オレと結婚してください

たぶん私の「大丈夫」はあてにならない。

言いたいことも素直に言えない関係なんて、うまく続くのだろうか?

あの日から私は負のスパイラルの中にいる。

助けて剛典……。





「…えみ!」



悪循環な私は仕事でもケアミスを繰り返してそれなりに落ち込んでいた。

でも剛典にはいつだって笑顔を届けたいと思っている。

芸能界って大きな芝生で日々戦っている剛典に、私のちっぽけな感情をぶつけて悩ませたくない。

本音は、嫌われたくない。

面倒くさい女って、思われたくない。

私が我慢すればいいだけってそう思う。



駅の改札を出た瞬間、後ろから名前を呼ばれて振り返ると、看板に背をつけた剛典が、目深に被った帽子の下から私を見ていた。

まるで映画のワンシーンのようなそれに、思わず笑顔で駆け寄った。



「わ、どうしたの?」

「待ってた!一緒に帰ろうと思って!」



マスクの下の顔は笑顔で、この顔が見れるならどんなことも吹っ飛ぶって思える。

付き合ってみると分かる剛典って人は、男らしいと言われている性格とは少しかけ離れた甘えん坊だった。

こうしてちょっとでも時間があくとすぐに私に逢いに来てくれる所とか、単純にすごく嬉しい。



「うん、ご飯は?食べた?」

「食ったけどえみの手料理も食べたい!」

「はーい!」

「あー疲れたー!今日泊まってっていい?」

「うん、もちろん!お仕事お疲れさま!」

「えみも、な!」



2人で家に入るとすぐ剛典の温もりに包まれた。




「こっち向いて」

「ん、剛典…」



至近距離で目が合ってキスされるって目を閉じようとした私の頬をムニュっと抓った。

へ?なに?



「会社で何かあった?」

「……え?」

「それともやっぱ……俺?」



そう聞く剛典はほんの少し寂しそうに微笑むんだ。



「ゆきみちゃんに言えること、俺には言えないの?この口は…」



顎を掴まれて顔を上に上げられる。

え、ゆきみちゃん?

え、え?



「モヤモヤしてんでしょ、ここがずーっと」



わざとなのか、私の胸を服の上から揉む剛典。

トクンと脈打っていた心音が途端に早まる。

真剣な顔で私を見下ろす剛典は、面倒くさそうな表情なんてカケラもない。

だけど寂しそうで…



「ジワジワきてる?俺のキスシーン」



言えない私に口火を切ったのは剛典の方。

ジワリと溢れる涙を飲み込んで小さく頷く。



「そっか、ごめんね、平気だと思っちゃってて」



ふわりと剛典に抱きしめられた。

身体はしっかりできてるものの、役作りやライブ続きでなかなか太れない剛典。

痩せた腕でギュッと私を抱く剛典の肩に顔を埋めた。



「苦しい気持ち、何でも話して欲しいの俺。面倒くさいとか思うわけないだろ?最初からそんな女は選ばないって。もっと見せてよえみの心。……自分が我慢すれば?って思ってるカップルは絶対続かないって、直人さんに何度も言われて。時間がたてばたつほど修復不可能になるって…。えみ、こっち見て?」



肩に手を置かれて視線を取られる。

大好きな剛典の顔が、どんより雨雲を背負っている。

私のせいで、私のために、こんな切ない顔をさせてしまっている。



「どうしたい?」

「ごめんなさい、分からなくて…」

「そう。あのさ、ちょっとこっちきて」



手を握ったままリビングまで移動する。

木のテーブルの上に茶枠の紙切れが一枚置いてあって。



「…え」



スッといきなり膝まづく剛典。

次の瞬間、顔を上げた剛典は真っ直ぐに私を見つめて言ったんだ。




「オレと結婚してください」



……言葉にならない。

そこには記入済みの婚姻届があって。

私の前にはまさかのプロポーズをしている剛典。

とてもじゃないけど冗談にとれない。

どんなにサプライズ好きな剛典であっても、冗談にできやしない。




「剛典…いいの?私で…」

「うん。えみがいい。でも何か溜まってるもんあるなら全部言ってほしい…」



迷いのない言葉に私はその場で崩れるようにしゃがみ込んだ。

剛典も私を支えながら座って。



「キスシーンもジワジワ浮かんじゃって…だけど、剛典の結婚指輪がすごく頭に残ってて、もちろん映画の中でのワンシーンなんだけど、それがすごく重たくて…頭から離れなくて嫌だよっ」



