嘘のように思えたが、上体を起こした際に走った痛みは紛れも無く本物だった。

「っ――!」

顔を下げれば胸元に作ったばかりの傷がある。それはまるで、彼の罪の跡と重なって見えて。

「…おい、大丈夫か」
「うん、少しは落ち着いた」

出血のおかげでふらふらしていた手足も今ははっきりとした感覚を持っている。傷口は深い所まで達していないようだし、このように会話も出来る程度だ。

「ごめんね、ツメ……っく」

とは言うもの、何の手当もしていない傷が治っている訳がない。少し動けばユメコはまた顔をしかめ、白い肌にはつう、と鮮血が伝った。

「じっとしていろ」
「ん。…そうね」
「…暴れるなよ」
「…ツメ?」

穏やかな日差しがツメによって遮られる。ユメコを跨ぎ、すっと伸びた手は細い手首を地面にきつく押さえ付けた。

「……っ、つ、つめ?あ、っあ…!」

ツメがその体勢のまま頭を伏せると、ユメコの胸元に強い痛みが走った。

「いた…っツ…メ、…ツメっ!」
「ッ、暴れるんじゃねえ…!」

傷口を舐められているのだと、気付くのにそう時間はかからなかった。だけど今はそんなことよりも痛みに耐えるのが精一杯で、目を堅く閉じて荒い呼吸をするのがやっとだった。

「…は…、あ…っ!く…ッ…」
「じきに…あいつらが来る」
「う、ん…!っく、ひ、ああぁっ!」

ツメの表情も険しいもので、拒絶しようとする手を押さえる腕にも力が篭る。しかしその力とは正反対に傷を這う赤い舌は優しく、愛おしむように血液を拭っていく。

「もう少しの辛抱だ」
「…っは…はぁっ、ツ…メ…」

そうして汗を滲ませながらユメコが暴れたくなる衝動と必死に闘っているうちに、トオボエを先頭にキバとヒゲたちが木々をざわつかせて戻ってきた。トオボエはもちろんのこと、その場に居合わせていなかった二人も顔色を変えてユエの元に駆け寄り―――。


「――ん…?」
「気が付いたか?」

次に目が覚めた時、ユメコは再びツメの腕に抱えられていた。

「今夜は満月だ」

辺りはすっかり闇に覆われていて見上げたツメの精悍な顔立ちを月明かりが照らしている。静寂の中耳に届くのは、遠くでヒゲとトオボエがはしゃぐ声。

「…そういえば楽になってるかも。満月のおかげかしら」
「良かったな」

他人事のように素っ気ない返事を返すが、ユメコは彼が施してくれた手当をはっきりと覚えている。無限に広がる星空に目を移すツメを、気付かれないよう密かに微笑んだ。
ツメはユメコに頼まれ身体を降ろすと琥珀の双眸で胸の傷を見つめる。その視線は傷を貫く程に鋭く、おまけに沈黙が続く。黙ってきょろきょろと目をさ迷わせていたユメコだが、場の空気に耐え切れずにくるりと向きを変えて丘の先に近づいてみる。するとそれを追うように距離を縮める、ゆったりとした足音。

「ユメコ」
「なに………、」

振り向くより先に、ユメコの身体は背後から伸びた二本の腕に閉じ込められた。互いの頬がぴたりとくっつく程に密着させた態勢のまま、ツメの薄い唇が開く。

「心配させるな」
「……」
「馬鹿野郎」
「…ヤローじゃ、ないわ」

身体を後方に委ねながら、言葉だけは憎まれ口を叩いてみる。その返事にツメはいつもの調子で「可愛くねぇ」と言うと、素直になれない唇にキスを落とした。

Beyond Me

「俺みたいに傷跡が残ったらどうするんだよ」
「ツメとお揃いならいいかもね」
「馬鹿。女が傷なんてつくるもんじゃねぇ」

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無駄に長い。自己満足バンザイ
(101105)

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