離さない

教師たるもの、一生徒に感情を持つなんて許されない、ずっとそう思っていた。

―――彼女に出逢うまでは。


「黒木、土田、お前達いい加減にしろ!」

「うるせぇよ」

「せんこーはすっこんどけ!」


校舎内でボールを投げ飛ばす不良達に正直嫌気がさしていた。

俺が学生の頃とは遥かに時代の違う今は生徒に手なんて出したら親に教員免許まで取られかねない。

むやみに注意はできないけど、間違っているものはだめだと教えなければならない。

溜息をついて一歩生徒に踏み出した時だった。

ふわりと甘い香りがしたのは。


「啓司、哲也!危ないでしょ!野球は外でやるもの!そんなことも分からないのっ?馬鹿じゃないの?」


クラスの級長の一ノ瀬は黒木達の幼馴染でヤンチャなこいつらをずっと面倒見ているとかだった。

少なからず俺はこの一ノ瀬に何度となく助けられてきた、今も。


「眞木先生ごめんね?言っても聞かないでしょあいつら!私が代わりに成敗してやるから!」

「はは、ありがとう一ノ瀬。いつも助かる」


ふわりと彼女の柔らかい髪を撫でると嬉しそうにニコッと微笑んだ。

情けないと思うものの、不良達の中で一ノ瀬は唯一のオアシスだったんだ。

けど何も知らない俺は彼女が抱えている闇に気づけなかったなんて。



「あれ、一ノ瀬?」


放課後。残ってる生徒がいないか見回りに来た時だった。

ガタンって音がしてドアが開くと金髪の黒木が上履きをカラカラ鳴らして出て行くのが見えた。


「たく、こんな遅くまでなにやってたんだ黒…―――一ノ瀬!?なにしてんだ、こんな所で…」


教室にいたのは一ノ瀬で、その頬は濡れている。

泣いてる?いつも元気な一ノ瀬がこんな風に泣いているのは初めてのことで、ゆっくり近づくと顔を伏せた。


「すいません探し物してて。もう帰ります…」

「一ノ瀬!なにかあったのか?」


あまりに弱々しくて可憐な彼女の腕を、気づいたら俺は掴んでいて。

涙を指で拭うと新しい涙が次から次へと零れてくる。

不謹慎ながらもそれを綺麗だと思う自分がここにいて。


「おいで」


小さく呟いて一ノ瀬を胸に閉じ込めた。


「悲しい時は泣きたいだけなけばいい。誰も見てないから…」


理由はなんとなく分かった。

授業中、一ノ瀬の視線が黒木にいっていることも、黒木の視線も一ノ瀬にいっていることも。

大人になりかけの生徒達は、まだまだ素直になれないのかもしれない。

大人になればなるほどもっと素直になんてなれなくなるっていうのに、もどかしい程にすれ違ってしまう恋なんて悲しいだけだ。

これが俺にとって何なのかは分かっているけど分からないフリをしてきた。

それが大人だから。教師だから。でも…―――――「ユヅキ…」一度だけでいい。

そう呼びたかった。

俺の胸の中でキョトンとした顔を見せた彼女をもう一度強く胸に抱きしめる。


「離さない…―――」

「…眞木せん、せ?」


心地よくて思わず口から出た言葉に自分でも吃驚した。


「…なんて。少しはドキドキした?」

「からかってるんですか?」

「ほらもう涙止まってる。大人のおまじないだよ、今のは」


見苦しい言い訳。

感情的に言葉を発したのは俺自身が分かっている。

馬鹿だと笑えばいい。でもきっと、恋とはこーいうものだ。

自分じゃどうしようもできない感情が溢れてしまうのが、恋なんだと。

俺の前で無邪気に笑っている彼女は「啓司にフラれたら眞木先生拾ってくれる?」なんていっちょ前な言葉を飛ばした。


「大丈夫、フラれない。ユヅキは可愛いよ」

「眞木先生ありがと!元気でた。あとね、先生の香水すっごいいい匂い!今度ちょーだい?」


去ってゆく彼女の後ろ姿に小さく溜息をつく。


「フラれねぇーかなぁ…」


思わず盛れた本音は誰も知らない。




*END*

Special Thanks Love YAKO