■ 情5


木のいい匂いがする哲也の家は、夜になっても明かりが燈されることがほとんどなくて、殺風景なキッチンにはまるで生活感がない。

おばさんは、夜の仕事をしているから、わたし達とは完全に生活スタイルが逆だった。

明かりの燈っていないこの家は、何の温かみもなくて、淋しくなる。

でも、今この家に哲也と二人きりなことを有り難く思う。

いつも窓越しに見ていたあの部屋に、哲也はわたしを通した。

中学生になってからは滅多に出入りしなくなったその部屋は、哲也の香りが充満していて落ち着く。

窓から手を伸ばして隣の窓を開けると、真っ暗なわたしの部屋が顔を出した。


「すっげえ無防備」


笑った声が後ろから聞こえて、わたしの視界に哲也の手が入った。

開いたカルピスの缶を受け取ったままわたしは体勢を変えない。


『哲也』

「あぁ」


顔を見ないで話をするのは卑怯かもしれないけど、哲也の顔を見てしまったらわたしは、思っていることの半分も言えなくなってしまいそうで。

きっと、顔を見たら…

何もかもを許してしまうから。


『わたし、頼りないかもしれないけど……それでも嘘なんてつかないで欲しかった。それが哲也の守り方なのかもしれないけど…ずっと辛かった』


いざ言葉にすると、感情なんてものは自然についてくるようで…

ノリを想う哲也を想う図が、頭の中を駆け巡っていて…

いつの間にか全身震えるくらいに涙を堪えていた。

そんな限界ギリギリなわたしに届いた哲也の声は、今まで聞いたどの声よりも悲しい声色だったんだ。


「俺はもうゆきみの側にいる資格なんてねぇな…」


思考回路が止まった気がした――――――



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