崩れた壁3


知らない天井だったけど片岡の匂いが充満してるからすぐに分かった。

何となく曖昧な記憶の中、覚えているのは片岡の温もり。

ドアを開けるとソファーで寝ている片岡が目に入った。

口ポカーンって開けて寝息をたてている片岡の髪はピヨンって寝癖がついていて。

わたしは傍に座るとその寝癖を指で引っ張った。

ほんの少し顔を歪ませた片岡は、薄らと目を開ける。

目の前にいるわたしを見て「うわっ!」バタバタと動揺なのか何なのか、暴れてソファーから落ちそうになった。



「お腹空いたんだけど、ご飯作ってよ?」

「……お前が作れよ」

「えーいいけどぉ、何食べたい?」

「何でもいい、お前が作るもんなら」



……なんだその台詞。

言ってから照れたのか、片岡は目を逸らしていて。

わたしは立ち上がって冷蔵庫を開けると納豆ばっかり入っている。



「げーわたし納豆無理なんだけどぉ。朝はパン派なんだけどなぁ!」

「何がパン派だ、海外気取りやがって。日本人は米だろ」



そう言うけど、ちゃんとわたしの好きなクロワッサンもアッサムもここにはあって。



「とかいってー。わたしの好きなの揃ってんじゃん?あ、分かったぁ、いつでも泊まりに来てもいいように準備してあるんでしょー!」

「そんなわけねぇだろ!自惚れてんじゃねぇよ!」

「素直に言ったら考えてあげてもいいわよ?」

「……は?意味わかんねぇ」



片岡はムスッとしながら起き上がるとそのまま洗面所の方に向かって行った。


ものの10分程度でシャワーを浴びて戻ってきた片岡は、まだキッチンにいたわたしを見て少しだけホッとしたような表情で。

え、わたしがいなくなってるとでも思ったのかな?

朝からそんな元気ないから。



「ねぇ、sevenの服、ちょうだいよ?」

「え?」



半裸にタオルで髪を拭きながらこっちを見つめる片岡。

ソファーに座ってカチッと煙草に火をつけると小さく息を吐き出した。



「私も着たい」

「好きにもってけよ」

「ほんと?」

「ああ、いくらでも」

「太っ腹!あ、ねぇウインナー2つでよかった?」

「ああ」

「珈琲でいいよね?」

「ああ」

「じゃあでーきた!」



片岡のいるソファーの前のテーブルに運んで煙草を吸い終わるのをしばし待った。



「どう?わたしの朝ご飯は」

「……普通」

「何よそれ!せっかく作ったのに」



ムゥーって唇を突き出すとほんの軽く微笑んだ。



「うまいよ、サンキュー」

「素直でよろしい」

「ばーか」



見つめ合ったわたし達は2人同時に吹き出した。

大きくて分厚いと思っていた壁は、自分の気持ち次第でいくらでも取り払えるものなのかもしれない。



「片……―――な、おと…」



久しぶりに呼ぶ片岡の名前。

わたしを見て吃驚したように瞬きを繰り返す。



「な、んだよ?」

「許してあげる」

「え?」

「ごめんね、意地っ張りで…」



わたしを真っ直ぐに見つめる片岡は真剣で。

ほんの少し瞳の奥が熱く揺れている。



「…ゆき乃は悪くねぇ」



だからなのか片岡も久しぶりにわたしをゆき乃と呼んだ。

もう聞くことなんてないと思っていたけど。

久々に聞いた片岡のゆき乃は、何だか今更でくすぐったい。



「わたしね、あの頃好きだったよ、直人のこと……だから何が何でも守りたかった。だけどダメだった。弱かったの、わたし」

「……俺は、今でもゆき乃が好きだよ。弱いゆき乃でも強がってるゆき乃でも、好きだよ…」



何となく分かってた。

でも認めることが出来なかったの。

だってわたしはもう、良平くんのことが好きになってる。



「それ以上言わないで。わたしはもう良平くんしか見ていない。やっと見つけた恋なの、」



邪魔しないで……そうは言えなかった。

言ったら泣きそうで。

そう思ってるわけじゃないけど、そう言わなきゃいけない気がして。

でも言えない。



「分かってる。フラれたら慰めてやるから、隆二でも健二郎でもなく、俺を呼べ」

「最初からフラれるとか言うなよ馬鹿」



泣きそうなわたしに優しく微笑む片岡を、わたしはこの日を堺に直人と呼ぶようにしたんだ。



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