わたしを溶かす
次郎太刀さんはとても綺麗だ。そばに寄るとなんだか眩しい。あとお花のようなにおいがする。女の人みたいなのに、大太刀を振るう姿は頼もしくて、不思議な感覚に陥る。大きな身体を転がして寝息を立てている隣に腰を下ろした。睫毛が長くて、肌が白くて、髪も艶やかだ。今日も、やっぱりとっても綺麗。髪を下ろしていても、黒の着物を着ていても、この人は美しいのだ。
「次郎太刀さんのばか」
彼は何も悪くないけれど、寝顔を眺めていると思わずそんな言葉が零れてしまった。好きだけれど、わたしのことを好きだと言ってくれるけれど、それがどんな気持ちなのかわからない。ドキドキするのに、どこか苦しくて悲しくなる。いつも子ども扱いされてると、どこかで感じてしまうからかもしれない。
「わたしがもっと美人なら、ちゃんと好きになってもらえたのかな…」
ため息とともに吐き出した時だった。大きな手に、身体を引き寄せられる。突然世界がぐるりと回って、変な悲鳴が出た。
「こーら、何言ってんのさ」
「じ、次郎太刀さ…」
「バカはどっち!アタシの気も知らないで!」
「え、あの…起きてたの…?」
当たり前でしょと口角上げてわたしを見上げた。身体が密着して、恥ずかしい。次郎太刀さんにのしかかるような体勢で、逃げようとしたのに力強い腕が許してくれない。
「離して…その、近い…」
「嫌?」
「え、いや、いやじゃないけど…だって…」
なあにと意地悪に細められた瞳から逃げるように顔を背けた。腰を撫でられて、身体がビクリと揺れてしまった。胸の鼓動は速いけれど、無理やり押し倒すような姿勢を強要されて、じわりと涙が浮かんできた。次郎太刀さんのほうが、人の気も知らないで、だと思う。からかってくるのは楽しいからで、きっとわたしのことが好きだからではないのに。
「次郎太刀さんのばか…きらい」
「え」
「わたしで遊ばないで…っ!」
そう言ってもう一度身体を引こうとした。世界が反転する。目の前にいる次郎太刀さんは変わらないのに、その奥に天井が見えて、上から押さえつけられる圧迫感にハッとした。手首を掴まれていて、今度も逃げられない。押し倒されたまま次郎太刀さんの顔を見れば、いつもの笑顔はどこにもなくて、ビクリと怯えてしまう。男の人の顔してる。きれいなのに、女性的な雰囲気はどこにもない。
「あ、あの…」
「アタシのこと、嫌いってかい」
「……それは、その」
「からかってるって、これでも言える?」
首に顔が埋められる。熱い息がかかって思わず身を捩った。嫌だともがいてもビクともしない。わたしの上にいる人は紛れもなく男の人だ。
「や、だ…っ」
「聞こえない」
鎖骨を舐め上げられて、声が出そうになって、思わず唇を噛んだ。それでも漏れる声に自分でも嫌になる。涙がぽろぽろ溢れてきた。次郎太刀さんのことが好きだけど、こんな形で触れられたって嬉しくない。このまま弄ばれてしまうのだろうか。そうなってしまっても、次郎太刀さんはわたしのこと、好きになんかなってくれないのに。
「っ、…う、っ…」
「え、あ…」
涙がこめかみを伝って乱れた髪に埋もれていく。嗚咽が届いてしまったのだろう。ぴたりと次郎太刀さんの動きが止まった。それと同時に戸惑ったような声が聞こえて、ああやっぱりからかわれてたんだと思った。心臓がズキズキと悲鳴を上げている。手の拘束が解かれて、何見たくなくて目を覆った。
「ご、ごめん…!そんな、泣かせるつもりじゃ」
「じろ、たちさ…」
「ついカッとなって、その…嫌いって言われたからさ…」
頭を撫でて謝ってくる。嫌いって言ったから意地悪したのだろうか。わたしのこと、本当にちっとも好きじゃないんだ。そう思うとまた涙が溢れてきて、オロオロした雰囲気が伝わってくるけれど、どうにもできない。止まらない。
「次郎太刀さん、…わ、わたしのこと、きらい…なの…っ?」
「ハァ!?そんなわけ…」
「わたし、好きなのに…あんなこと、されて…も、からかわな…で…っ」
期待して、落ち込んで、苦しい。ちょっとでもほしいと思って触れてくれてるならまだよかった。わたしが泣いたら慌ててやめたのは、きっと本気じゃなかったから。わたしの気持ちなんて少しも伝わってない。好き、好きなの。肩を震わせながらそう口にした。嗚咽が混じって上手く言葉にならなかったかもしれない。けれど、見上げた先に真っ赤な顔があって、大きな手でその口元を覆っている。
「ちょっ、ちょっと待って、お願い待って」
「次郎太刀、さん…」
「え、アタシのこと、好き?ほんとに…?兄妹とかそういうのじゃなくて、アタシのこと…男だって思っての、好き…?」
「男の人だと、思ってた…」
「いやそうじゃなくて、じゃあその、夫婦になりたい方の…好きで、いいかい?」
わたしを見つめてくる次郎太刀さんの目はなんだかすごく熱い。コクリと頷けば唇が落ちてきた。驚いて目を見開いていると、それはすぐに離れた。
「アタシの、片想いかなって…思ってたんだよ」
「え…」
「慕ってくれてるだけで、恋してくれてるわけじゃないって…だからその、嫌いって言われてさ…つらくて…」
「次郎太刀さ、ん…わ、わたしのこと…」
「好きだよ、女として」
じゃなきゃこんなことしないさとわたしの額に口付けた。心臓が痛い。でもこれは甘い痛みだ。にわかに信じられなくて、上手く言葉が紡げない。次郎太刀さんも、わたしのこと、ちゃんと好きでいてくれてたの。わたしのこと好きだから触れてくれるの。そう思うと嬉しくて、一度は引いた涙がまた込み上げてくる。
「やだ、笑ってる顔が見たいのに」
「ごめん、なさ…」
「ま、泣いてる顔も可愛いけどさ」
身体を起こされて、正面から抱き締められる。次郎太刀さんのにおいだ。花のにおい。背中に手を回すと幸福そうなため息が耳に届いた。
「わたし、次郎太刀さんのこと、すき…大好き」
「アタシも…幸せでちょっと泣きそう」
やり直そうねと、視線が絡んだ。目を閉じれば唇にやわらかいものが当たる。しあわせだ。もう眩しくても目をそらす必要はない。心を交わしたのだから、何も怖がらずに、光に溶けてしまえばいいんだ。