To quit the fight
目の前にドンと置かれた酒瓶と盃、そしてつまみに、陸奥守吉行は驚いた様子だった。
「なんじゃ? 次郎太刀でもないに、どういう風の吹き回しかのう?」
「今夜は君と語り合ってみたくてね。酒が入らなければ、話せないこともあるだろう?」
陸奥守に与えられた私室へ、酒とつまみを持って入って来た燭台切光忠は、含みのある笑みを浮かべている。
「この頃、君がなんだか元気がないって、本丸の皆と話していたのさ」
注がれる杯を受け取って、くいっと飲み干すと、陸奥守は「なんちゃあない」と苦笑した。
「本当にそうかな?」
今度は自分の盃に酒を注いでもらいながら、燭台切は首を傾げる。
「僕はこの本丸に来た時期も早かったから、伊達に初期刀の君と長く付き合っていないよ。君の元気がなくなったのは、一期一振くんが来てからだね?」
ずばり、新入りの刀剣男士の名前を出されて、陸奥守は渋い顔になった。
「当たりか。君らしくもないけれど、やきもちかい?」
「主に言われたぜよ。『一期一振さんは私の初恋の人に似ているの』だと」
燭台切の瞳が丸くなった。
「それはまた……主はよりにもよって、それを君に言ったのかい。ずっと主を最初から支えて見守って来た君に」
つまみの酒盗を一口食べて、「美味い!」と褒めた後、くいっと何杯目かの杯を飲み干し、思いきった様子で陸奥守は主との出会いを語り出した。
「わしが初めて人の形を取った時、キラキラした目で見てきよったがが主じゃった」
緊張した面持ちで、それでも嬉しそうに少女の審神者は、陸奥守に向かって挨拶した。
『よろしくお願いしますね。初めての私の近侍さん』
「それからぎっちり傍にいたがやき、刀剣男士が増えるに連れ、近侍を譲るようにもなったぜよ。でも、主とわしの気持ちはずっと一緒じゃった」
「うん。僕もてっきり主は君を刀というより、男として見ていると思っていたからね。そして、君もまんざらではない様子だった」
「男として!?」
かあっと赤くなるも、否定をしない陸奥守に、燭台切は人の悪い笑みを向けた。
「最初は君だけがお守りを託されていたことに、僕が気付かないとでも思っていたのかい?」
陸奥守の脳裏に主の言葉が蘇った。
『陸奥守さん、無事に帰って来てくださいね。皆さんの分は資金が足りなくて、まだ用意できませんから、内緒ですよ』
そう言って、そっとお守りを手渡してくれた小さな手を思い出す。
初めて馬を手に入れた時も、『陸奥守さん、馬が来ましたよ! さあ、乗ってください!』と一番に誘われたのだった。大太刀の太郎太刀が本丸に来てからは譲ったが、それまでは当時、一頭しかいなかった馬には、陸奥守が乗っていたのだ。
「今は一期一振くんが近侍でべったりだからね」
燭台切の言葉に陸奥守はうつむいた。
「主と一緒に世界をつかめると思うちょったがは、わしばあじゃったがやろうか」
「やはり、やきもちかい?」
「わしはほがなつもりはないぜよ。主が一期一振を『特別な近侍』と決めたのなら、それに従うまでぜよ」
きっぱりと言い切ると、陸奥守は深くため息をついた。
「止めた! 暗いがは苦手やき」
ごろんと床に寝そべり、陸奥守はそのまま寝息をかき始めた。
「ちょっと!? 君、酒には強かったよね!?」
慌てた燭台切も、次の瞬間に気付いた。陸奥守は酒の力でも借りないと、ろくに睡眠をとれないほど落ちこんでいたのだと。
熟睡している陸奥守に布団をかけてやりながら、燭台切はため息をついた。
「新人くんとちょっと話さないといけないかな」
燭台切が一期一振に話をする必要はなかった。翌朝、主から本丸の刀剣男士一同に報告があったのだ。
「一期一振さんを近侍から外し、第二部隊の長に任じます。その代わりに最近、本丸へいらした蛍丸さんを近侍に任じます」
この本丸では、近侍が代わることは珍しいことではなかった。特に新しく来た刀剣男士を近侍――すなわち、第一部隊の長に任じることで、より早いレベルアップを期待することは、主にはよくあることだった。
だが、一期一振と主の間にあった親密さが消え、よそよそしい空気が流れていることを、主との付き合いも長くなってきている刀剣男士達が気付かないはずもなかった。
「いち兄! 主君と何かあったのですか!?」
心配そうに詰め寄る前田藤四郎に、一期一振は常と変わらない優しい笑みで、首を横に振った。