嫌だ、という言葉を使って消えるような愛なら、私と剛典はもう終わっているのかもしれない。

どんなに幸せそうに見えるカップルにだって、些細な悩みやしがらみはあるんじゃないだろうか?



「まぁ知ってたけど、全部ゆきみちゃんから聞いてる。でもさ、やっぱりゆきみちゃんに言うのと俺に言うのとじゃ全部が違うから。俺が原因なんだから、俺じゃなきゃ解決もなにもできないでしょ?…お芝居だから我慢しろ!なんて言わないから、少なくともえみとの未来を描いている俺には、どんなことでも受け止める覚悟ぐらいもって付き合ってるの、分かってないだろ?」



呆れた顔の剛典。

私が男だったら面倒だろうなって思っているこの矛盾した感情も、ちゃんと受け止めてくれるんだって。



「まぁ、ほとんど直人さんの受け売りだけど。そうとう辛かったんだろね、ゆきみちゃんも。だから顔見る度にえみちゃんのことちゃんと見てる?ってストーカーみたいに聞かれてる。でもえみあんま顔に出ないし、だけど元気がないのは俺も分かる。これでもちゃんと見てるから。ほら、素直に言えよ、嫌なこと全部…」



ギュッと抱きしめて顔が見えなくしてくれる剛典。

その身体にしがみついて私は感情を思いっきり吐き出すように泣いた。




「キスシーンしないで!結婚しないで!ラブストーリー二度とやらないで!」



泣きながらそう言う私を、持ち前の明るさで全部笑い飛ばした剛典。

その後ニコッと笑って私の唇を指でなぞる。



「チューしたい?」



妖艶に聞かれて素直にコクっと頷くと、ぶはってまた笑う。

え?って見つめる私の後頭部に腕をかけてやっと触れた唇に、目を閉じて温もりを感じる。

何で笑ったのか聞くのも忘れてそのまま剛典はどのくらいの時間か分からなくなるぐらいずっとずっとキスをしてくれていた。





「あ、それちゃんと書いてよ!苦しくなったら何度だってそれ書いてえみにプロポーズするから、俺!」


まだまだ出すことのできない婚姻届だけれど、ここに彼と私の名前を並べて書いてある現実が、指輪なんてなくても嬉しくて。



「それとこれね、はい、左手」



ぶっきらぼうに私の左手を取ると、昔買ったって言って沢山のアクセサリーの入ったジュエリーボックスからそんなの持ってたんだ?って思える細めの指輪を私の薬指につけた。



「ちゃんと買ってあげるからそれまで借りね」

「買ってくれるの?」

「うん。あれも一緒に出しに行こうね!」



婚姻届を指さして笑う。



「うん。嬉しい。嫌われるかもしれないって思ったら苦しくても言えなくて。お芝居なのに、剛典じゃないのに、こんなにも苦しいなんて、分からなくて。ゆきみちゃんも心配してすごくLINEくれて、岩ちゃんに言うんだよ?って言ってくれたけど、やっぱりこの笑顔壊せなくて…ごめんなさい…。でも好きなの。剛典のことが、誰より好き…」



面と向かって恋人に好きだと言うのは恥ずかしくも何ともない。

それはそう、剛典が優しく受け止めてくれるから。



「もっと言って?」

「……好きよ」

「俺も好き。ね、えみからチューして?」



そう言って女の子みたいに瞳を閉じる剛典。

私はギュッと彼に抱きついて静かに唇を重ねる。

同時に剛典の中の雄が目覚めたかのよう、私をその場に押し倒した。



「マジで結婚しちゃおっか、もう!」



くすりと冗談ぽく笑う剛典だけど、マジで結婚しちゃおっかね、私達。





*END*

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