長閑
「主〜、これやってー」
遠征や戦いから帰ってくる度、清光はマニキュアを持って私の部屋へやってくる。
前に一度塗り直してやってから、どうやらそれがお気に召したらしい。
私は読んでいた雑誌を横に置いてマニキュアを受け取った。
「えー、また?この前塗ったばっかりでしょ?」
「だってすぐ剥げるから仕方ないじゃん」
「一応 剥げにくいやつなんだけど」
彼が最初に持っていた爪紅なら未だしも、今塗っているのは私がプレゼントしたマニキュアだ。
そう簡単に剥がれないはずなのだが、戦いが激しいものだったと言われればそれまで。
一緒に戦えない私の罪悪感がそれ以上のことを言わせなかった。
「ほら、手 出して」
「へへ、可愛くしてね」
「塗るだけなんだから可愛いも何も無いって」
キャップを開けるとマニキュア特有の薬品の匂いがした。
「私 この匂い苦手なんだよね。清光は大丈夫なの?」
「可愛くなるためには我慢我慢、ってねー」
「女子じゃん」
ちら、と清光を見た。今にも鼻歌を歌いそうな顔で紅くなっていく爪を見ている。
…爪なんて塗らなくても、充分綺麗な顔してるんだけどなあ。
「そういえば、主は何読んでたの?」
「ファッション雑誌だよ」
「…愛されコーデ…?」
表紙の文字を読み上げて、興味深気に雑誌を見る清光。
「あ、いくら可愛くてもこれは女の子用だからね」
「ふーん」
「刀が綺麗だとこっちも気を遣うんだよ」
大体、主より刀の方がオシャレってどういうこと?もしかして遠回しに私に女子力上げろって言ってるの?
…正直 どれだけ女子力を上げても、次郎太刀さんと乱藤四郎ちゃんには敵う気がしない。
「主も愛されたいの?」
「いや、そう言われるとちょっと語弊が…」
清光はよく「可愛くないと嫌だ」「汚れるから嫌だ」と言う。
彼の記憶の何がそうさせているのかは私には分からないが、きっとそれは大事にされたいからだろう。
本当は少し分かっていた。毎回剥げている爪は、彼の''構って''の合図だ。
最近 仲間も増えてきて、二人でゆっくり話す時間はとれていなかった。
…もちろん清光に限ったことではないが、彼は人一倍それに敏感だ。
「……はい、出来た」
「…うん、綺麗!ありがとね、主」
嬉しそうに笑う清光に、勝手に手が動いた。
サラサラの細い髪に沿って頭を撫でる。清光は一瞬驚いた顔をして、すぐにム、と眉を顰めた。
「なに?俺 撫でて楽しいの?」
「よしよし」
「短刀じゃないんだから子供扱いはやめてよ」
…可愛がれと言うくせに子供扱いするなってか。
難しいことを言うんだからこの打刀は。清光より短刀の薬研くんの方が精神的にはかなり大人だよ。
言ったら怒るから言わないけど。
「安心しなよ、清光は大事だから。不安にさせてごめんね」
清光は、はっとして私を見る。目が合った。爪と同じ、紅い瞳だ。
「……主、」
「ん?」
「俺、愛されてる?」
「は、恥ずかしいこと言わせないでよ」
言わなくても分かるでしょ、と軽く頭を叩くと「いたーい」と柔らかい声を上げた。
「言ってくれなきゃ分からないんだけど?」
「あんたはめんどくさい彼女か」
清光の言う愛が慕情の愛でないと分かっていても、簡単に言えるものではない。
日本人の慎ましさは何処へいってしまったんだ。いや、人ではないけども。
「ほら乾いたら行った行った。今日は馬当番でしょ」
「ねえペア変えてくれない?山姥切は辛気臭くてつまんないんだよね」
「却下」
「ケチー」
部屋を出て行く清光は、どこか満足気だ。
良かった、ちょっと気分が晴れたみたい。
と、安心したのも束の間。
襖に手をかけた清光がくるりと振り返る。
「何か忘れ物?」
「主も安心してよ」
「?」
「そんなの読まなくても俺、ちゃんと主のこと愛してるからさ」
それだけ言うと ちゅ、とキスを飛ばして馬小屋へ走って行く。
私はといえば、何が起きたかわからず 瞬きを数回繰り返した。
「……大事にされてるのはどっちなんだか」
彼らといると、時々わからなくなるから困ってしまう。
緩む頬に気づかないふりをして、私は雑誌をゴミ箱に捨てた。