死神用リッパー
ぬしさまはいい鋏を持っている。
聞くと、現世にいたころにへあーすたいりすとというのをやっていたらしく、私の髪をぬしさまがいじるとあっと言う間に綺麗になった。
燭台切光忠は、ぬしさまに髪型を決めてもらうのが好きだという。
私達がいつも刀を持ち歩くように、ぬしさまはいつも髪を整える道具が入った包みを持っていた。
ぬしさまの項は真っ白だ。全く痛んでいない黒髪が絹糸のように落ちている。緑の黒髪、という言葉が相応しいような美しい髪だ。
時々かぶりつきたくなる衝動に駆られるが、この白さを無くすのも惜しい。何より白色は私の髪の色だから、それをわざわざ汚したくはないと思った。
「そろそろ終わりかな」
「? 何がです?」
「契約だよ、君達のね」
とある日の夜のことだった。縁側に座っていたぬしさまが何か悩んでいるようだったので、近づくとぬしさまはそう言った。
契約。ぬしさまが私達を本丸に下ろした時にやったあれだろうか。
ぬしさまの髪は元は長かった。指切りで言うところの小指を差し出して私たちと契りをする行為を、自分の髪で代用したのだと言う。
今のぬしさまの髪は、襟足が少し首にかかっているくらいだろうか。
「そうだなあ、後、五、六センチ伸びたら終わりかな」
「またお切りになるのですか?」
「ううん」
否定の返事に思わずぬしさまをじいっと見てしまった。
どうしたと聞かれたけれど、つまりは。
「私達をお捨てになるのですか……?」
「そんな人聞きの悪い。ちゃんと次の審神者が来るからね、仲良くするんだよ」
ぬしさまが笑う。私は呆気にとられていた。
ぬしさまの為に、この小狐丸は下りてきたというのに。大事に髪を触るあなたが大好きだったのに。
気づくと、嫌ですと大声を上げていた。
「どうしたんだい」
「どうもこうもありませぬ! 私はぬしさま以外の人間になど仕えたくないのです!」
「落ち着きなさい、きっと、次の審神者も君達を大切にしてくれるよ」
「嫌です! ぬしさま、どうかこの小狐丸のためにもう一度髪を切ってはくれませぬか」
ぬしさまの手を取って懇願する。いつも鋏を握る手はいくつか切り傷のようなものがあるのが分かった。
見つめた、ぬしさまの顔に影がさした。
「できないよ」
「どうしてですか……?」
「俺は力の弱い審神者だ。君達と契約するために自分の髪を代償にしても、時々心臓が痛いんだよ。最近は特に酷い」
ぬしさまがそこで言葉を切った。
そして私を見上げ、今も胸が痛いというようにこう続ける。
「俺は人間だ。死にたくなんかないんだ。どうせなら生きていたいんだ……」
「…………」
「ごめんよ、酷い主で」
ぬしさまが悲痛な声で言った。
初めて聞いたぬしさまの弱みは、私の知る中でもっとも人間らしいものだった。
ぬしさまも分かっているのだろう、私達を戦場に出せば死ぬことだってあるだろうから、自分がそんなことを言える立場でないと。
だけど、それでも私はぬしさまのことを嫌いになれなかった。
──だからなんだというのだ? 私達を消耗品扱いしない。飯も食わせるし湯にも浸からせる。寝床だってあるのだ。嫌なことしたり、言ったりしない。
それどころかぬしさまは私達を大層可愛がってくれたではないか!
「お気持ち、よく分かりました」
「………小狐丸………」
「今日はもうお疲れでしょう。ゆっくりお休みください、また明日、話をしましょう」
努めて優しく言い、ぬしさまを寝室まで送った。
その後、本丸の庭に面した廊下を歩きながら私は一つ、心に決めた。
月明かりに照らされる自分の髪をつまむ。あんなに大切にしていたが、きっとそれはぬしさまが私の髪を手入れする姿が好きだったからだろう。
ぬしさまが苦しまないため。ぬしさまに明日も明後日もこれからも可愛がっていただくため。ぬしさまがぴかぴかの鋏を握る姿をこれからも見るため。
「小狐丸、きみ」
「ああ、ぬしさま。おはようございます。どうですか? 切ってみたのですが、似合いますか」
「どうして、君、だって、あんな大事に……」
「ぬしさまのためですよ。どうですか、心臓はもう痛くありませんか?」
次の日の朝、昨日の夜と同じように縁側でぬしさまに会った。驚いているぬしさまの胸にそっと手を当てる。早い鼓動が聞こえた。
ぬしさまの右手が伸ばされ、私の髪を掴もうとした。だけど昨日より短くなった髪はただ空を掴ませる。
少しかがんで、ぬしさまの右手を取った。すっかり短くて、ぎりぎり首にかかる程度になった髪にそっと触れさせる。
「ぬしさまの力が不十分なら、私の髪をお使いください。きっと役に立つはずです。それと、よければ私の髪を整えてください。私は鋏の扱いに慣れていないものですから……」
ぬしさまの真っ白な首に隆起する喉仏がこくりと動いた。
私は震えているぬしさまの言葉をじっくり待つ。犬のようにいつまでも。
「あ、ああ………いいよ………心臓も痛くないよ、でも………」
「どうかしましたか?」
「……心が……痛いなあ………」
ぬしさまが泣いていた。真っ白な首は真っ赤になっていて、目からはとめどなく涙が出ている。
ほら、やっぱりぬしさまは私達のことを大事にしてくれている。
「大丈夫です、ぬしさまを離したりなどしませぬ。これからも、ずうっと大事にしてくださいね。この小狐丸、決してあなたを死なせたりしませんから」
それがあなたの望みなんだろう。