桜と月夜の約束
とうとう、歴史修正主義者との戦いが終わりに近づいていた。この本丸を含めた全ての審神者刀剣たちの努力が今身を結ぼうとしている。自分も、一軍のメンバーとしてずっと主を支えてきた。しかし、この戦いが終われば自分たちは再び眠りにつき主は自分の居場所へと帰ってしまう。そう思うと最終決戦が明日だというのに眠れなかった。寝息を立てるオトモを部屋に残し月明かりの指す本丸を足音を立てぬように歩く。綺麗な満月に、桜の花びらが照らされている。
ふと、小さな後ろ姿が縁側に見えた。同士たちのものではない柔らかく曲線を描く輪郭はこの本丸の主のものだと、長い間近侍を勤めてきた己の感が告げていた。
「主。」
「あぁ、鳴狐か。あなたも眠れなかったんだね。」
何も言わずに横に腰を下ろす。桜が綺麗だ。
「明日。明日ですべてがようやく終わる。そう思うと眠れなかったよ。」
明日が終わればもう二度と会えずに離れ離れになってしまう。なら、終わらなければいい、そう思ってしまう。だが、それはダメだ。平和を愛する主の前でそんなことは言えない。ずっと、彼女はこの日のために自分たちと一緒に戦ってきたのだから。
「俺も、同じ。」
そうか。と微笑み桜に目を戻す主は今にも消えてしまいそうなほどに儚く見える。
「本当はね、終わらなければ良かったのにって思ってるんだ。」
ポツリと、独り言のようにこぼされた言葉に神経が集中する。
「命をかけて戦ってくれたあなたたちには失礼かもしれないけれど、それでもこれまでの日々は本当に楽しかった。ずっと、この日々が続けばいいのにそれは許されないんだね。」
「主。」
「平和に、なるのに。戻りたかった場所に戻れるのに。鳴狐やみんなと離れ離れになることがこんなに辛いなんて、思っても見なかった。」
透き通った二つの目から涙をこぼし声を震わせながら後悔を訴える少女に心が震えた。世界なんてどうでもいい。この人のために自分は刀を振るってきたのだ。
「ずっと、鳴狐とオトモちゃんがそばで励ましてくれて、一緒にいてくれて本当に幸せだった。離れたく、ないよ。」
「主、俺を見て。」
面頬を外し、主へ、己の愛する少女に口付けた。初めての、主従を超えた意思表示だ。彼女が望むなら、きっと自分はなんだってできる。胸の中に愛しい少女を閉じ込めて囁く。
「愛してる、主。」
全てが終わっても、どんなに時間が過ぎても、愛してる。
「鳴狐、鳴狐ッ!」
胸の中で泣き崩れる少女が、自分が最も欲しかった言葉をよこした。
「私も、私も愛してる。」
彼女が背に腕を回し力を込めた。それに応えるように自分も強く彼女を抱擁した。
「主。約束を、しよう。」
「約束?」
「全て終わって離れ離れになっても、絶対、俺が主を迎えに行く。約束する。」
腕を解き、小指を差し出すと、はにかんで同じように主も小指を差し出した。
「体がなくなって、私の住んでる場所も何も知らないのに、どうやって私を見つけるのよ。」
「愛の力。」
なにそれ。と笑みをこぼすが、本気だ。きっと、俺はそのためにここにいる。持ちうる力の全てで、彼女を見つけ、幸せにしてみせる。
「それなら、教えてあげる。私の名前。何もなかったら大変でしょ。」
仮にも神の末席たる刀剣男子に名を告げるということはその魂を永遠に縛られること。故に誰も主の名前を知らない。
「私はあるじ。」
「あるじ。」
自分だけが、誰も知らない主の名前を知った。優越感と何とも言えない気持ちが胸にこみ上げてきた。
「ここまでするんだから、ちゃんと迎えに来てね。」
「あぁ、約束、だから。」
指を絡ませ、永遠を約束する。きっと主、あるじも意味を分かっているだろう。口下手な自分とずっと付き合ってきたのだから。
もう一度、柔らかな唇に口づけを落とす。この永遠のために、明日俺は主に勝利を持ち帰るのだ。
桜が、月が、俺たちを祝福しているように見えた。
*
あの、桜と月明かりの縁側で交わした約束を、私はずっと覚えている。すべてが終わって、刀剣たちを一人一人眠らせる間も、自分の元居場所に帰ってきてからも。
あれから一月、すべてが元通りに戻っても私はあの日々が夢ではないと確信して、約束を胸に刻みつけながら過ごしていた。そして今日、桜並木の中、家へと帰る通学路を歩んでいたとき目の前を勾玉を首に下げた狐が目の前を横切る。
「オトモちゃん!?」
はじかれたように駆け出しカバンを投げ捨て後を追いかる。近くの茂みに飛び込んだ狐を必死に見失わないように追いかけるが、とうとう見失ってしまった。
「嘘っ、どこ!?」
辺りを見回してもあの黄色い小動物を見つけることはできなくて、その場にしゃがみこんだ。涙が、涙があふれだす。
「鳴狐、鳴狐━━━━!!」
力いっぱい、彼の名を叫んだ。そうでもしなければ、涙がこぼれてしまいそうだった。
「あるじ。」
声が、聞こえた。
その時、藪に囲まれていた視界が一気にひらけ、懐かしい建物が、みんなと過ごした本丸が見えた。そして、門の前には。
「鳴、狐。」
全力で駆け出し、彼の胸の中に飛び込む。
「鳴狐、だよね。夢じゃないんだよね!」
あぁ、だめだこらえた涙が溢れ出す。
「そうだよ、あるじ。」
「遅いよ。」
「ごめん。」
「でも、いいよ。ちゃんと迎えに来てくれたから。」
きつく、お互いを抱きしめ合う。願っていた時がようやく訪れた。
「これからは、ずっと一緒にいられるんだよね。
「うん、ずっと、一緒。」
「良かった……。」
時間は、これからたくさんある。だから、今だけは、もう少しだけ、彼の腕の中でこの幸せを感じていたい。
*
「お取り込み中のところ悪いが、あんたらいい加減に中にはいらねぇか?いい加減我慢のきかなそうなやつらがいるもんでよ。」
和泉守兼定の、こえが、した。
「う、うぇ!?兼定?」
バッと鳴狐から離れ声がした方を向いた。そこには、少し不服そうな顔をしてオトモちゃんを抱えた和泉守兼定その人がいた。
「なんだよ、俺がいちゃ悪いかよ。」
「いや、そういうわけじゃ。」
「なら、早く入れよ、みんな待ってるんだからな。」
「そうですよぉ、鳴狐ばかり主様を独占していてはずるいです。」
「連れてきたのは、俺だから、少しはいいだろ。」
手を振って中へ入っていく兼定を見送る。鳴狐と抱き合ってること
見られ、た?
顔に熱が集まり思わず顔をおおう。
「あるじ、大丈夫?」
鳴狐が心配そうに覗き込んでくる。
「だ、大丈夫。」
顔を上げて、ごまかす。そこらへんは、あとでフォローしなくては。
「じゃあ、行こう。」
「うん。」
差し伸べられた鳴狐の手を取り私の居場所へ歩みを進める。
あぁ、幸せだ。
ある日、ひとりの少女が行方不明になった。道に落ちていたカバンをひとつ残し跡形もなく消えた。小さな稲荷神社が近くにあったことから神隠しとも噂されたが、真実を知っているのは、当人と彼女の愛しい付喪神たちだけだ。
今日も、彼女は望んだ永遠の中で幸せをかみしめている。