「わたしから主にお願いしたんだよ。蛍丸殿は戦力になる刀剣男士だから、早く強くなっていただくためにも、近侍を変えて欲しいとね」
「一期一振さんの言う通りです。これからも皆、それぞれの立場で任務に励んでください」
主の言葉は穏やかだったが、これ以上の問いかけを許さない厳しさもあって、ざわついていた粟田口の弟達や、不審げであった他の刀剣男士達も静かになった。
ただ一人、陸奥守は険しい面持ちで、その場を立ち去った。
その夜、嫌な予感を覚えて、燭台切は粟田口兄弟達に与えられている大部屋を訪ねた。ちょうど薬研藤四郎が部屋から出て来たところで、燭台切を見ると、皮肉っぽく唇を上げてみせた。
「いち兄に用なら、さっきこっそり出て行ったぜ。陸奥守の旦那に呼び出されたみたいだ」
「そんなことになるんじゃないかと思ってね」
「俺もだ。二人きりで話し合うなら、畑の辺りにでも行くだろう。一緒に探しに行こうぜ」
昼間は畑当番が世話をしている畑に行くと、声を荒げている陸奥守と、それを淡々と受け止めている一期一振がいた。
「おんしゃ、主を泣かせたがか!? 主はおんしゃを『初恋の人に似ている』と言いよった。おんしゃを近侍にしちょる時の主は、まっこと幸せそうじゃった。それやに何故、近侍をやめた!?」
「わたしは主の近侍にふさわしくありません」
「どういう意味ぜよ!?」
端正な一期一振の顔が初めて歪んだ。
「主は時々、わたしの名前を間違えてお呼びになるのです。わたしの知らない人間の男の名前です」
「!?」
「それでも、主の傍にいられるのなら良いと思っていました。……でも、我慢できなくなった」
真っ直ぐな瞳で一期一振は告げた。
「主の真名を聞き出し、神隠しをしようと思いました。他の誰にも渡さない、私だけの主にしようと。……そして、拒まれました」
乞い願うような口調で一期一振は言った。
「主の傍には、あなたがいてあげてください。最初から主を守っていて、こうして主を案じているあなたのほうが、主の傍にはふさわしい」
キッと一期一振をにらみつけて、陸奥守は言い切った。
「誰が主にふさわしいかは、主が決めることぜよ。やけど、今頃きっと主は泣きゆう。ほたくっちょくわけにはいかんぜよ!」
そのまま、主の部屋の方向へ駆けて行く陸奥守に、「やれやれ」と燭台切と薬研は同時にため息をついた。
「いち兄、本当に良かったのか?」
薬研が突っ立ったままの一期一振に近付いて尋ねると、初めて見物人がいたことに気付いた一期一振は一瞬、瞳を丸くした。そして、寂しげに微笑んだ。
「いいのだ。わたしは主の理想の男にはなれなかった。真名を訊ねた時の主は、ひどく怯えておられた。あんな顔を主にさせるわたしは、主の傍にはふさわしくない」
「神隠しを企んでいたとは、君も隅には置けないね」
同じく近付いた燭台切の言葉に、さらっと一期一振は答えた。
「主の『特別』になりたいと願うのは、わたし一人ではないと思いますな」
燭台切と薬研も否定の言葉は返さなかった。どちらも思うところはあるようだった。
「まあ、君たちもこのまま寝られないだろうし、今夜は飲もう。僕の部屋へおいで」
燭台切の誘いに兄弟はうなずいた。
その頃、審神者の部屋では、飛び込んで来た陸奥守と、眠れずに過ごしていたのであろう審神者が、顔を突き合わせていた。
ほのかな枕元の灯火に照らされて、布団から起き出した審神者が瞳を丸くして尋ねる。
「どうしたのですか、陸奥守さん? こんな夜更けに」
「おまさんが泣きゆうと思うて」
慌ててごしごしとこすっても、少女の瞳の赤いのは誤魔化せなかった。
「一期一振に真名を聞かれたか?」
審神者がギョッとした様子で、表情を強張らせる。
「どうして知っているんですか!?」
「本人から聞いたぜよ。……何故、真名を教えんかった? 主はあいつを好いとったはずぜよ」
審神者の瞳からポロッと涙が零れた。
「好き。……一期一振さんが好き」
苦虫を噛み潰したような表情で、陸奥守は審神者を見守る。
「でも、違うんです。一期一振さんに真名を聞かれた時、とっても怖かった。いつもの優しい一期一振さんじゃないみたいだった。急に私、分からなくなったんです、本当に一期一振さんのことが好きなのかどうか」
「当たり前じゃ!」
両肩をつかんでドンと布団に主を押し倒し、陸奥守は吐き捨てた。
