恋する人に女の影(8 / 30)

「おはよーございまーす!!」


元気よくバイト先の飲み屋に入ると、下準備中の哲也さんが顔を出した。

私を見てニッコリ微笑むと「おはよ、ゆきみちゃん」相変わらず美顔で美声を発している哲也さんに頭を下げてフロア内を見渡すものの、直人さんの姿がまだない。

いつも誰より早く来て準備をしている直人さんなのに…

まだ更衣室?それともスタッフルーム?

哲也さんに聞く?いやまたからかわれるかな。

思わずキョロキョロとフロア内を見渡す私に、裏口のドアが開いて乱れた呼吸で直人さんが入ってきた。

走ってきたのか肩で大きく呼吸をしていて。


「うお、ゆきみちゃんおはよ!早いね、って俺が遅せぇーのか。あ、昨日大丈夫だった?」


顔を覗き込む直人さんにドキドキする。

逢うほど直人さんへの好きが募っていく。

このまま私どうなる?


「あの、すみませんでした。もうお店には来ませんので…」

「いーよ、それは。俺も言い過ぎた!あでも、俺以外の男の前で酒は飲まないって約束して?」


目の前に差しだされた小指。

「…彼氏みたいですね」心の声は当たり前に届かなくて。

意を決して直人さんの小指に自分の小指を絡めると繋がっていない方の手が頭に降りてきて「いい子」クシャっと撫でられた。

ドキドキしすぎて、胸が苦しい。


「よし、今日もがんばろ!はぁ、元気出た!」


何気なく言った直人さんの言葉に意味があるなんて私には気づかなかった。

金曜日の今日はいつも以上に忙しい。

次から次へとお客が入ってきて既に満員御礼。

厨房もフロアもバタバタ。

直人さんとゆっくり話す時間なんて当たり前になく、オーダーを取って、料理を運んで、気づいたら哲也さんがまかないを作ってくれていた。


「わー美味しそう、いただきます!」


隣に置いてあるまかないが直人さんの分かなぁって思うと頬が緩む。

バタンとドアを開けて中に入ってきた直人さんはスマホ片手に電話をしていて、私に気づくと軽く微笑んだ。


「分かってるよ、俺にも責任はあるし。…え!?それ先に言えよ、たくっ!」


直人さんはまかないに手をつけることなく上着も羽織らないでスタッフルームを出て行った。

なんか、トラブル?

私にはなにも関係のない直人さんの世界のことだけど、なんだか分からないけど胸騒ぎがした。

だから私もまかないを置いてフロアに顔を出した。

入口から直人さんが入ってきて、その後ろ、知らない女の人の手を引いて満員御礼なのに、トラブル用に開けている小さなテーブルにその人を案内した。

身体が動かなくて。

だって女の人は泣いてる。

直人さんと繋がった手をギュッと掴んで、直人さんに縋るように泣いている。

わざわざトラブルシートに座らせちゃう程気にかけているってことだよね?

外で待たせるのが嫌だから目の届く場所に置いておきたい人、なんだよね?


「終わるまでここにいろ。家まで送るから…」

「直人、私やっぱり直人がいい…」

「……とにかく今日は送る」


くるりとこっちを向いた瞬間、直人さんと目が合った。

私を見て困ったように眉毛を下げた直人さんがゆっくりと近づいてくる。

動けない私は目線も逸らせなくて。


「ゆきみちゃん、まかない食おう」


そう言って私の手首を掴んだ直人さん。

でもその瞬間、身体がその手を拒否して、パッと振り放った。

自分でも分からない。

あんなに直人さんに触れられることに喜びを感じていたのに…


「…さわ、ら、ないで…」


震える声に直人さんがもう一度私を掴もうとするその腕から逃げた。

走って更衣室まで行ってLINEを開く。

こんなことに使いたくない。

誰も逃げ道になんかしたくない。

だけど悲しくて涙が溢れる。

図りきれない嫉妬と不安に押しつぶされそうで、気づいたら耳に宛てたスマホの奥、【ゆきみどうした?】優しい声が聞こえた。


「…臣ちゃん、助けて」

【…お前泣いてんの?】

「臣ちゃん、どうしよう」

【そこにいろ、すぐ行く】


そう言った臣ちゃんは、どこにいたのか分からないけど、本当にすぐ来てくれた。

外にいるって臣ちゃんのLINEに更衣室から出ると、目の前の壁に直人さんが寄りかかっていた。


「ゆきみちゃん待てよ」


直人さんの言葉を無視してスタッフルームから出て外にいる臣ちゃんを見た瞬間、止まっていた涙が溢れた。

ふわりと私を抱きしめる臣ちゃんのどぎつい香水に顔を埋める。

私を追いかけてきてくれた直人さんの足音が静かに消えた。


 / 

back