最後で最初の一振りは
「三日月宗近。打ち除けが多い故、三日月と呼ばれる。よろしくたのむ」
舞い降りて微笑んだその刀剣男士に私は驚きを隠せなかった。
確かに噂は聞いていた。天下五剣の一振りで最も美しいとされる刀があると、まことしやかに語られてはいた。しかしそれは虚言だと――例え真実であったとしても私の元に現れることはないと、そう思っていた。
目の前の蒼い狩衣に身を包んだ男は表情を変えることもなく、私の反応を待っている。
「貴方が、あの、三日月宗近ですか」
多分、私の声は震えていただろう。
この現実を信じられず受け止めきれないと同時に、今までの刀剣男士とは一線を画す天下五剣の神々しさに胸を打たれていた。思わず平伏してしまいそうなほどの神気がそこにはあった。
真の付喪神とはこうなのかと、そう思った。
「あの、が天下五剣を示しているのならそうだな。天下五剣の中で一番美しいともいう三日月宗近だ」
頷くと金色の髪飾りがしゃらりと揺れて、私は息を呑むのだった。
だが三日月宗近は実際のところ、ただの好々爺だった。見目は大変麗しいが、言動は完全に年老いた人のそれである。出陣の時だって笑ってばかりで、何だか気持ちが和やかになる素敵な刀だった。こんな穏やかでいられるなら審神者だって悪くない。そんなふうに思え始めてた頃だった。
三日月が空に浮かぶ風流な夜、全ては崩れ去った。
その日は、翌日の出陣に向けて近侍の三日月宗近と夜更けまで策を練っていた。油火の油がなくなったのをきっかけに今日はお開きにしようと部屋を出たところで、私たちは庭の惨状に気が付いた。
「おや」
流石の三日月宗近も動きを止めた。
そこには見事だった池泉回遊式庭園は影も形もなかった。
木々も橋も灯籠も厩も無残に切り捨てられている。動揺した私はその場に立ち尽くすことしかできなかった。
だって、どれも刀傷だった。一つ一つの傷からそれを行ったものを私は当てられる自信があった。よく見知った彼らの手癖がしっかりと現れている。いや、本当は刀傷をわざわざ見るまでもないのだ。
だって切れたものの傍に必ず一人、立っていたのだから。朽ちかけた身体で傀儡如く虚ろな目をして私に刃を向けるものたちが。
この惨状は、何なのなんだろう。
気付けば私の口からは笑い声が漏れだしていた。
「あはは……あっはははは……」
そこにいる四十五口の付喪神の成れ果てたちにかけるべき言葉などもはやなかった。これでも私は審神者の才を持っている。彼らがもう元には戻らないことくらい、よくわかっていた。
掌で押さえつけた眼球から次から次へと液体が零れ落ちていく。
なんて、馬鹿馬鹿しい。なんてなんて、馬鹿馬鹿しいことだろう! 審神者なんて、くそくらえだ!
嘲笑せずにはいられなかった。それ以外の術が思い付かなかった。どうしてこんなことになったのか。その原因すら私にはわからない。なんて無力な主だろう。
無防備な私へ初期刀の歌仙兼定がゆったりと近付いてきた。おそらく、私の首をはねようというのだろう。彼の目は完全に私を敵として見ていた。
三日月宗近が、柄に手を掛けてこちらに視線を寄越した。私はそっと首を振って制す。
これは彼の仕事ではなく、私の仕事だ。
自分の不手際は、自分で落とし前をつけるしかない。
私はもう、笑っていなかった。そっと両手で印を結ぶ。口内でさようなら、とだけ告げた。きっと誰にも聞こえはしなかっただろう。
瞬間、歌仙兼定を始めとしてその場にいた全ての歴史修正主義者は塵となって消えた。依り代であった刀があちこちで落下して甲高い音を立てる。
私はその一つ一つを拾って回った。どれも完全に折れていて使いものにはなりそうになかった。歪む視界で慎重に歩き回って全ての刀を回収した時、私は耐えきれずにしゃがみ込んだ。蹲る私の元へ、三日月宗近がそっと歩み寄ってくるのが気配でわかる。
「三日月宗近」
背後に立った彼が恐くて堪らなくて、湿った声でそっと呼びかけた。
「なんだ。俺はここにいるぞ」
「本当に?」
「本当だ」
しっかりとした答えだった。
「俺はいつの時代も、ただそこにあるだけの刀だ。それ以上でもそれ以下でもない」
そっと振り向くと、三日月宗近は珍しく神妙な顔をしていた。私と目が合った彼は丁寧に語を継ぐ。
「俺を存分に使うといい。望むなら天下を統べることすら造作もないであろう」
「この期に及んで嘘は止めてよ」
傷付くなんて安い言葉じゃ足りなくなる。
「嘘も戯れ言も言った覚えはないな」
それ以上、彼は何も告げなかった。静かすぎる空間で私は小さく深呼吸して立ち上がった。
しっかりと目の前の付喪神を見据えて言う。出会った時のような震えはもう何処にもない。
「三日月宗近、天下五剣の一振りよ。私と共に修羅の道を生き抜かん」
「畏まった」
いつも通りに微笑んだ三日月宗近は、すらりと抜刀してみせた。刀と瞳の打ち除けが月明かりで怪しく光る。
三日月宗近。私の、最後で最初の一振りである。