「もとは刀でも、今は生身の体を持った付喪神じゃ! 好いたら想いを返して欲しいと思うのが当たり前ぜよ! 一期一振はおまさんに惚れちゅうぜよ。それやに、いつまでも初恋の人間と重ねたら、あいつが可哀想ぜよ!」
いきなり押し倒され、驚きと戸惑った顔で審神者が尋ねる。
「陸奥守さん、怒っているんですか? どうして?」
「主が本気であいつを好きなら、近侍を譲ろうと思っちょった。わしはただの初期刀。おまさんの信頼を盾に、独り占めする権利はないぜよ。……やけど、おまさんがあいつを他の人間に重ねちゅうばあなら、わしは何のために、おまさんを諦めたのがか分からんぜよ」
「諦めた?」
ハッと口元を押さえる陸奥守の顔が赤くなる。
「……わしもおまさんが好きぜよ。やき、あいつの気持ちがよお分かる」
優しく主から手を外し、体を離して、置き上がるのを手伝う。そして、静かに「わしのことも怖うなったか? 嫌いになったか?」と尋ねられて、審神者の瞳に新たな涙が盛り上がった。
ふるふると首を横に振りながら、何度も「ごめんなさい」としゃくりあげる。
「……ごめんなさい。私は審神者なのに。戦うために、戦う皆を迎え、支えるために、この本丸に来たのに。一期一振さんと出会った時、初恋の人と再会できた気がして、一人で勝手に恋に浮かれて、一期一振さんも、陸奥守さんも、本丸にいる付喪神の皆さんも振り回して……、ご迷惑をかけてしまった。私は……この本丸にいる付喪神の皆さんが大好きで、大切なのに」
審神者の涙を人差し指ですくい上げながら、陸奥守が微笑む。
「いいちや。誰も迷惑らぁて思うちょらん。この本丸にいる者も皆、主が好きぜよ」
小さな声で「ありがとうございます」と審神者は呟いた。
「もう恋に浮かれたりしません。付喪神の皆さんとは主として距離を置き、審神者としてのあるべき役目を果たします」
「……ほりゃあ、ちっくとめぇるなあ」
「めぇる?」
「困るという意味ぜよ。主から距離を置かれたら、わしばあじゃのうて、皆が困るし、寂しがる。主に惚れて、近侍の座を狙いゆうもんは、こじゃんとおるきにゃあ」
「そんなまさか……」
「わしが嘘を言うと思うちゅうがか?」
陸奥守はからかうことはあっても、嘘は言わない。初期刀との長い付き合いゆえに、その性格を熟知している審神者は頬を赤く染めた。
「わしを選べとは言わん。けんど、距離を置いたりはやめとおせ。おまさんに『特別な近侍』が出来てもいい。ここの本丸の皆は、自分が特別に選ばれんかったくらいで、おまさんを嫌いにはならんぜよ」
「陸奥守さんも……私の真名を知って、閉じこめたいと思うんですか?」
「神隠しか。それよりもわしは龍馬みたいに、結婚したいぜよ。杯を交わして、夫婦の誓いをしたい。新婚旅行にも行きたいぜよ」
クスッと審神者が笑った。
「日本人で初めて新婚旅行に行ったのは、あなたの前の主の龍馬さんでしたね」
遠い目で審神者が微笑む。
「私もそのほうがいいです。審神者としての戦いが終わったら、好きな人と結婚式を挙げて、新婚旅行へ行きたい」
「笑うたな。安心したぜよ」
「ありがとう、陸奥守さん。……特別な近侍さんは、私にはまだ決められないけれど、全てが終わって、故郷へ帰れたら、もしかしたら、この本丸の誰かと一緒に、新婚旅行へ行きたいと思うかもしれないです」
「おやすみ。いい夢を見とうせ」
優しく頭を撫でて、陸奥守は審神者の私室を出て行った。
歴史修正主義者や検非違使との戦いは長く続いた。だが、どんなことにもいずれ終わりが来る。
こんのすけが「この本丸は任務を完了したと認めます」と告げに来た。
その時、審神者の近侍として、傍に控えていたのは、陸奥守だった。
「陸奥守さん。政府からの最後の指令で、任務を達成した褒美に、好きな刀剣男士を一名伴って、故郷へ帰ってもいいそうです。私と一緒に来てくれますか?」
審神者の問いかけに「ほりゃあ、おまさんの下僕としてか?」と悪戯っぽく陸奥守は問いかけた。
「いえ、私の夫として、です」
「嬉しいぜよ」
朗らかな笑みで、陸奥守はうなずいた。
審神者が死ねば、陸奥守は付喪神から元の刀剣に戻るだろう。一人の少女の生きるわずかな間、しかし、共にあることを二人は選んだのだった。
「愛しちゅうぜよ。あるじ」
真名を呼ばれ、ただの少女となった審神者が微笑む。
「幸せになりましょう。あなたを『特別』に選ぶことを許してくださった、他の刀剣男士の皆さんの分も」
手をつないだ二人は、誰もいなくなった本丸を幸せそうに去った。