あいつはいつだって俺の後ろを歩いていた。
『承太郎』
名前を呼ばれたら振り向いて視線を落とす。そこには常にあの腑抜けた顔があった。
あいつはよく俺の名を呼んでいた。いつの間にか聴覚に馴染んだ声は一体いつから聞こえていたのか。
思えば校内でサボる度あいつに見つけられていた気がする。場所を変えようがふらりと現れては俺を連れ戻しに来ていた。見ていたのかと尋ねればなんとなく居そうな気がした、と返答にならない感覚的過ぎる言葉を返された記憶がある。優等生気質のあいつをうまく言い包めてサボりの共犯に仕立てたことも、何度かあったな。
異国の土地を渡り歩いて早くも一ヶ月が経とうとしている。今思えばそんな当たり前の日常が随分と昔の思い出のようだ。
あいつは皆をよく見ていた。誰も気付かない小さな変化も、あいつだけには目敏く見つけられる。昨夜も放っておいた負傷箇所を見事に言い当てられてポルナレフと二人で説教を食らった。大体あいつは心配しすぎなんだ。あのくらいどうってことねーのに神妙な顔をして治療をするもんだから、こっちも変に気が咎めるってんだ。その上「そんな顔すんなよォ、夢子」なんてポルナレフがまるで妹にでも言い聞かせるように言うもんだから、つい。つい俺までも、柄にもなく目の前にあった小さな背中に腕を伸ばしかけてーー
「…クソ、」
あいつに似た背丈の女を見つけ思わず足を止める。違う。あいつじゃあない。じりじりと荒れはじめる気持ちとは裏腹に、柔らかな髪を揺らして笑う姿が脳裏にちらつく。焦茶色の瞳、薄めの肌色、頼りのない肩、繊細に動く指先。あいつの姿はこんなにもはっきりと思い浮かぶのに、まるで実体は掴めない。もどかしさに苛ついて周囲に広がる人混みをスタンドでブッ飛ばしたくなる。こういう時あいつならすぐに俺を見つけるだろう。きっとふらりと現れて、ここにいたのといつものように微笑みながら俺の半歩後ろを付いて歩く、あいつの姿が。
あんなに近くに居たはずなのに俺は何をしていたんだ。
「……夢子!」
咄嗟に腕を伸ばし手を掴んだ。体は直ぐ様振り返り、驚きに見開いた丸い瞳が俺を捉える。一瞬、辺りの雑踏が消え無音になったような錯覚。
「…あっ」
「ようやく見つけたぜ、全く」
「じょ、承太郎…っ!よ、良かっ…、わた、私、みんなとはぐれちゃって、」
こいつもこいつで余程焦ったんだろう。慌てたような途切れ途切れの言葉と、何よりこの表情が物語っている。今もこうして胸に手を当て、小さく良かった、と己に言い聞かせるように呟いている声が聞こえる。…それはこっちも同じだ、阿呆。
話を聞けば見知らぬ地元人に声を掛けられたりはしたらしいが、外見上の異変が見当たらないことに胸を撫で下ろしてゆっくりと踵を返す。あいつら皆、随分と心配しているもんだから早いとこ戻ってやらねえと。
「今度ははぐれるんじゃあねーぜ」
離れないように引いた手は思っていたよりもずっと小さく頼りない。
「承太郎」
「何だ」
「ありがとう、承太郎」
振り向き見下ろした先にある腑抜け顔に安堵感を覚えながら、掴んだ手に力を込めた。
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(130221)